ディア・ホロウ

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ディア・ホロウ

 その狭い空間で生きていくこと。小さなバスから見える景色が、僕の人生の全てだった。いつからか、多分生まれてきた時から、僕はここに居ることをなんとなくわかっていて、そしてこれからもそれが続くことを理解していた。  ことことことこと。ゆっくりと音を刻んでいくリズミカルなエンジンの駆動状態は、いつもの通り僕らが生きていることを示している。 「何にもないなあ」 「仕方あるまい、ここは世界と世界の間にある亜空間だからな」 「その割には田園風景だけど」  夏の日射しが照りつける水田の広がる風景を進んでいく様を見ていると、どうしてもここが世界の狭間とは思えない。  こんな境界に住み着く物好きな人間も居るのでは、結局生きる場所なんて関係ないんだなあ、となんとなく思っていた。  ことことことこと。 「さ、もうすぐ結界を越えるよ」  エンジン音の周波数が三増えたのを感じてから、窓を閉めた。境界をまたぐ瞬間だけは空間を閉鎖しないとならない。  窓の外で風景が一瞬だけ砂嵐に覆われた瞬間、外は暗い白さに取って代わられた。マップを確認すると「深雪の国・リュアル」と表示されていた。 「雪に埋もれた静かな国。でも、最近は少しおかしいと聞いているよ」  運転手のキーリがそんな風に切り出した。僕には何がおかしいのかがよく判らない。少なくとも三年前に訪れた時とは目立って違う部分など見当たらない。キーリの情報が間違っているとは思わないけれど、結局は根本のところを直に見なければ意味は無いのだ。  ごおおお、と座席の上の送風機が温風を吐き出す。年中雪に覆われたこの国では暖房が欠かせない設備だ、勿論このバスの中にはそんなものは搭載されていて当然なのだが。 「ウカ、起きろ」 「んあ」いつの間にか眠っていたらしく、キーリに肩を揺さぶられていた。「今何時?」  午前八時と簡潔に応えて、バスを降りていく。僕はそれに着いていくけれど、地面の雪に足を取られて、歩くのに手間取ってしまう。ブラウンのダッフルコートを着込んで進んでいくと、キーリが立ち止まって城を見上げていた。 「入るの?」 「いや、今回は入らない。用事があるのはここじゃないから」  ざくざくと雪を踏んで城の外周を辿って、裏側に向かう。白く広がる息を散らして、奥の方にある建物に入る。どうやら図書館のようだった。  木と紙の匂いが充満する空間は心地良く、僕の最初の記憶を呼び出してくる懐かしさに浸っていると、キーリはするすると書架をすり抜けて、受付の司書と何やら話し始めた。  僕には聞こえない声で話しているのは、キーリが気遣って話さないのか、それとも単に聴かせたくないだけなのか、その両方か。  適当に本を取り出して開いてみると、リュアルでの独自言語で書かれている。普通なら読み取ることのできない文字であっても、僕には普段使っている言語と変わりなく読み取れる。  昔から旅をして生きていれば、それくらいの技能は習うまでもなく身に付くものだ。 「小説は面白いけど、国のカラーで違いすぎるなあ」 「それはわかるけど、仕方のないことだよ」  ふっと視線を上げれば、金色の髪を揺らす少年が僕の目の前に立っていた。どこかで見たような気もするし、それは単純に僕が覚えていないだけかも知れない。 「君は?」 「イーファー=フロイレスタ。あなたは」 「ウカ。通称だけど気にしないで」  本を書架に戻して彼を見上げる。僕より数センチ背が高く、柔和な表情にはあまり色がなかった。どうしてだろうと考えても、そんなことはまあ、どうでもいいことだ。  適当に話していると、キーリが戻ってくる。話すことは終えたらしく、イーファーとも言葉を交わして外へと出て行く。 「イーファーにはこの国の案内をしてもらうんだ。話はつけてある」  三人でバスに戻り、何でか乱暴に発進させた。 「今回は素通りする予定だったんだけどね。目的地へ向かうゲートが壊れているからどうにもならないんだよ」  キーリは苛立たしげにハンドルを切る。この国は常に雪が降り積もっているのでアイスバーンなどもできないし、故に理不尽にスリップすることもない。 「ゲートが壊れるって、どういうこと?」 「さあ。それを見てみないことには何とも言えないな」 「この国には今、五つの国とゲートが繋がっているんだけど、今のところ三つが機能していないんだと聞いているよ」  ふうん。と頷いてマップに目を落とす。現在地を示すグリッドは真っ直ぐ北に向かっていた。 「すぴー」  ゲートの前に着いて疲れ切ったキーリが運転席で眠りこけているのを横目に見ながら、僕とイーファーで亜空間ゲートの確認作業を進めていた。  ゲートは基本的に人間の意識では感知できない類の空間の歪みなので、正確には閉ざされた空間限界を確かめることだけど。 「うーん。確かに空間の繋ぎ目が切断されてる。僕にはよく見えないけれど、境界は隣り合う国の性質と混ざり合って気象状態が変化するから、今みたいな吹雪が吹き荒れる状態になっているのは不自然なんだけどな」 「ウカはこういうのに詳しいわけではないの?」  知識は蓄えているよ。そう返して、それでもわからないこともあるけれどと付け足した。 「黒魔からこっちに来た時は普通に通れたけど、あっちにまた戻れるのかな? 今から確かめるわけにもいかないけど」 「環境を孤立させたいなら、それも出来ないだろうね」 「リュアルの周辺での関係ってどんな感じ?」  僕が知る限り、敵対関係にあるのは一つの国だけだったはずだ。それはリュアルとは全く違う、永遠の夏の国「シャイグ」。彼らがわざわざこちらへ来てまで空間を切断するというのは考えにくいけれど。  バスに戻って、前日に確認していた情報を再確認してみる。  アナクロなルーズリーフの束を真ん中のテーブルに広げて、キーリの貰っていたメモと照らし合わせる。  北のゲートから繋がる国とは特に関係はないらしいけれど、それでも可能性は考えておくべきかと無視はしなかった。 「そういえば、ウカは昨日から何も食べてないけど。大丈夫なの?」 「ん、今はお腹空いてないから。僕はそう頻繁に食べなくても大丈夫だよ」  キーリとは身体の造りが根本的に違うのは知っていた。僕がなんなのかも、多分知っている。 「ん? 後ろから何か来るね」  バスの後方に目を遣ると、吹き荒ぶ雪の奥から車のヘッドライトが薄く届いていた。常に雲に覆われて薄暗い中で、その光は目に悪い。 「ここを越えようとしているのかな。ゲートが閉ざされているのは知られているのかな」 「いや、知られてはいないはずだよ。ゲートが閉鎖されたのは一昨日のことだから、メディアにも情報は入っていない」  なら、そろそろ混乱が始まる頃だろうね、と言うと。 「まあ、この国を行き来する人は少ないから、広まるにしても時間はかかるかな」  僕の考えるより事態はのんびりとしていた。さっきから他の乗り物や人が来る様子もないし、つまりこれは真綿で首を絞めるようなものかと思い至る。  ならば。  リュアルは一体何をしているんだろう? 「首都に戻ろう」  僕の見解を聞いたキーリは呆れたように溜息をついた。 「ウカには隠し事は出来ないな。いいよ、戻ろう」 「キーリは何か知っているのか?」 「詳しいことはわからない。図書館の司書が知っている噂話程度だ」  バスの操作をしながら適当に受け応えるその口調には、警戒が滲んでいた。何か聞かせられない話をしていたのだろうか。どうせ僕に知れるんだから無駄なのに。 「そもそも此処に来た理由も、切断された周辺国からの疑問のメッセージを受けたからだものな。俺達のように定住しないもののフットワークを見込まれたんだ」  走り続ける道路には対向車が全くいない。これでは異変に気付く存在もそうそうないだろう。僕たちが最悪この国に閉じ込められれば、結局僕らは時間の差こそあれ動かなければならないのだから、遅かれ早かれの問題でしかなかった。  天井の扉を開いてそこにある小さな空間にイーファーを呼び寄せた。暖房はないのでそこは凍えるような寒さだったけれど、色々なものを置いている倉庫に似た場所だった。 「ここにさ、僕が生まれた時からの記録が残ってるんだ」 「これは、世界地図?」 「夜界(プラネタリウム)全体の構図を写し取った空間模型だよ。リュアルはこの辺りかな」  いくつもの国が宇宙の星のように昏い空間に浮かんでいる。そしてそれを星座のように繋ぐ糸が僕たちが通っていた境界部分だった。 「ウカはいつから旅をしているんだい」 「生まれた時からだよ。僕はこのバスからは離れられないから」 「へえ。珍しいな」  最初からいた場所であれば、思い入れもある。ただ、僕の場合はそれだけじゃないけれど。  夜界の模型を持ったまま下に戻って、今の状態を更新する。それぞれの国の位置関係は長い時間を掛けて変化していく。それこそ宇宙を漂う恒星が位置関係を変化させていくように。 「ここにある国全部に行ってたってことかな」 「うん。全部覚えてる」  楽しいことも嫌なことも、嬉しいことも哀しいことも、いつまでも覚えていて忘れない。僕はそういう存在だ。  暇潰しにイーファーに今まで行った国のことを話した。これは単に僕が思い出話をしたいだけではなく、運転しているキーリの眠気を阻害するためでもあった。  急ぎの用事でありながら、どこか間延びした感覚は、世界が閉ざされているからなのかも知れない。 「時間軸って国ごとに違うからね、結構時差ボケしやすいんだ」  まあ僕はしたことないけどね。毎回キーリの方が大変そうだった。  結局、首都にまで戻るなら丸二日は見ないと無理なので、こまめに休憩を入れる他ないのだけど。 「嘘だろ、この国で雪崩なんて起こらないぞ」  首都ユギーオに辿り着く二キロほど前の道路が大量の雪で塞がれていた。雪崩のような感じなのか、それとも別の要因によるものなのかは判別できないが、少なくともここで足止めを喰らうのは確実だった。 「参ったな、丁度この近くに迂回路がないんだよ」 「除雪用のアタッチメントがあったはずだけど」 「アレを使うとバッテリが上がるんだよ。そもそもアレは火炎放射器じゃないか」この状況では無意味だよとキーリは両手を挙げて仰天した。「まあでも丁度良いか。これから俺達が首都でやることを考えよう」 「ヒートランチャー!」 「うおおおおおお⁉」  僕が勝手に火炎放射器を作動させると、キーリが本気で驚いていた。 「勝手なことをするな、ウカ」 「どうせ誰も見てないだろ? 火炎放射もう一度いっとく?」 「駄目だ。ここで本当に足止めされるぞ」  わかっていてふざけただけなので、これ以上無理を押し通す理由も無かった。大人しくキーリの話を聞いて、これからの予定を立てようと椅子に座った。 「燃料は足りてる?」 「なんとか。後三時間は保たせられるだろ」  さて、と手を打って、キーリは今までとこれからの話を始めた。 「多分、この国の政府が周辺の国との協定を破っているんだ。黒魔とは直截的な繋がりがないから行き来できているだけで、多分他の国の意思に反することなんだろう」 「それを察知した周辺の国が境界を閉ざしたということか」 「図書館の司書から聞いた話も大体そんな感じだった。問題はリュアル政府が何をしようとしているのか、なんだ。そもそもここは資源より技術が高い国だから、その危険性も皆解ってるんだよな」  隣国の一つには軍事国もあり、そこと手を組む可能性があれば。そこに流れ込む資源を制限するのは自明の理だろう。僕だってそれくらいは予想がついていた。 「調べるのは半分終えている。けれどその研究の内容までは外部の人間には触れられないぜ」  だからってそういう奴らを籠絡する手段というのも俺達には乏しい。そう言ってキーリは別の策を提示してきた。 「隙がないように見えても、どこかで綻びは見つけられる。蟻の一穴って奴だ。だから、ウカに調べて欲しいんだ。ハッキングのやり方はもう学んでいるだろう?」 「そりゃあね。ここに居れば出所を隠すことも出来るから、ほぼ無敵だね」  イーファーにはキーリと同時に首都の城壁内に侵入する作戦を立てた。外部の人間を国の中枢に招き入れるのだから、バレれば最悪死んでしまうだろう。本当ならそんな危険な真似はして欲しくないけれど。 「危険なんて回避できるものじゃないことは解っているだろうに、そんな理想を語るんだな」 「理想は必要だろ? 僕はそういう風にできている」  キーリとイーファーは面白そうに笑った。  意識を沈め、目の前にホロキーボードを顕現する。その淡く光る板に指を走らせると、接続しているサーバーの一覧が表示された。国外サーバーの接続が出来ない以上、国内のものを複数踏んでアクセスするしかない。 「メイン警備システム発見。侵入試行。失敗、失敗、失敗、成功。ダミーシステムへの切り替えを試行。パスワード入力確認、プロキシキー、暗号化システム解析、施設内のソナー管理システムジャック成功、ダミーシステムの固定化を承認、ルートを検索―――」  研究所は城内にいくつも設置されていて、それぞれ別の研究をしている。それは当たり前といえば当たり前だけれど、リュアルの政府が主導しているものは「人の認識による無血殺害について」というものだった。  年中雪と氷に閉ざされたこの国では農業が全く発展しないのが悩みであり、もともと軍事力を大きくして成り立っているこの国では隣接する国を侵略したり懐柔したりして優位性を保っているところがある。  別にそんな国策に関してものを言う気はないけれど、それでも力を誇示するために人を殺すというのは間違っていると言わざるを得ない。  結局、そのために隣国との境界を断たれてしまっていては本末転倒な気もするけれど。  僕としては次の目的地に向かうための通過点で足止め喰らって、いい迷惑なだけなんだけど。 「キーリとイーファーが侵入に成功したね。聞こえる?」 『ああ。ルートは探れているね』 「確実に研究データはオフラインだから、僕には深層部までの案内しかできないけれど」  返事は無かった。これ以上無闇に声を発する必要が無いのだ。  研究所内に大きな動きは無い。警備システムが切り替わっていることに気付いていない様子だった。全てをAIに任せているが故の無関心が、警戒心を緩めている。  大きな出来事もなく進んでいく二人をカメラで確認しながら、それより深い階層のルートも押さえておく。しかし深部になればなるほど監視カメラの数が少なくなっていく。赤外線センサーもあるけれどそちらは既に解除しているし、つまりここからは人による警備なのかも知れない。 「アテンション。重量センサーがあるよ」 『ここは通れないな、おそらくこのレベルだとどこも同じような警戒をされているはず』  重量センサーは監視システムから切り離されていた。これも想定していたけれど、回避できないセンサーはこれ一つだけでないと思う。 「大丈夫? 引き返すのもアリだけど」 『ここは押し通る手もあるよ。敢えて踏み込むのも一興だ』 「遊びじゃないんだからさあ」  呆れたように言うと同時に向こうのマイクが警報音を捉えていた。本当に踏み込みやがる。無茶をするなあと呆れていると、キーリの反応が一瞬だけ判らなくなった。  それは座標が瞬間的に高速で移動しただけで、見失ったわけではなく。でもそうしなければならない状況であり、それを予測できなかったのが僕の欠点だった。 「キーリ、何をしてるの」 『ゴツいおっさんに追いかけられてる。撒くのはキツそうだから、目的地まで一気に向かうよ』 『ウカ、深層部のアンロックはできる?』  同時にイーファーからも通信が入った。こちらは問題なく潜入できているらしい。キーリとは考え方が違うのかも知れなかった。 「うーん。電子ロックじゃないからこっちからは操作できないな、僕にできることはナビゲートくらいしかないんだよ、今になると」 『肝心なところでアナログっていうのも、なかなか聡明だね』  わかるわー。  電子的ロックに頼りきらないのは正しい選択だと知っている。結局、確実な方法なんてそんなものかも知れないのだ。 「肝心の部屋の中を確認してないな」  見取り図には情報室と記載されている、データの在処には監視カメラだけでなく各種ロックがあるように見える。それら全てがアナログなもので、僕が解除することはできない。 「誰か、居るな」  データメディアの棚の前、誰かがそこに呆然と立っていて。しかしその眼は今僕がハックしているカメラに向かっている。彼はラフな私服の上に白衣を掛けており、よく判らない格好をしている。  じっと見ていると、彼は不意に指を空中で滑らせる。それは僕が今行っている動作と全く同じだった。  観察しながらそれを確認していると、じり、と耳元でアンノウンの通信が接続された。 『そこでずっと見ているが、お前は何もしないのか?』  情報室の警戒を見破っていることを見抜かれている。というかキーリがあれだけ騒げばバレるのも無理はないけれど。 「僕は、ここを離れられないからね。彼らのように動くのは無理だよ」  それより、と話を変える。同時にキーリとイーファーの通信機器にも音声を繋いだ。 『君は何故、人を殺める技術を推進しようと思ったの?』 『人の嫌がることを水面下で行うのは普通のことさ。自分たちがやっていることに善悪は本質的に存在しない』 「それは君たちにモラルが足りていないだけじゃないのか? やっていいこと悪いこと、判らないなんてのは自分の行為を正当化する言い訳でしかないだろう? 暗殺技術は質の悪いものでしかないのに」 『それはお前の価値観でしかない。モラルとか良識だとか、そんな朧で曖昧なものを中心に据えるような馬鹿馬鹿しい真似を私たちはしないだけだ。確実な利益と成果物を出せばそれで終わるだけの話だ』 「その結果として周囲から孤立しようとも? 最終的な利益からは離れると思うけれど。単純に現在の状況が君たちの有り様を否定しているとは思わないのか?」 『末端の職員は現状を知らないだけのこと。それに閉じられた空間を開く術が私たちにないとでも? 夜界の全ての国の位置を把握しているのは私たちの方だぞ』 「ん? 君が世界を理解しても、それでその全てを統べることはできないだろう。夜界に存在する三百の国を攻め落とすのは無謀が過ぎる。周辺の国だってそれを危惧してリュアルを切り離そうとしているのだから、根本的にその考え方が幻想めいているよ」 『幻想を現実にするのが我々の仕事さ。その辺りは子供の飯事と大して変わりはしない。朧なもの自身に幻想を語るのも不思議なものだがね』 「そんな飯事で足止め喰らうのも業腹なんだけどね。単に僕たちはここを通りたかっただけなのに。邪魔をするのなら、こっちだってそれなりの手段に出なきゃならないんだよ」 『ふむ、その言いよう。お前が「フロウ・ホロウ」か。数百年の長きにわたって世界を巡り続ける旅人の集団。その正体を知ることは叶わないのに、夜界全体に影響を及ぼし続ける存在』 「だったらなんだよ。僕はそんなこと何の気にもしないし、意味の無いことだろう?」 『気にするのはこちらさ。お前ほどのレベルの存在を敵に回すことが非常に厄介な事実だ。そうなれば、お前を先に始末しなければならんだろう』 「そこにあるデータを手放す気はないんだね?」 『愚問。今更破棄したところで重要データは既に王宮の深部データに収められている。それに―――』 「だったらいいや。もう、そこに対する手は打っているんだから」 『見つけたああああああああああああ!』  がどおん、と扉が開く音がしてキーリの声がいんいんと意識を揺らがすのを呆れた心情で聴いていた。  キーリは最初から城内の研究所ではなく城の地下にあるライブラリを目指していたのだった。僕が最初にキーリの策戦を聞いた時、その時点で既に予測できていたことだったので、動ける人員が二人であることを利用した動きだった。  勿論、イーファーの研究所内での動きもフェイクというわけでもなく、どちらも本命なのだけれど。 「キーリ、あまり騒がしくしない。脱け出すまでが策戦だよ」 『ゆーても他には誰も居ないぞ。本当に最深部だから、常駐する兵士も居やしないんだ』  どうやらさっきの兵士は撒いてしまったらしい。 『お前……っ』 「本当にセキュリティが甘いね。本当に盗られたくないものなら、自分の手の中に収めておくのが最適解なんだよ?」  どれだけ強固なセキュリティシステムを構築しようとも、大事なことは手の届く範囲で管理しなければ意味が無い。それは、数百年の旅の中で僕が得ていた教訓の一つだった。 『ウカ、こっちも見つけたよ。ドライブごと持ち出せばいいかな』 「大丈夫じゃないかな。ディスクにはマーカーなんてつけられないだろうし」  そろそろ研究所内部で警備システムがすり替わっていることに気付いてもいい頃合いだ。その前に抜け出せればいいけれど、多分無理そうだと判っていた。 「イーファー、そろそろ」 『ルートは覚えてるから大丈夫だよ。そっちの判断に任せる』  了解、と返して。  目の前に管理システムの制御パネルを展開する。どうやら電力などとは連携していないらしく、異常事態にはそれぞれの部署で対応するらしい。  パネルをスクロールして、一番下にある切断ボタンを押した。  音もなく、しかし確実に研究所の全てのシステムを強制停止した。同時にセキュリティシステムを書き換え、全ての扉の鍵を一定時間開かないように設定しておく。  メインシステムにはこの切断でこちらからもアクセスできなくなってしまったので、後は二人が帰ってくるのを待つだけだった。  念のために王宮の監視システムの方にアクセスしてみる。キーリがどうなっているのかが心配だから、どうしてもこういう余計な世話を焼きたがるのが癖だった。  いくら僕たちが不死の存在でも、それを封じる手段は幾らでも存在している。意味も無く苦しむことの無駄さは、昔から痛いほどに理解しているのだ。  途中で見つかったのか追いかけられている。  兵士がレーザー銃を持ち出しているのを見て、キーリは小さく舌打ちしていた。  あんなものを撃たれたところでキーリは死にはしないけれど、再生には手間取ってしまうのでなるべく受けたくはない攻撃のはず。かといって対抗できる装備は持っていないのだから、やっぱり僕が手助けする他なかった。  管理システムをタイミングを見て落とした。  ばつん。  そんな音がして王宮の照明が全て落ちた。  暗闇の中でどう立ち回るかなんて、キーリは疾うの昔に知っている。  結局、どんなことも経験の差でしかないのだろう。  数日経って、僕とキーリは未だリュアル国内から出られずにいた。僕たちが持ち出した暗殺兵器のデータはイーファーの独自ネットワークで周囲の国にばらまいてしまい、兵器としてのアドバンテージは既に無くなってしまっていた。 「暇だねー」 「暇だなあ」  仕方なく二人でボードゲームに興じていると、バスのドアがノックされた。誰だろうと見てみれば、イーファーと、最初に立ち寄った図書館の司書だった。  どうやら彼女も国外に出ようとしていたらしく、問題の解決への道を開いた僕らにお礼をしたいとイーファーに頼んだらしい。雪の降る中でここまで来るのに時間がかかったろうに、律儀な人だ。 「ウカさんとキーリさんはこれからどこへ向かうんです?」 「僕らはこれから北の方にあるゲートに。約束している人がいるんですよ」 「約束ですか?」 「ええ、生まれた時からの約束です」  僕が生まれた時。正確には製造された時に始めて認識した親のような人達と、定期的に帰ってくるように言われていた。もう七百年も昔のことだけれど、いつまで経っても忘れられない人。 「ウカは今もその工場で整備されているんですよ。もう、製造した人はいませんけど、技術を受け継ぐ人たちはいますから」  キーリも同じ場所で生まれた人間ではない「何か」の一人だ。  ずっと、人間には認識できない朧な存在として生きている。生きていく。 「フロウ・ホロウという名前は旅の途中でつけられた名前なんですよね。座敷童子みたいな扱いですけど、まあ面白いから訂正もしなくなっちゃってそのままなんです」  イーファーは楽しそうだった。彼もどこかに行くのか、完全に旅支度で此処に来ていた。 「これから里帰りですか。不死の存在が生まれる場所となると一つしかありませんね」 『終わらぬ春の国・桃花郷』  その国がいま、どのようになっているのかを考えるのもまた楽しみだ。  開き始めたゲートを潜りながら、雪に覆われた空気が溶けていくのを感じ取る。次の場所に向かう度に心は弾み、いつまでも楽しい。  そればかりが僕達の行く途だ。
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