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「おや、そんなに驚いて如何なさいましたか?」
だが、傍らに立つ紳士はまるで動じず、何事もなかったかのように平然と尋ねてくる。
「い、如何も何もないだろ! な、なんなんだこれ…は……」
その場違いな態度にカチンときて、しどろもどろに声を荒げる私であったが、彼が手にしているグラスの中の液体を見るとさらなる衝撃に見舞われることとなる。
それもまた、冷やしたザクロジュースなどではなかった……色はそう言われてもおかしくないようなドス黒い赤い色をしているが、その中には氷ではなく、人間の眼球のような丸いものが幾つも浮かんでいる……あのカラカラと涼しげに響いていた音も、カチカチに凍らされた眼球同志の触れ合う音だったのだ。
ならば、それの入れられたあの赤い飲み物は、この流れからして十中八九、人間の血液……。
「うぐっ……!」
そこに思い至った瞬間、なんだか酸っぱいものが胃から込み上げてきて、私は咄嗟に口元を抑えて背を丸ませる。
……いや、そんな他人事のように気持ち悪がっている場合ではない。
あの血液や眼球、椅子や床を覆う死体はいったい誰のものだ? どこで、どうやって用意した?
その利便性や秘密の保持に最適な方法を考えたならば……例えば、これらがここを訪れた客達のものなのだとすれば……。
〝命の危機〟という生物にとって最大の恐怖が脳裏を過った私は、先程までとはまったく異質の芯まで冷える薄ら寒さを感じ、背を丸めた奇妙の格好のままその場で凍りついた。
ここは、天国なんかじゃない……それどころか、私の迷い込んだ場所は身も毛もよだつこの世の地獄だったのである。
「……く……ククク……フフフ……フハハハハハハっ…!」
そんな私の姿を見て、紳士が堪りかねた様子で腹を抱えて高笑いを始める。
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