故郷を離れたら

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夏子は北海道生まれの典型的カントリー娘で大都会を夢見て上京したが、まだ就職する自信もなく、親戚の家に一ヶ月間のステイのお試し期間を経て決める事にした。とりわけ特技もなく、何にも無い田舎暮らしが身についていて、考えてみたら人ごみなど体験したこともなく、東京駅の地下でキョロキョロしながら、伯母との待ち合わせ場所を探すにしても立ち止まれない恐怖に襲われ歩きながら迷わなければならなかった。改札口を出てからビル地下のフルーツパーラーを角のお花屋さんに聞いていたら伯母が「ナッチャンでないかい。」と背後から懐かしい声が聞こえて安堵感と共に振り向いた。伯母と会うのは十年振りだった。伯母は二十代で東京に嫁ぎ、長年食堂を切り盛りしていたが、夫が他界した後は貸しビル業をしていて、一階には長男夫婦がカフェを経営している。夏子は一ヶ月間滞在する伯母の家へと向かった。伯母は懐かしそうに、北海道の家族の近況報告を聞いていた。伯母宅は地下鉄駅から比較的近く、ビルも八階建で、到着すると思わず見上げてしまっていたが、長男夫婦が「やあ、ようこそナッチャン。」とカフェの自動ドアが開いて出て来てくれた。「お店で何か飲むかい?それとも最上階の我が家へ直行するかい?」と聞かれ、田舎にはないモダンな雰囲気の中に吸い込まれていった。満席ではなかったので、伯母と二人でカウンター席に腰かけた。「クリームソーダー飲みたい。」とカラカラの喉に思わず言わされてしまっていた。少し語らい、一旦また自動ドアを出てからエレベーターに乗り八階を伯母が押して、北海道の実家とは異なる都会の中のワンフロワー使用している室内へと入っていった。夏子の部屋も用意されていて、先に送った荷物も届いていた。少し疲れが出て伯母には休みたいと言い、夕食までフカフカのベッドに潜り込んだ。長い昼寝だった。心配げな伯母の声を実家の母の声と勘違いしながら目覚めた。既に夜の8時を過ぎていて、幸い家族全員が集合していて、伯母も「ナッチャン疲れて爆睡していたから、こんな時間になったけど、お腹空いたよね。」と、田舎の母と似た声だった。ダイニングテーブルではなく、和室の部屋に料亭にでも招かれたようなご馳走が並んでいた。長男夫婦も3人の子供たちもいて、みんなで「ナッチャン、いらっしゃい。」の乾杯をした。長男の娘が、「ねえ、明日原宿行こうよ。」と早速声をかけ、2人で出掛ける事にした。初めての竹下通りだった。お腹一杯になり、お風呂に入り、年下の長男の娘のチカが「今夜はお姉ちゃんと一緒に寝たい。」と言ったので、蒲団を2人で運び、ベッドは折りたたみ、並んで少しお喋りしたら、チカが先に深い眠りにつき、夜中に寝相の悪いチカからの足のキックを受け、下校の途中に牛に追いかけられドーンと突かれてしまった夢で目覚めた。朝食は1階のカフェでみんなで食べに行きトースト、コーヒー、ゆで卵とミニサラダと都会の朝の初日を満喫して、チカと2人で原宿へと向かった。思った以上の人通りの多さに圧倒されながらもチカお気に入りのグッズやブティックに入り、お決まりのクレープが焼けるのを待っていたら、男性に声をかけられ、名刺を渡された。芸能界へのスカウトだった。夏子はまさか芸能界だなんてと、きっと私は騙されていて、このままついて行ったらポルノ映画とかに無理矢理出演させられ、私の東京での生活は転落から始まり、また田舎へ出戻りし、一生トラウマになり、二度と上京することはできなくなると思った。名刺は受け取ったが、家族と相談しますとだけ伝えて、原宿のプロダクション事務所が近いから一緒に行って話をしたいと言われても断り、後日と言うことにした。チカは「ナッチャンが行かないなら、私が行きたいけど、私がスカウトされたわけじゃないから、でも付き添いで行きたいな。」とため息混じりで呟いた。帰宅してからも、名刺が本物なら、有名歌手とかタレント所属しているからと、ネットで伯母たちと検索してみた。翌日になり、会社に電話してみたら、お正月ドラマの主人公にイメージがピッタリ合い、田舎の素朴さが出ているから是非きて欲しいと言われた。北海道の田舎へも電話したら、母親がびっくり仰天していまい、騙されていたら大変と上京して一緒に出掛けてみると言う話になり、母親の到着を待ち、原宿のプロダクションへと伯母とチカも同行した。四人で押しかけてしまったのだが、このスカウトは事実であり、「お嬢さんは北海道ロケにはマッチした素朴さと寒い土地で生き抜く力強さを持ち合わせている雰囲気が滲み出ています。」との理由を説明され、夏子と母は思わず笑ってしまっていた。確かに田舎で暮らしていて、そのままの姿で上京してしまったのだから、洗練されていないのが功を奏し、少し戸惑いを感じながらも、演劇部にも入っていなかったのだから、自信は全くなかったので、「一晩考えさせて下さい。」とだけ伝えて、その夜は家族会議になるはずが、みんなは「ナッチャンおめでとう!」と乾杯になってしまった。夏子は素直に「全く自信ないけど、北海道ロケなら何とかなりそうだし、北海道弁も普通に話せるからトライしてみようかと。」みんなは大賛成してくれた。母親もしばらくは夏子に会えるならと喜んでいた。チカは「私もエキストラで良いから出演したいからナッチャンから頼んでみて。お願い。」と、心は既に一緒に空を飛んで北の大地へ降り立って居た。 遂に原宿のプロダクションでの契約を済ませて、母は先に北海道へと戻り、夏子はクランクインになり、新人女優としての新たな人生を歩み出し、チカのおまけ付きで北海道へとロケに向かった。両親役の有名俳優やら、顔合わせ時には胸の高鳴りが止まらなかったが、チカは妹役となり、単純に顔が似ているだけだったが、彼女の熱意にスタッフは折れてしまっていた。しかし、物怖じしない性格というか、怖いもの知らずの若さは周りを和ませていた。夏子としては北海道から遠く離れ、せっかく大都会での生活がスタートすると思っていたのに、またしばらくは田舎暮らしになり、私の人生って、やはり北の大地向きなのかしらと困惑状態に陥っていたら、監督から、「夏子くん、次回作は沖縄かハワイにするよ。僕、寒いの苦手かも。」と言われて、思わず「あの私、ハワイが良いです。」と言ってしまい、監督も「キミも女優らしくなってきたね。」と返され、どちらにしても田舎が似合う私なんだと溜息をついてしまっていた。その夜、宿泊先のホテルの夏子の部屋のドアをノックする音が聞こえ、「ボクだけど。」の声に動揺する様子もなく、躊躇いもなく、彼の胸に顔を埋めた。もう田舎娘ではない虎視眈々とした女優の姿をさらけ出した夜だった。早朝夏子は先に目覚めて、何だかんだ今までよりも一層遠くの世界に舞い降りた不思議な夜明けを迎えていた。
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