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屋上に向かうと、冴木は手摺りの向こう側に居た。 手を広げて今にも飛び降りそうな様子で。 名前を呼ぶと、こちらを振り返り、笑った。 「もう少しで飛ぶとこだったよ」 本気で飛ぶことを考えていたようで、冴木は首筋にじんわりと汗をかいている。 「危ないからとりあえずこっち側に来い」 そう手招きすると 「飛び降りようとしてる子に向かって、危ないからってナンセンスだよね」とからかうように彼女が言った。 「センスなくて悪かったな。てかそれ以外のセリフないだろ」 「お菓子あげるからこっちおいでとか、あっちに体長四メートルの亀がいたよ、とかいろいろあるでしょ」 ふざけた事を言いながらこちら側に向かって手摺りを乗り越える。 「後半は本当だったらすごい惹かれるな」 とりあえず間に合った事にほっと胸を撫で下ろす。 「それで今日はどうするつもりなんだ?」 「昨日のスーパーに行ってみよう。惜しかったし、またお婆さん来るかもしれないから」 歩き回るよりは疲れなくていいかもしれない。惜しかったという不謹慎な言葉には触れずに、冴木の案に乗る事にした。 昨日より到着時刻が早かったからか、スーパーには一定の距離で暴れまわる犬もお婆さんの姿もなかった。 冴木がアイスを食べたいというので、店内に入った。 冷蔵庫の中のアイスを物色していると「あの子やるね」と、冴木が突然呟いた。 彼女を見遣ると、顔を振った。その先には小学校の高学年くらいの男の子がいた。 辺りを見渡しては、通りを行ったり来たりしている。商品を探しているというよりは人を探しているように見えた。 「やるってなにが?」 「万引き」 思ってもいなかった答えに、えっ、と素っ頓狂な声をあげてしまう。 「ほんとかよ? なんでわかる?」 自然と声を落とした。 「あの子さっきから店員とカメラの位置を確認してる。相当慣れてるね」 「そんなことするような子には見えないけどな」 「見た目じゃわかんないよ」 「止めないのか?」 「いま止めたってまた同じことするよ」 「じゃあどうすんだよ」 「ちょっと黙ってて」 冴木の目があの子を捉えていた。少年は素早い動作で商品を手提げ鞄に入れた。 注目していないとわからないほど手慣れた手つきだった。 何度か繰り返し、彼は店を出た。後を追い掛ける。なんだか追い掛けてばかりだな、と言い掛けたけれど、冴木が真面目な顔付きを浮かべていたので声にするのは憚られた。 「ねえ、ちょっと」 彼女が少年に声を掛けた。 少年は振り返ると、怯えたような表情を見せた。 「なんですか?」 意外にも少年の口調は柔らかく丁寧だった。 「何を取ったのか見せてくれない?」 少年の表情が明らかに暗くなった。 「お姉さん達、お店の人ですか?」 「違うよ。見せてくれたら黙っててあげるから」 少年は一瞬怪訝そうな顔を浮かべたが、すぐに観念したのか、鞄をこちらに差し出した。 出てきたのは紙パックの小さな牛乳と、パンだった。 「お腹空いてるのか?」少年に訊くと、 「違います」と答えた。 「じゃあ、どうして?」 今度は冴木が訊く。 「捨て猫を拾ったんです。でも家では飼えないから」 よくある話だった。だがその為に万引きをしたというのは聞いたことがない。 疑う訳ではないけれど、本当かどうか彼が言う公園に一緒について行く事にした。 小さな公園に着くと、拾ってくださいと書かれた段ボールに子猫が一匹横になっていた。 彼の言ったことは紛れも無い真実だった。 「君はとってもいい子だね。でも万引きは犯罪だよ? 犯罪者に育てられたこの子はどうなると思う?」 冴木が優しく諭すように語りかける。 「わかりません」 「この子も悪い子になっちゃうんだ。だから、これからさっき取った物、一緒に返しに行こう。そうしたらお姉ちゃん達が同じの買ってあげる。それで、この子を飼ってくれる人も一緒に探そう」 「いいの……?」 「もちろん。困ったら一人で抱え込まなくてもいいんだよ。誰かに相談すれば解決することだってあるかもしれない」 「うん……お姉ちゃんありがとう……」 少年は勢いよく泣き出した。きっと一人で悩んだのだろう。 そして、万引きしか方法が思いつかなかったのだ。彼はこの子猫の為に。 その証拠に、彼は自分の物は一つも盗んではいない。全て子猫の食料だったのだ。 店長さんに事情を話すと快く受け入れてくれた。その後改めて買い直し、子猫の里親を探した。 そう簡単に見つかる訳もなく、次の日も、その次の日も里親を探した。 「この子の里親が見つかるまでお前死ねないな」 里親探しの帰り際、冗談めかして冴木に言うと、「今はこれが私の生きる意味だからね。終わったら今度こそ」 そう言った彼女は前よりもずっと楽しそうに思えた。 「なあ。生きる意味ってさ。そんな感じでいーんじゃねーのか?」 前を歩く冴木に話し掛ける。 「なに? 急に」 彼女が立ち止まって振り返る。 「だからさ、死ぬのに大して理由なんかないってお前言ったろ?」 「近いことは言ったかな」 「だったらさ、生きる意味にもそんな大それた理由なんていらねーんだよ、たぶん。 明日友達と遊ぶからとか、見たいテレビがあるからとか、そんな程度でいいんだよ。 生きる意味がなくなったんなら、新しい生きる意味を探すために生きればいいじゃん。 死ぬのってダサいとかじゃなくてさ、もったいねーじゃん」 「御堂くん……」 「なんだよ」 「前から思ってたんだけど、ねーじゃんとか、ねーよとかの言い方カッコつけてるみたいでダサいよ」 冴木がわざとらしく笑う。 「お前、人が真面目に話してんのに」 「あはは、ごめんごめん。でもありがと。ちゃんと芯捉えてたよ」 「うるせーよ」 「それだよそれ。ダサいやつ。いや違うな御堂くん風に言うとダセーよ、か。でもさ、最近、喋り方移っちゃう時あって、最悪だよ。独り言なんて特に……。ずっと御堂くんと一緒に居たからかな……」 彼女らしくなく、最後は照れくさそうに笑った。 「御堂くん、また明日ね」 気恥ずかしいのか、彼女は慌てて走り出した。 ああ、また明日な、という最後の言葉は、彼女に向かって走るトラックの大きすぎるクラクションの音にかき消されてしまった。
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