ひんやり屋

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「な、何がおかしいっ!? 笑い事じゃないぞ、この殺人鬼め!」  そんな状況ではないのだが、その人を小馬鹿にしたような態度に恐怖よりも苛立ちを覚え、私は思わず大きな声を上げて彼を睨みつける。 「…クク……ハハハハ……い、いやあ、すみません。あまりにも見事に騙されてくれたもので……ウフフフ…」  すると、紳士はなおも笑いを堪えるのが辛い様子で、ますます精神を逆撫でするようなことを言ってくる。 「騙される? ……ああ、そうですとも。この猛暑の中、〝最高のひんやり〟なんて甘い言葉についついつられて、私はまんまと間抜けにも騙されましたよ。まさかこの店が、こんな猟奇趣味の殺人鬼の館とも知らずにね!」  この後、自分もこの床や椅子達の仲間入りをするだろうことを充分予想しながらも、抑えきれぬ悔しさから私は思いつく限りの嫌味を口にしてやる。  その怒りに全身の血液が沸騰し、冷え切った体の温度が幾分か上昇する。 「…ククク……ああ、いや、そうじゃないんです。そういう意味じゃなくて……ハァ~…じつはですね、これはすべてジョークなんですよ」  ところが、紳士は蔑むでも憐れむのでもなく、なおもおかしそうに涙目を擦りながらも、なんだか妙なことを言い出すのだった。 「ジョーク……?」 「ええ、そうです。ジョークです。全部作り物なんですよ。この床も椅子も抱き枕も、そして、この眼玉入りの血液ジュースもね。どうです? 最高の〝ひんやり〟を味わうことができましたでしょう?」  譫言のように聞き返す私に、紳士は満足げな笑みを浮かべてそう答えると、グラスの縁を指先でチン! と弾いてみせる。  その衝撃で、どうやらガラス玉か何かでできていたらしい眼球がまたしても擦れ合ってカラカラと涼しげに鳴った。
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