パラサイト・オウジサマ

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 目の前に、王子様が現れた。  カッコよさの比喩だとか、運命の人だとか、そういう意味じゃない。ホントにホントの王子様が、目の前に現れた。  季節は秋の始まり、ここはスクランブル交差点。くたびれたスーツをまとう仕事帰りの私の右手には、半額シール付きのお惣菜が入ったビニール袋。 「この世界には、こんなにたくさんの人がいる。その中で、僕の瞳に映ったのは貴女だ」  両手を広げ、情熱的にうったえてくるその人は、サファイアみたいな青い目をしていて、髪の毛は茶色がかった金色だ。え、カラコン? カツラ? それとも外国の人? 「どうか、僕を助けてください」  ビニール袋ごと、両手を握られた。日本人離れした白い手は、つやつやとした紺色の袖につながっている。肩はちょうちんみたいにふわっと広がっていて、その上にはワインで染めたような深紅のマント。え、ホントに何なのこの人、カラータイツはいてる男の人なんて初めて見たんだけどっ! 「何アレ、コスプレ?」と、私の横を通り過ぎて行ったカップルのひそひそ話。「王子様とOL?」「斬新な組み合わせだねー」遠ざかっていく苦笑い。ちょっと待って、違う、私は仲間じゃないの! 「国を追われました。僕には、頼れる人がいないのです」  王子様の目から涙が零れると同時に、けたたましいクラクションがなった。そうだよ、ここは交差点だ。歩行者用の信号は、とっくに赤になっている。 「あのっ、とりあえず、こっちに……」  王子様の手を引くと、「ありがとうございます!」と青い目がぱあっと輝いた。――待って、違うからね、そうじゃないからね!  何とか横断歩道を渡り切った。握られていた手を取り戻し、数歩、後じさる。 「あの、仰ってる意味が、分からなくて……、お困りなら、その、警察とかに……」  上ずった声でそう言った。けれど、王子様には聞こえていないみたいだった。王子様は、地面に片膝をつくと、私の足首に触れた。へっ、と喉から素っ頓狂な声が出る。 「怪我をしているのではないですか? 右足を引きずっているようでしたが」 「えっ、別に怪我なんて、……って、ええ!?」  私が言い終わる前に、ひょいと抱き上げられていた。これは、きっと、ぜったい、もしかしなくても、お姫様だっこ。待って、ほらみんな見てるから、ちょっと、待って、ホントに待って。  王子様は、植え込みを囲うレンガに私を座らせた。「失礼」と声がかかって、右のパンプスが脱がされる。 「ちょっ、」 「やはり怪我をしている」  確かに、ストッキングの親指のところに血がにじんでいるが、それはよくあることだ。そんなことよりも、パンプスを取り去った足はすさまじいにおいを放っているはずで、そっちのほうが大問題だ。「あのっ、あの、あの」と言葉にならない音が口からもれる。 「この世界に馬車はありますか」 「ないです!」  あ、ないことはないか。――違う違う、そんなのはどっちでも良くて! 「あれが馬車の代わりですか?」  王子様が指差したのは、道路を行きかっている自動車。代わり? 代わりっていうか、進化系? 「たぶん……?」と首を傾げると、「借りるように交渉をしてきます」と王子様が立ち上がった。 「いやっ、無理です! 借りられません!」  私も立ち上がって、王子様のマントを掴む。シンデレラのガラスの靴のように、パンプスを片手に持った王子様はこちらを振り向くと、かっと目を見開いた。 「いけません! その足で立ち上がっては!」 「全然大丈夫ですっ! なので靴、返してください! その靴も、ぜったいヤバイにおいを放ってます!」 「においですか?」  きょとんとする王子様に、「そうです!」とやけくそで頷いた。 「ぜったいくさいです。一日歩きとおしたんですからぁっ!」  もうやだ、泣きそう。ホントに泣きそう。あ、泣いたかもしれない。王子様がぎょっとして、私の顔を覗き込む。 「申し訳ありません。こちらはお返しします」  王子様はまた片膝をつくと、私の足元にパンプスを置いた――と思ったら、私の足に、そのパンプスを履かせてくる。ぎぇっ、とカエルの鳴き声みたいな声が出た。もうやめてよ、くさいって言ってるのに! 「……僕の長靴も同じですよ?」  私を見上げ、王子様は首を傾げる。「靴とは、そういうものだと思うのですが」と続けられ、「へ?」と間の抜けた声が出た。 「ご不快な思いをさせてしまったのなら申し訳ありません。ですが、その怪我は見過ごせません。馬車が借りられないのなら、僕が貴女のお屋敷までお連れします。……失礼」  王子様の手が背中に置かれ、もう片方の手は膝の裏に差し入れられた。 「あのっ、待ってくださいっ! 別にこんなの、いつものことなので、怪我ってほど大袈裟なものじゃないんです。だから、ちゃんと歩いて帰れます」  その言葉は、王子様には逆効果だったようだ。「いつもこんな怪我をされているのですか? それは穏やかではありません」と眉がつり上がった。なおも言葉が続こうとするので、「間違えました!」と途中でぶった切る。 「いつもじゃないです。たまに、怪我をするんです。今日はその、たまにの日です」  まくしたてると、「いつもではないのですね。良かった」と、王子様の表情がやわらいだ。心の底からほっとしているような、優しい瞳だった。何故だかとつぜん、胸の中に懐かしさが閃いた。  その後、まるで舞踏会のお姫様みたいに、私は王子様に手を預け、ひとり暮らしをしているアパートまで帰った。全身全霊でお姫様だっこを拒否した結果の折衷案だ。 「それでは、くれぐれもお大事に。僕は城へ戻ります」  ソファまで私を連れていくと、王子様は恭しく頭を下げ、玄関の方へ向かっていった。――って、あれ? ちょっと待って、 「国を追われたとか言ってませんでした?」  深紅のマントに声を掛けると、王子様は「ああっ、そうでした!」と素っ頓狂な声をあげた。ええっ、そんなにかるーく思い出すようなことなの!? 王子様はこちらを振り返ると、読みかけの雑誌やチラシが散らかった床に、片膝をつく。 「城へは戻れません。反逆罪で処刑される予定だった僕を、魔女が辛うじてこの世界へ送ってくれたのです。王の誤解を解くため、魔女が手を尽くしてくれていますが、今の僕には、帰る場所がありません。どうか、僕をここに置いてください。その対価として、貴女のためなら、僕は何でもする覚悟です」  数秒前の私は、何でこの王子様を呼び止めてしまったんだろう! そのまま帰っていただくのが、間違いなく正しい選択だったのに!   私が口をぱくぱくさせていると、王子様が顔を上げた。視線が重なった瞬間、私は息を止めた。青い瞳は、まばたきもせず、ひたすらに真摯に、こちらを見つめてくる。その瞳から視線を逸らせないでいると、この王子様が先程見せた優しい表情を思い出した。どうしてあのとき、この青い瞳に懐かしさを覚えたのだろう。問うてみても、分からなかった。けれど、懐かしさが胸に込み上げたのと同時に、私は口を開いていた。 「じゃあ、……誤解がとけるまでなら」  ん? 私はいま、何を言った!? ――我に返ったときには、王子様が、私の手をしっかりと握っていた。「やっぱなし」と言おうにも、 「貴女なら必ず、僕を助けてくれると思っていました。本当に、ありがとうございます」  何度も何度も繰り返されて、取り消すことなんてできなかった。  こうして、私と王子様の同居が始まった。この後、ブーツで部屋に上がっていた王子様が、私が止めるのも聞かず、マントで床を拭き始めたのは余談だ。  ――この人、ホントに王子様?
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