ティーブレイクへの誘い

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ティーブレイクへの誘い

「アルト殿! 奴がいませんぞ!」  目の前に積み上げられた書類の向こうで執務室の扉が乱暴に開いたかと思えば、次いで聞こえたのは特徴のあるヒステリックな声。ここ数日部屋に缶詰め状態で紙の束と格闘しているアルトに逃げ場など無く、部屋に飛び込んできた初老の男と否応なしに目が合ってしまった。 「これは大問題ですぞ! 我が軍の情報を知りすぎているあやつが逃げたとなれば、貴殿の責任は大きい!」 「……フョルド殿、決めつけは如何なものかと思いますが」 「では聞くが、アルト殿は奴の居場所を把握していると?」 「……彼は自由行動が好きなものですから」 「自由行動!」  そらみたことかと言わんばかりに鼻の穴を膨らませたフョルドに内心うんざりしてしまう。彼は己より随分若いアルトが評価されている事が気に入らないようだ。山積みの仕事に加えてフョルドの重箱の隅をつつく嫌がらせ攻撃に、心身ともに限界が近かった。  甘いものが食べたい。叶うなら視察の時に食べたチョコレートとか。フョルドの声を聞き流しながらつい考えてしまうが実際問題無理である。ここからあの交易港まで馬で二日はかかるが、それだけの間留守にすると帰ってきた時には部屋が書類で埋まってしまうだろう。 「第一、なぜあのような者を我が軍に引き入れたのか」 「はぁ、何故、と言われましても」  今更何をと思いつつ、上手い言葉が無いか探す。正直にただの勘、なんて言えばヒートアップする事間違いなしだからだ。  砂埃が舞い、火薬と血の臭いがする戦場。捨て駒に使われ血の海に横たわった彼は、アルトを見上げると薄く笑った。 「こりゃ、驚いた。敵方の大将がアンタみたいな子どもだったなんてね」  この国では珍しい銀の髪は赤く染まり、投げ出した四肢はピクリともしない。それだというのに世間話でもするかのような軽い声にアルトは思わず足を止めた。 「よく言われるけど、これでも成人してるし、いい歳だ」 「へぇ、となるとまさか俺より上? はは、見えねー。奥方様がアンタを見たら、即捕まえて研究所行きだろうなぁ」 「……」  奥方様、というのは先程部下を放り、いの一番に逃げ出していった敵国の王が迎えた妃を指しているのだろう。美を追求する彼女のためにかの国では前にも増して人体実験の動きが加速していると聞く。今回のような無謀としか思えない他国への侵攻も、実験の為の資源確保が目的らしい。このままでは内側から崩れるのも時間の問題。 「何故、あの男に仕えていたんだ」  思えば随分と不躾な質問だったが、彼は気を悪くした様子もなくスラリと答えた。 「金が良かったし、寝る場所も、食うものもあった。なにより一度、命を助けられてね。まぁ呆気なく捨てられたみたいだけど」  今にも消えそうな瞳の光にアルトは「馬鹿だな」と呟いていた。血を溢しながら彼は笑う。 「いちいち言わなくてもいいっての。あの人が俺を駒だとしてしか見てない事なんか、とうの昔に分かっていた。いつか殺されるだろうとも。知っていながら留まった俺は、」 「そうじゃない。お前の主の事だ」 「……え?」  自嘲を滲ませた台詞を遮って訂正すると、初めて彼は年相応の顔で目を丸くした。視線で続きを求められて口を開く。 「遠目で見たけど、あれだけの兵を相手に大立回りが出来る人間はそういない。連日の戦いで疲弊していただろうに、自分の役割は果たそうと全力を尽くしていただろ。良い兵だと感心したよ。だからこそ、もっと大事にしてやれば良いのにと思ったんだ」  今言った所で遅いけど、と付け加えると、少しの間があって彼は噴き出した。 「ふ、く、ははは! これは本当に驚きだな。俺みたいなのを人間扱いした上、大事にときた! アンタ、変わってるって言われるだろ」 「言われることもあるけど、おかしいとは思わない。動いてくれる兵がいなければ、将など意味がないのだから」 「その考えが変わってるんだっての。普通は使い捨てでしょうよ」  彼は何かを考えるように宙に視線を投げた後、ボロボロになった腕をなんとか持ち上げた。 「じゃあさ、拾ってくれない? 俺の事。これでも受けた恩は返す主義でね。拾って、尚且つ大事にしてくれるなら、アンタの事は俺が守るよ」  既に虫の息で、諦めにも似た色を浮かべつつ、届かないと分かっていながら手を伸ばす。そんな彼の姿に、かつての自分が重なった。一歩踏み出し、血に汚れた手を掴む。 「死体を持ち帰る趣味はないんだ。死ぬなよ」 「……はは、了解。初めてのご命令、承りましたよ」 ーーそれが彼、スレイとの出会いだった。  その日から彼は常にアルトの隣に立ち、有言実行でよく働いてくれている。ただ言われてみれば確かに、この数日アルトが書類にかかりきりになっている間姿を見ていない気がした。何処かへ行く場合必ず声を掛けてくれる彼にしては珍しい。 「とにかく、今日中に戻らなければ報告させていただきますからな!」 「心配しなくても、彼は裏切ったりしませんよ」 「どうだか! 大体奴は、」  まだ続きそうな嫌みと小言のオンパレードに流石のアルトも眉を寄せたその時、部屋の窓から一陣の風が吹き込んだ。とん、と身軽に床へ足を付けた彼は迷い無くアルトの隣へ立つ。 「戻りましたよ、我が主。……ところでこちらのお方は一体何の用件で? 見るからに忙しい主の手を止めさせるとは、さぞかし大変な問題が起こったんでしょうね?」  笑っているのに笑っていない。器用に微笑むスレイにフョルドは二、三度口を明け閉めした後、「失礼する!」と足早に部屋を出ていった。息を吐いて椅子に身を沈ませれば、横から暫く聞いていない笑い声。 「やーれやれ。面倒なオッサンに目ぇ付けられましたねぇ」 「半分はお前のせいだからな。一体何処に行っていた」 「あれ? 言って出掛けたはず……って、あーそっか。あの時の主の返事、もしかしなくても無意識だったんですかね。確かにオニのような顔してペンを走らせてましたし」  言いながら長方形の箱を差し出される。見覚えのある印字にアルトは目を見開いた。 「これ……!」 「チョコレートです。食べたいって死にそうな声で呟いてたから、買いに行っていたんですよ」  なんというタイミング。こうしてはいられないとペンを放り投げて立ち上がる。 「そうか、ありがとうスレイ。せっかくだからお茶淹れて一緒に食べよう。棚にある茶葉を取ってくれ」 「……ふ、菓子ひとつで目の色変えるから、未だ余計に幼く見えるんだよなぁ」 「なにか言った?」 「いいえ。こうでもしないと休まない働き者の主を持って、幸せだなーって言ったんですよ」  なにやら「幼い」という禁句が聞こえた気がするが、振り返った先にいるスレイの笑顔に嘘は無い。首を傾げながら、アルトはカップを二つ取り出した。
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