第5章 彼の知らないわたしの実情

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満たされた猫のようにふっかりと目を細めてそんな風に言われると。わたしは首をすくめ、身体の力を抜いて諦めて奴に委ねた。 確かにここは川田の部屋なんだし。本人がそこまで言い張るならまあ、いいや。 奴は一向にわたしの中から終わったそれを抜き去ろうとせず、下半身をぴったりくっつけたままで話を続けようとする。 …よくわからないけど、妊娠するためには終わったあと放出したものが中に長く留まるようにしばらくそのままじっとしてる方がいいって聞いた気がする。逆に考えたら避妊のためには最悪のやり方ってことか。まあいいけど、どうせピル飲んでるし。 わたしは釈然としない思いを抱きつつも、奴のしたいようにさせることにした。別に実害があるってわけでもないし。でも、なんでそこまで中にすることに執着するかな。 微かに不審な思いがなくもない。長い付き合いだけど以前は別にそんなこともなかったのに。これで子どもができるわけじゃないけど、気分だけでもこの身体を独占してる感覚を味わいたいとか? 確かにこいつが連れてくる名前も顔も覚えられない他の男の誰とも。こんな時間を共有する気には絶対にならないことは事実だけど…。 「今夜泊まってくだろ、茜?もうだいぶ遅いし。それにこんな状態じゃ身体に力入らないだろ。今から身支度して普通に起き上がって帰ることもできないんじゃない?」 「うーん、…それは」 そうかも。 言われて奴の腕の中から逃れて試しに上体を起こしてみようともがいたけど全く思い通りにならない。確かに、この状態で外を一人で歩いてみる気にはならないかな。 そう思って浅い息をつきながら小さく頷いたけど、奴はその反応に気づかなかったのか熱を込めた口調で更に言い募る。 「こんな時間にそんな様子でひとり歩きするとかマジで。とてもじゃないけど無理だと思うし、心配だよ。…それとも旦那怒るとか、やっぱり?何だかんだ言って外泊するといい顔しないとか」 「ああ、それは。…全然大丈夫だよ」 ふとその台詞が引き金になって脳裏にありありと星野くんの顔が思い浮かび、慌ててかき消す。ここに来て、あんなことをしながら一度も彼の存在を思い出しもしなかったのに。すっかり終わった今頃になって。 別に彼に対して疚しいことをしてるわけじゃないからいいとは思うけど。でも、ここで行われてるようなこととは彼は切り離された存在でいてほしい。だからわざわざこいつの腕の中であの顔を思い浮かべるような必要もないと思う。 「今夜は向こうも帰ってこない予定だから。今週末は泊まりなんだって。わたしが家にいようがいまいが、あの人はわからないから関係ないよ」 そう説明すると、川田はやや大袈裟に呆れたようにため息をついてわたしを引き寄せた。 「何だ、新婚なのに。せっかくの週末を二人で一緒に過ごすこともしないのか。なんか偽装結婚丸出しだな。レスで不能だって、ゆとりのある日の夜くらいただ腕の中にこうやってゆっくり抱きしめて体温を感じあって眠るだけでもいいのに。…お前を放ってわざわざ外に泊まりに行っちゃうなんて。なんか露骨だよな」 「そんな言い方しないでよ」 何故かその台詞にきゅっ、と胸の端っこが驚くほど痛んだ。…確かに、セックスなんてできなくても構わないから。 ただそっと身を寄せ合うだけでも気持ちは慰められるのにな、なんて。それまで考えもしなかった思いが脳に忍び寄ってきそうになる。 こいつから変な要らん影響を受けるわけにはいかない。わたしはぱっぱっ、と見えない手で頭の中の靄を手早く払った。その上できっぱりと自信を持って言い返す。 「最初からそういうのなし、ってお互い納得し合って結婚したんだから。むしろ、そんな風になる可能性があるって思ってたら家の中で落ち着いて過ごせないよ。異性と同居してる、ってあんまり常に感じていたくないもん。…それに、身体の関係も独占欲もなしの結婚だからこそ。…今までと変わらずこういうこと、してられるんだから」 自分の微かな動揺を追い払うようにそっと首を伸ばして奴の頬に自分の頬を寄せて、柔らかく押しつけた。 「川田だってこの方がいいんでしょ。それとも結婚したからもう続けられないよ、ってわたしが言い出しても構わないの?」 奴は案の定わたしを抱く腕に力を込め、強い口調で遮るように言い募った。 「まさか。そんなわけもちろんないに決まってるじゃん。ほんとにどんなに俺が安堵したかお前には多分わかんないよ。結婚はするけど旦那とは男女の仲じゃないし、外で誰と何をしても自由だからって聞かされるまではさ…。確かに、いつかは誰かと結婚するんだって思えば。こんな理想的なお前の相手は他にいないよな、俺たち二人にとって」 わたしの中に残したままの自分に刺激を与えるように、そっと腰を遣って動かしてみせる。わたしは図らずも反射的に中をきゅっと締め、微かに喘いで奴の背中に腕を回した。 そんなこと言うくらいならあんたがわたしと結婚すればよかったじゃん。と口にするのは憚られる。正直自分がこいつと四六時中一緒にいるところは上手く想像がつかないし。そうしたい、っていう強い意識もない。 どさくさに紛れてまた身体を弄られながら、呼吸を思わず弾ませつつ考える。 わたしたちは長い付き合いでお互いを知り尽くしてるとは言えるし、誰よりも深い近しい仲なのかもしれない。だけどそれはあくまで身体の関係に限定した意味合いにおいての話だ。 もちろん奴はわたしの仕事の内容やライフスタイル、家族構成についてまでひと通りのことは知ってる。学生の頃からの関係だし、普段から万障繰り合わせて会う予定をつけなきゃいけないからお互いの様々な事情については既に自然と飲み込んでる。 わたしも当然、川田の身の回りのこもごもについて一応大体のことはわかってる。こうして数ヶ月に一度くらい、集団での行為をするときにはこいつの部屋を使うことが多いし(ホテルを使うこともなくはないけど、やっぱり悪目立ちすると思う。数人で一つの部屋に入るところを誰か知り合いに目撃される可能性が絶対なくはないので、できる限り安心なこの部屋ですることが多くなる)。こいつがここでどんな暮らしをしてるか、自ずと目に入る機会もあるから。 わかる範囲で言うと、奴の身の回りにはあまり他の女の気配は感じられない。 こんなセックス大好きな変態のくせに、他の男たちと一緒にわたしでする時以外はそれほど遊んでるってわけでもなさそうだ。いやむしろ変態だからこそか。ごく普通のやり方じゃ満足できない身体なわけだから、逸脱行為のパートナーであるわたし以外の女でもなんとか解消できるレベルの欲求じゃないのかも。…それについてはわたしも他人のこと言えないが。
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