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第二話「ちくわをどうぞ」
少し春めいてきた3月のある日、猫のイワサキさんは仕事の手を休めて、ぼんやりしていました。
玄関の戸を叩く音がし、「ごめんくださ~い」という声が聞こえてきたので、玄関に向いました。
「ほ~い、今開けま~す」と言いながら、玄関の戸を開きました。
そこには、地面からちょっと離れたところに、猫耳で垂れ目、頭に三角巾をつけた幽霊さんが浮かんでいました。
「幽霊さん、こんにちは。これはまたどうして」
「先日、私のお店にいらしていただいたお礼をと申しまして」
猫のイワサキさんは、あまりに忙しかった数週間前、街をぶらついている時に、貸し手屋さんに入りました。幽霊さんはそこの店主でした。
ぶるぶる震えながら店を出たことが脳裏をよぎったものの、努めて冷静に応対しました。
「これはまた、どうも御丁寧に。時にあのお店は繁盛しているのですか」
「いえ。別に繁盛しなくてもいいのです」
「どうしてですか」とイワサキさんは訝りながらも疑問を口にしました。
「あの店はこの世とあの世の境にあるので、利潤という概念がないのです」と幽霊さんは、「当り前ですよ」と言わんばかりの笑顔で断言されました。
イワサキさんは絶句したものの、気を取り直して、御礼とやらに注意を向けました。
「ところで、何かいただけるとか」
待ってましたとばかりに幽霊さんが抱えていた包みを取り出しました。
「じゃ~ん、宇宙ちくわ」です。
「宇宙ちくわ?」
「以前、イワサキさんがちくわを抱えて、満面の笑みを浮かべている写真を見たのを思い出して、とびっきりの絶品をお送りしようと思い、ちょっと宇宙に行ってきたのです」
「幽霊だから時空間の拘束なんてないよな」と内心で呟きながら、どこか狐につままれた思いも感じました。
「宇宙ちくわとは、大気圏に突入しても燃え尽きずに焼き上がる不思議な食べ物なんです。宇宙の珍味と言われています。お勧めですよ」とお土産を置いて、幽霊さんは帰っていきました。
お土産の中身もさることながら、あまりのありえないことの連続で、イワサキさんは「幻を見るほどにオレは疲れているのか」と悩みかけました。
とはいえ、目の前には大きな文字で「珍味 宇宙ちくわ」と書かれた食べ物の箱が置いてあるので、あやしいと思いつつも、「どうせ、ちくわはどこでもちくわだろ」と考えて食べてみることにしました。
箱を開くと、地上にあるちくわと同じものが入っていました。
目を凝らすと、焼き色がついていましたが、それが大気圏突入時の熱によるものなのか、イワサキさんにはわかりませんでした。
「ふつうのちくわを宇宙ちくわと言って持ってきたのだろうか。しかし、幽霊さんはそういう嘘は言わないし、やっぱり宇宙ちくわなのだろうか」
物が物なので、なかなか食べる意欲が湧いてきません。
「ええいっ!!悩んでいてもしょうがあるめえ。食べてみるしかない。え~となになに、『地上のちくわと同じ食べ方ができます』か。ならこのまま食べてみるか」
一つ手にとっておそるおそる口に持っていき、意を決してぱくっと食べました。
もぐもぐ、ごくん。
その瞬間、あまりのおいしさに絶句し、目は飛び出て、「とてもおいしいんだよ~」と世界中に叫びたい気持ちに駆られました。
その気持ちのまま、イワサキさんは天まで昇っていく感じがしました。そう、あたかも死んだじい様の顔がありありと見えてくるかのように、天国が迫ってくるようでした。
「ああ、なんて気持ちがいいんだ」と思いながら、包装紙をよく見てみると。
「あまりの美味しさに、時々、昇天してしまう方がおられるので、食べすぎにはお気をつけください」とあり、
「なにいいーーーーーーーーーーー」と大絶叫して、気絶してしまいました。
天国に昇りかけた魂はそのショックで体に戻りました。
目を覚ますと、いつも見る、夕日が向こうに沈む景色が窓の外に見えました。
「宇宙ちくわをもらうとか、変な夢だったな~」と首をひねって、周りを見てみると、どこにでも売っている地上のちくわが皿の上に鎮座しておりました。
まるで、「そのちくわはこのような形だったかね」と言わんばかりに。
「で、出たーーー!!」と言って、イワサキさんが再度気絶したのは言うまでもありません。
その頃、お店に戻った幽霊さんは、「美味しくて食べ過ぎても、天国に行っちゃうぐらいですから、大丈夫ですよね」と呟きました。
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