第6章 彼のほんとを知りたい

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タクシーに乗って軽井沢駅周辺の観光客でごった返す辺りを抜けていく。通り過ぎる賑わいを横目で見て、川田はため息をついた。 「ああ、軽井沢のいいとこなんて大抵駅周辺なのに。立ち寄りもしないで終わりかぁ…。この辺、ぶらぶら歩いてみたかったなぁ、のんびりと」 「だからごめん、てば。とりあえず、彼のお客さんの別荘がどこか確認するだけだから。ここからそんなに離れてないみたいだし。終わったら戻ってきて、改めてゆっくりしよ?時間はまだ充分あるでしょ。明日も明後日も」 宥めるつもりで奴の手を取ってぎゅっと握るとようやく大人しくなった。わたしは滑るように流れていく道の両側の白樺の林に視線を向ける。 新幹線から降りた時は見失ってしまったけど。乗車するところまでは物陰からきっちり見届けて、確認した範囲では誰かと同行する様子ではなかった。途中の駅から連れが乗ってきて合流した可能性がないではない、が。 確か夏は毎年家族で避暑に行くって表現だったから。恐らくは顧客の一家は既に別荘で夏を過ごしてて、そこに休みを取れた彼が参加するって考えた方が自然だ。そう思えば軽井沢まで一人で移動するのはごく当たり前な気もする。 逆に言うと、星野くんがわたしに説明した内容が大体事実に基づいてるっていうことを証明してるようにも受け取れる。少なくともほんとは他人には言えないような相手と二人きりで旅行するのに、仕事絡みだとわたしには建前上ごまかしたわけじゃないって信憑性は高まってきた。 まあ、もちろん。わたしは隣に座る川田に悟られないよう、表情を変えないままお腹の底辺りに力を入れる。まだここから、彼が秘密の恋人と現地で落ち合って、ただいちゃいちゃと呑気にバカンスを楽しむ現場を目撃する確率が。全然なくなったってことにはならないんだけど…。 「…おお、なかなか。…いかにも小洒落た、富裕層が優雅に夏を過ごしてそうな雰囲気の界隈だなぁ」 車道から分かれた別荘地の看板が入り口に出ている小径の手前でタクシーを降りて、ちょっと気の引ける思いで済みません、と内心で呟きながら明らかに駅周辺と空気が違ってる閑静な別荘地に足を踏み入れる。気後れするのは川田も同じなのか、ずんずん歩くわたしの背後にぴったりくっついて声を潜めて話しかけてきた。 「これってさ。大丈夫?観光エリアと違って私有地でしょ、別荘は。関係者以外がうろうろしてて。通報されない?」 わたしは眉根を寄せて周囲を真剣に観察しながら、おざなりに返事をした。 「うーん、だけどさ。別荘に滞在してる人を訪ねて来た人間だって。関係者って言えば関係者でしょ?そういう人物も入れないような場所ではないよね。別に、個別の別荘の敷地に侵入しようとしてるわけでもないんだし。これ、普通に公共の通路でしょ?」 「そうかなぁ。私道なんじゃないか、別荘地を管理してる会社とかの。…おい、あんまり伸び上がって覗き込んだりするなよ。絶対不審者と思われて通報されるぞ」 完全にびびってる。まあ、気持ちはわからなくもない。わたしはやや上の空であちこち見回りながら返答した。 「別荘ってさ。表札とか全然ないんだね、考えてみれば当たり前だけど。これだとどの建物が誰の所有なのか。外から見てるだけじゃ全然わかんないや」 「それくらいのこと、来る前でもわかりそうなもんだけど。だいいち目当ての人物の名前も不明なんじゃ。…これだと何の手がかりもなくないか?」 「…うーん…」 曖昧な声でとりあえず唸って、足が進まない様子で小径の入り口付近でぐずぐずしてる川田を置いてとにかくそれぞれの別荘を確認して回る。何かヒントがあるかもしれない。彼の私物が敷地に置かれてるとか。 それに、時間的に考えて。わたしたちと較べて星野くんの方がそんなに早くここに到達したとは思えない。前後してこの地に辿り着くと考えた方が理屈に合う、同じ新幹線で来たんだし。…そう考えると。 まだお客さんの別荘に入ってない可能性だってある。そしたらちょうど、到着してその建物を訪問するところを見られるかも。呼び出しに応じて中から出てくる人物を確認できるかもしれないし。考えようによってはまたとないチャンスだ。 …だけど、こっちが先に着いてるかもってことなら。後からやってきた彼の目に見咎められないよう、もうちょっと身を潜めてこそこそ動いた方がいいのかな…。 背後から車がゆっくり近づいてることに気づくのが遅れた。ハイブリッド車なのか、ほとんどエンジン音がしなかったので。 「…種村さん!」 不意に呼びかけられて頭が完全に真っ白になった。 それが誰の声かわからないはずもない。だけど、やっちゃった、失敗したって思いと混乱で取り乱した理性のせいか。 わたしの横を行き過ぎて停車した車の助手席の窓から顔を出して振り向いたその顔を。見慣れない、信じられないものみたいに呆然とただ黙って見返していた。 《第4話に続く》
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