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あの人は幽霊なのではないかしら、そう密かに思う人がいる。
彼女は、上半身に白いノースリーブのブラウスを着て、腰から下は丈の長い白いフレアスカートを履いていた。手に持つ日傘も白、あの大きさで必要な物が入りきるのかと疑ってしまう小さ過ぎるハンドバッグも白。それから、対面ショーケースに乗り出さなければちらりとしか見えない、足元のサンダルも白だ。
白いのは身に着けているものだけでなく、彼女は素肌を晒した腕も足も、たいそう色白だった。
駅前商店街に店を構える肉屋でアルバイト店員をしている澄香(すみか)は、まっ白な彼女が店の前の道を歩いて行く姿を度々目にしていた。
出入り口上部にあるビニール製の庇が作った陰により、屋外とは段違いに暗い店内にいる澄香には、全身が白い彼女は夏の日光を体全体で反射し、まるで自らが発光しているが如くに眩しく見えた。その光は暖色の色味ではなく、黄味を感じさせない本当の白、ときに涼し気な青みさえ感じさせた。
彼女は生活感に染まりきった駅前の商店街の中にあって、まったく浮き上がった異質な存在だった。澄香は彼女を見る度、煩わしい現実を離れたような、しかし単純に爽やかとは言い切れない、不安を含んだひんやりとした心地になった。それで、「幽霊」なんて、子供が思うような考えに至ってしまったのだ。
「おい、何ぼーっとしてんだよ」
きつい調子でたしなめられたのに我に返り、澄香が後ろを振り向くと、白い帽子を被り白いエプロンをまとった全身白ずくめの……男性が、白い手袋をした手を腰に当て、仁王立ちで立っていた。
彼は澄香が勤める肉屋の次男坊で名前を俊哉(としや)といい、目下、年齢の近いアルバイト店員の指導係であった。
「さっきから人が話してるっていうのに、どこ見てるんだ?」
そう言われて、謝るべきだったのだろう。だが、未だぼんやりとした気分の中にいた澄香は、俊哉の質問に馬鹿正直に答えてしまった。
「真っ白な女性が歩いてて…」
「は?」
「最近、…って言っても、私が働き始めたのも最近ですけど、ここの店の前の道、歩いてますよね。白い服着た女性」
「白い服って、夏なんだから、そういう格好もするだろう」
「でも、いつもなんですよ、その女の人。なんか、わたし…」
つい本音を言いそうになった澄香は、口をつぐんだ。
「なんか、なんだよ」
「なんでもないです」
俊哉は澄香に妙にキツい。それは、仕事ができない澄香に苛立っていることもあるだろうが、それだけでもないような気もする。とにかく、子供っぽい自分の考えを彼に打ち明けても、愉快なことにはならないだろう。
「途中まで言いかけといて………裏で力仕事やってもらうか?」
そればかりはまっぴらだと、澄香はあっけなく続きを白状した。
「幽霊なのかなって思ったんです」
言った後、俊哉の顔を見て、澄香は力仕事でもなんでも引き受ければよかったと後悔した。彼は、完全な呆れ顔だった。
「まっ昼間の商店街で?えっ本気?冗談じゃなく?猛暑にやられたか?」
「はいはい、どうかしてました。仕事しまーす!」
ショーケースに向き直った澄香が布巾で天板を拭き始めると、「だから、今は俺の話を聞けって」と再び俊哉が叱ってきた。
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