第6章 彼のほんとを知りたい

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「思うんだけど。俺は茜の旦那のことなんか、もちろん全然知らないけどさ。毎年別荘へ避暑に行くくらいなら、そのお客さんは相当富裕層ってことだよな。家族もちゃんといるみたいだし、だから特別な支えは必要ないってことなのかもしれないけど。…だけど、障害とか困難を抱えてるからこそさ。ほんとに好きならその相手の人生を丸ごと引き受けてあげてもいいんじゃないの?と外野から見たら思うけど。…別の女と偽装結婚なんかしてる場合なのかなぁ。って、素朴な疑問だけどさ。それは」 …なるほど。 わたしはさっさとPASMOを取り出し、自動改札を抜けながら内心で唸った。一理ある、確かに。その疑問は。 川田は慌てて自分もカードを引っ張り出して何とかわたしのあとに付いて来た。脚を速めてぴったり距離を縮めて無邪気といってもいいような声で尋ねてくる。 「お前の旦那って、それともそういう奴なの?好きになった相手でも。面倒とか手間とか絶対引き受けたくないタイプ?自分の都合のいい時だけ訪問して。会って満足したらさっさと帰ってきてなるべく一人になりたいって考えなのかな」 彼が昇っていく階段を確かめ、予想通りの方向に向かってることを得心してからわたしは足を止めずに首を横に振った。 「そうじゃない。…あの人なら。絶対、苦労も困難も何もかもを共有しようって申し出るはず。…だから」 やっぱり今ひとつよくわからない。 わたしは心の中でぐるぐると迷い始めた。こんな風に彼の言い分を言葉通りに受け取らずに、こっそり後なんて尾けて。考え過ぎで、わたしの方が間違ってるのかもしれない。ただ星野くんはプライベートな時間も費やして自分のお客さんに誠実に向き合ってるだけなのかも。 でも、多分それだけじゃない。彼の何とも言いようのない目の色を思い出して考え直す。あの人はまだ、わたしに何もかもを打ち明けてはいない。もちろんそうしなきゃいけない義理も道理もないし。彼は何でも自分の思うように、何をわたしに知らせて何を隠したままにしておくか。選択の自由があるはずだ。 だけど、それじゃあの人をほんとに支える存在にはなれないし。わたしたちはいつまでもただ同居してるだけの他人同士のままな気がする。 だから。ここは怯んでないで、自分から動いて確かめに行かないと。 電車のつり革に掴まって揺られながらつらつらと考え込んでるわたしに、隣に立つ川田が肩を寄せて無遠慮に話しかけてきた。 「なあ、あのさ。いろいろ複雑に思い悩んでこんがらがってるみたいだけど。…結局、一番納得できる普通の解釈はさ。お前の旦那の恋人がやっぱり男で、そのことを隠すために茜と結婚した。って考えるのが妥当なんじゃない?本人が否定したってのは聞いてるけど、もちろん。…そのくらいしか。夫婦間でお互い恋愛禁止でもないのにお前に隠れてこそこそ会いに行く理由なんて。他にはそうそう思い浮かばないよ」 結局、星野くんが自己申告した行き先は言葉通りで嘘はないことが明らかになった。 顧客の方の名前は教えてはくれなかったけど。先方の別荘がある場所の地名は一応知らせてくれたから、わたしはその近くに二人分の宿を取ってあった。もしもその行き先が単に彼のカモフラージュで、本当の目的地が全く別の場所だったらどうするか。よほど遠方だったらその日のうちに軽井沢に向かうのは無理かもしれない。 でもまあ、考えても仕方ない。その時はその時。落ち合う相手の顔が見られるとか先方の名前が判明するとか。何か得るものがあればそこで追跡は切り上げるつもりだから。それから軽井沢に取ってある宿に向かって、川田には二泊分きっちり付き合って、埋め合わせをして許してもらおう。そう思って割り切っていた。 そういう意味では星野くんの目的地が正直申告だったことには何はともあれ安堵した。あんまり日本列島の端から端まで川田を連れ歩いて振り回す羽目にはならなくて。まあよかったとは思う。 夏休みのちょうどハイシーズンのタイミングだし、特急券は買ってあったけど自由席だったから(乗る車両の時間が定まらなかったので、指定席は無理)東京を出てしばらくは残念ながら座れなかった。途中でぽつぽつと席が空き始めると、川田は問答無用でわたしをその一つに座らせ、自分はその傍らに立ったまま気遣わしげに問いかけてきた。 「多分この感じだと、本人が事前にお前に知らせた通りの場所に向かうだろ。そしたらどうする?一体、こうやって疑ってわざわざ後つけてまで実際の行く先確かめて。何を知りたいんだ、茜は?…あいつがお前に嘘ついてないかどうか。それを確認したら気が済むのか?」 「そういうわけでもない、けど」 わたしは手を伸ばして奴の荷物を膝に載せようとしたがあえなく拒否された。考え考え言葉の先を継ぐ。
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