第5章 彼の知らないわたしの実情

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「そんな。ただの普通の仕事着だし。かっこいいとか…、そんな、いいもんじゃないよ。だいたい整体師なんて誰でもみんなこんな感じの服装だよ?」 それは知ってるけど。まあ、厳密にいうと全員が全員白とは限らない。最近は薄い青や緑、ピンクなどもあるのは看護師の制服とかと同じだ。 だけど星野くんには何の飾り気もてらいもない、こういうシンプルな昔ながらの真っ白が似合う。そういう意味で別にお世辞ではない。わたしは思わず知らず熱心な口調になって言い募った。 「それはもちろんそうだけど。なんか、わたしの知ってる普段の星野くんから急に、頼れるプロの顔になったみたいに感じて。単純にかっこいいなと思ったの。きりっとして知的に見えるし。ほんとにこういう格好、似合ってるよ。星野くんらしくて」 もともとすっきりしてる体型が更にしゃきっとして見えて。何だろう、今まで会った数人の他の整体師さんたちに較べて圧倒的に若々しいからってこともあるのかな。特別並外れて顔立ちが整ってるってわけでもないんだけど。なんだかドラマの俳優みたいに見える。 わたしが言い出した内容があまりにも予想外だったのか、彼は調子が狂ったみたいで耳を染めてどう反応していいかわからないように視線を逸らして呟いた。 「どうかな。頼り甲斐があるかどうかは、結局腕によると思うから。白衣が似合うとかより、まず下手くそじゃしょうがないからね。…そこは、種村さんに満足してもらえるように。頑張るつもりだけど」 わたしに台の上で横になるよう丁寧に促して、いつもの態勢に入ったところでやっと通常の職業的立場に戻れて精神的な落ち着きを取り戻したようだ。 「ちょっと。全身の様子をざっと確かめさせてね。…触るけど。大丈夫かな?」 「それは。…もちろん」 台の上でうつ伏せになって背中で彼の声を聴きながら、曖昧な気分で受け応える。ここに来て触るのは駄目とか絶対、ないでしょ。だって整体院だよ? 触らないでこの凝りを何とか解消して下さいとか、言う奴いるのか。どうしたらそんなことができると思ってんだ。オカルトか? でも、そんな風に考えつつも実際にその手がわたしの肩や背中、腰の状態を確かめるように軽く揉み始めると、ちょっとどきんとしなくもない。見かけによらず大きくてしっかりした存在感のある手のひら。力強い指の感触。…それから、そこから伝わってくる体温。 これでも整体には結構通ってる方だと思うけど。迷いのないその手つきを感じながら内心で予想もしてなかった自分の感覚に戸惑う。 やっぱり、知り合いの施術だと正直調子狂うな。自分に触れてる手の感触が誰のものか、こんな風に意識することになるとは思わなかった。 ふと、身体に触れてくる男の手、という共通点からつい先日のこもごもを想起してしまい慌てて脳内のぼんやりした記憶を払う。…ちょっと、この場でそんなとんでもないこと。絶対思い起こしたくない、としか。 だいいち、あれとこれとは何の似たところもないわけだし。と自分に懸命に言い聞かせる。単に手の主が男性で、わたしの身体の求めるところに応じて必要な処置を施すって意味では。…通じるものがなくはないけど。 肩や腰の状態を探るように確認してる確かなプロの手の動きからは安心感しか伝わってこない。…あんな風に。わたしの中の深い場所にあえて手を突っ込んでざわつかせて、ぞわりとかき立てるような。静かな凪いだ水面をわざと騒がせて収拾のつかない嵐を起こすみたいな。そういう行為とは、全然似ても似つかないし。 わたしの一番熱いところを容赦なく弄る冷たい指や、荒々しく忙しない乱れた手の動き。顔のない男たちの飢えたような、こちらから何かをありったけ奪い取ろうとするように群がる強引ないくつもの手。…思い出してみても全然、星野くんから受けてる今のこの感覚とはほど遠い。 わたしは微かに身体のそこここに未だ残ってる、複数の荒っぽい指や手や口の記憶を何とかまとめて振り払った。 そんなことなんかより。今はこの、わたしの凝り固まってる部分を探り当てて状態を確認してる彼の手のひらの感触を何も考えず味わっていたい。何とも言えなく心地よくて。…すごく、あったかい…。 「…やっぱり、身体の力の入れ方に独特の癖があるみたいだね、種村さんは。仕事柄長時間同じ姿勢でいることが多いから、それに拍車がかかってるっていうか。…ほんとは普段の姿勢からある程度改善した方が。身体はそれでだいぶ楽になるんだけどね」 「うーん、…この歳になって背筋伸ばせとか。なかなか…、難しいものがある、かな」 わたしは力を抜いて彼の手に身体を委ねながら、つい渋い声を出した。彼はそんな反応は当然予期してたみたいで、笑って軽く受け流す。 「確かに、小学生にするみたいにうるさく注意しても。大人の姿勢の長年の固まった癖を直すって言うほど簡単じゃないよね。でもまあ、自分の身体の負担を少しでも軽減するためと思えば。…いきなりは難しいと思うから、時間かけて何回か解しながら、段階踏んで正しい姿勢を時々思い出していこうね。…あれ、だけど」 ふと何かに気づいたように、手で肩を柔らかく解しながら小さく独り言めいた呟きを漏らす。 「なんか、こないだ家で触った時と少し様子が違うかも。…あのときほど強烈に強張ってがちがちに固まってはいないな。前回はほんとに、ところどころ血がちゃんと通ってないんじゃないかって思うくらい、冷たくなってるとこがいくつかあったけど…。なんか、心身リラックスするようなこととかあった?週末とかに」 うつ伏せでよかった。表情は見られないで済む。 だけど、肩や背中がつい反射的に強張ったのは感知されたかもしれないな。わたしは用心深く言葉を選びながら慎重に答えた。
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