第6章 彼のほんとを知りたい

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「…それで」 物陰からマンションを出て行く彼の様子を伺うわたし。その背後でやや唖然としたような、釈然としない抑えた呟きが聞こえてくる。 「…どうして、結果こういうことになる?何もわざわざ。こっそり隠れてあと尾ける必要なんて。…誰とどこ行くの、ってストレートに尋ねてみたらそれで済んだんじゃないか?」 「訊いたよ、もちろん。それは一応ちゃんと答えてくれたけど…。でも、彼が自分の口から説明したことが。ほんとの事実だとは限らないじゃん?」 わたしは振り向かずに手つきで声を落とすように促し、自分も抑えた調子で口早に背後の川田に弁解した。 「どうせ、こっちも同じタイミングで休みだし。だったらいい機会だから本腰入れて彼が実際に会いに行く人をこの目で確かめてみてもいいんじゃないかと思って…。一度納得できたらそれでこっちも落ち着くと思うし、気持ちが」 物陰に隠れながら駅の方向に向かう星野くんの背中を追って前進するわたしのあとに続く川田の不満げな呟きを耳が拾う。 「何だよ、俺との休暇はどうなったの?お前が珍しく一緒に旅行しよう、って言ってくれたから。こうやって付き合ってるってのに。…結局レスの旦那のあと一緒に尾けさせられるだけ?二人きりで軽井沢に行くって話はどうなったんだよ」 わたしはそっちへ顔を向ける余裕もなく答えた。 「行くよ、ちゃんと。…まあ、彼の方が。本人の申告通り、軽井沢方面に向かうと仮定しての話だけど」 あのあと、結局バスルームでもう一度一戦交える羽目になり。興奮に任せて不自然な体勢で無理やり貪りあったあと、ぐったりと身を寄せ合いながら川田はいつになく優しい声でさり気なく切り出した。 「あのさ。お前の旦那が相手してくれないっていうんなら。いっそ、今年は俺と夏休み、一緒に過ごさない?あんまり今までそんなことしたことなかったけど。茜、せっかくの九連休このままじゃ持て余しそうなんだろ?」 「…それは」 わたしだって別に、夫と過ごさなくたって。友達だっているし、実家に帰ったっていいし。ずっと一人で休み潰さなきゃいけないなんてことないよ。これまでだって夏は適当に休暇消化してきたんだし、就職して以来。 そう言い返そうとしてはた、と困惑した。 思えば去年までと今年は決定的に違うところがある。わたしが結婚したことだ。 例えば暇を持て余してもしょうがないからって気軽に実家に帰ろうもんなら。九連休もあるのに一日も夫と過ごさず一人で帰省してくるわたしのことを何で、と親は不審に思うかも。 いや、整骨院は会社と違ってそんなに閉めておけないんだよ。と説明したとしても。 「でも、土日の週末だって九連休のうちに入ってるでしょ。確か日曜日はお休みじゃなかった?自分が夏休みだからって旦那さんを放っぽってこんなとこでだらだらしてていいの?」 とか、 「あんたが休暇だって星野さんはお仕事なんでしょ。自分ばっかりのんびりしてないで、たまの休みくらい家のことしてあげたら?」 とかいろいろ口挟んでくるに決まってる。休業日は彼も家にいないから、なんて弁解しようもんなら。普通に不仲を疑われそうだ。説明しても両親は契約結婚のことなんかとても理解できないだろうし。 …そう考えると今年はとりあえず実家、って手も使いにくい。少なくとも星野くんを連れずにわたし一人で帰省するのはどう解釈されるかわからない以上ちょっと気がひける。 だったら友達と一緒に旅行する、って言ったって。彼女らからしたらわたしは絶賛新婚中のはず、と思われてるし。会社の連中なら下手したら整骨院は夏季休業してることすら耳に入るかも。なのに彼を置いて友達と過ごすの?とかいろいろ痛くもない腹(そうでもないか)を探られることは想像に難くない。 わたしと星野くんがお互い自由な契約結婚である事実を唯一知ってる友人、佐藤美蘭は連休は彼氏と海外へ行く予定だって既にわかってるし。結婚ってことになると正直踏み切れなくて迷っちゃう、とか悩んでた割には。意外と交際順調じゃん。とか八つ当たりしても仕方ないんだけど。 わたしは途方に暮れて考え込んだ。…去年までと同じように過ごせばいいんだってくらいの感覚でいたけど。もしかして、ただ夫ができたってだけで。いろいろ今まで通りにいかない可能性があるかも…。 なかなかにタフな川田はすっかり満足した顔つきで、使い果たしてくったりしたわたしをバスルームから連れ出し、ふっかりしたタオルで丁寧に全身を拭いてくれながらちょっと熱を込めた調子で言い募った。 「…な?結婚したって世間や知り合いに知れ渡ると。意外とこれまでと同じってわけにいかないことも多いだろ。そう考えたら、ちゃんとお前たちの実情を知ってる存在って貴重だと思わない?気を遣う必要も何か隠さなきゃいけないこともないし。気楽だと思うよ、一緒に過ごすのには」 「まあ。…それは、そうかもしれない」 わたしは不承不承頷いた。でも。 「…だからって。九日間ぶっ通しで変態セックスとか、絶対にやだ。なんか、休んだ気がしないよ。あれはたまにだからいいんであって…。必ずしもいつでもしたいとかは。正直思ってないかな」 「ああ、そうか。俺と休みを過ごすと漏れなく絶対乱交がついてくる、と思ってるんだ」 川田はタオルを頭から被せてわたしの髪をくしゃくしゃ、と拭きながらやや面白がる口振りで言った。 「それも悪くないかな、とも思うけど。茜が嫌なら無理強いはしないよ。ていうかいっそのこと、二人でどっか旅行とか行こうか?普通のカップルみたいにさ」 意外な申し出に虚を衝かれて、わたしはタオルの隙間から奴の間近な顔をしげしげと見つめた。 「…川田はそういうの、関心ないかと思ってた。つまんなくない?わたしと普通に過ごしても」 率直な感想を述べただけだったけど、奴は何を思ったかバスタオルごとわたしをいきなりぎゅっと抱きすくめた。
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