<第三話・小倉港という少年>

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『休み時間は一緒に遊んだりしなくて、教室に一人残ってることが多かったけど、孤立してるって雰囲気じゃなかったと思う。俺らも最初は誘ったし、断られるたびかんじわりーなーと思ったけど。段々そういうのじゃないんだなってのはわかってきたし。ていうか、あいつ体育は苦手だったし。ただ本読むのが好きなだけなら、邪魔しちゃ悪いなーって思ってほっといた。でも、全然クラスで嫌われてはいなかったと思う。頭いいから、話すと結構面白かったというか、よくみんなの相談役になっていたというか』  なるほど、そういうタイプか、と納得した。そして聞けば聞くほど、それが“一年生の男の子”の印象から外れていくことに気付く。話だけでも彼が、年不相応なほど聡明で、落ち着いた少年であったことが伝わってくるのだ。なんといっても彼が提示した“海外で映画になった小説”というのは有純も心当たりがあるものだったのである。  確かに翻訳されて、本屋に並んでいるのは見たことがあるし、手にとってあらすじを読んだこともあるが。はっきり言って、もっとフリガナを振ってくれ!読めねえよ!と思った記憶しかないのだ。とても哲学的な内容で、子供がわかるような代物ではなかったのだろう、という話も聞いたことがある。それを、小学一年生で普通に読んでいた彼が、どれほど凄いのかということも。  きっとみんなに頼りにされる少年だったのだろう。そしてきっと、自分が得意なことと苦手なことがはっきりよくわかっていたのだ。少なくとも、周囲にはそう認識されて、認められていたに違いない。大人がそれを、どう見ていたかは定かでないが。 『どっちかというと、メンタルは強い方だって思ってたし。一人でいるのが苦痛ではないタイプっぽいかんじだから……その、あいつが自殺したって聞いた時はショック受けたし、信じられなかったかな。なんで?って思った。俺、そこまで仲良かったわけじゃないけどさ。人にいじめられるようなヤツじゃないし、そんな目に遭っていいやつでもないよ。正直、そのいじめたヤツ、ふんじばってやりたいくらいだ』  他にも小倉港についてあっちこっちに聞いて回ったが。驚くほど、彼については悪評を耳にしないのである。口を閉ざして話すことを拒んだ者はいたが、そうではない者は一様に“いじめられていいようなヤツじゃない”“加害者が許せない”“結構助けて貰ったことがある”ということを話した。友達と群れるタイプではないけれど、それでも一種のアイデンティティのようなものを確立させていて、そして皆に凄いと認められていた少年だったというのがよく分かる。同時に、頼れば一生懸命助けてくれようとする、人格者であったということも。  そして、口を閉ざす人間は――そう、元四年三組の生徒ばかりだった。おかげで、実際の四年三組の生徒からは、殆ど話が聞けない状況である。小倉港の名前を出した途端、顔を暗くして会話を拒絶してくる者が大半だった。中には泣き出してしまった女の子までいる始末である。  それはまるで。彼の名前が、何かタブーのように扱われているかのような印象で。唯一聞けたことは、ある少女が口にした一言だけだった。
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