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打球は必死で飛び付いたショートのグローブの先を抜け、レフトの前に転がった。
キーンと耳鳴りがして、はっきりと音が聞こえない。
通路を挟んで立っている母校の生徒たちから悲鳴が上がっているにも関わらず。
自然に口からこぼれた「あーっ!」という嘆きを呑み込んだ。
三塁走者がホームに帰り、打者は一塁で止まった。一塁ベースの上で何度も手を突き上げている。
マウンドには内野手が集まり、止められなかったショートがグローブのはまった手を小さくあげていた。
守備が配置に戻ると試合は再開された。
ピンチは続いていたが、次の打者を見逃しの三振に仕留め、8回の裏が終わる。
たった一点。
終盤にきてのこの一点がとても大きくのし掛かる。
せめて同点に追い付くまでに残された回は、9回表、この一度だ。
娘との会話が過る。
『甲子園に行けたらどうする?』
『応援行かんといけんのかねぇ、宿題忙しいのに』
『でもさ、人生のうちで三回しかチャンスないんだよ?それまでに県予選勝ち抜かなきゃならないんだから、ほんと貴重だよ?行けるもんなら行ってみたくない?』
『まあそりゃそうだけど…』
この試合を制して、あと一戦。
貴重なチャンスに手が届くかもしれない位置にいる。
一点返すだけで良い、延長戦に入っても良いから。
伝う汗を拭い、飴を口に入れた。
隣の人に勧めてみたが、既に自前のを口に含んでいたようだ。
野球が好きだと思ったことはない。
甲子園にだって思い入れは無かった。
けれど今私は、在学中の、あの30年前と気同じ気持ちでここにいる。
頑張れって祈ってる。
夏の日差しの中でも、寒風に晒される冬も、雨だろうと風だろうと、彼らは白球を追う。
ただひたむきに、あの聖地へ向かうために。
そんな球児を目の当たりにしたら、普段がどうであれ、知らず知らず熱がこもる魔法にかけられてしまうのかもしれない。
一日のうちで一番気温が上がる時間帯になった。
日傘を差す観客が多くいるなか、帽子を目深にかぶり、私は勝負に向かう打者を見つめた。
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