死神のはなむけ

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 その日は夕方からひどい降りとなった。清司は寂れた酒場でヤケ酒に浸りながら、店の庇を叩く雨音を聞いていた。ばしゃばしゃと軒先から滝のように流れ落ちる雨は、完全に外の景色を遮断し、清司をいっそう暗く孤独な世界へと閉じ込めた。  清司が贈った絵を涙ながらに喜び、清司の訪問をいつでも歓迎してくれた老婆が先ほど息を引き取った。手術を施せば助かったかもしれない命だった。だが老婆には金がなく、清司にはその手術を施す術がなかった。『絵で病が治るなら医者など要らん』という父の言葉がこの時ほど清司を傷つけたことはなかった。  したたかに飲み、最後は店主に追い立てられるようにして店を出たが、酔いはほとんど回っていなかった。それどころか頭の芯が、いつも以上に冷たく冴えている。  雨で増水した川にかかる橋のたもとまで来ると、ひっそりと心細げに佇む小さな人影が見えた。まさかと思い駆け寄ると、果たしてそれは秋緒であった。大降りの中、貧相な傘はほとんどその役割を果たさず、寒さと不安のせいだろう、その顔はいつにもまして白く、強張っている。だがやってきた清司に気付くと安堵したのか、濡れて額に張り付く前髪を手の甲で拭いながら、花のように笑った。 「お前、どうして……、一体いつから!」 「傘をお持ちにならずに出られたようでしたから。この橋は必ずお通りになると思ったので」  そう言って清司のために急いで男持ちの立派な傘を開こうとするのを堪らず抱き締める。 「あッ」  清司の腕に捕われた細い身体はひどく冷え切っており、粗末なズボンの裾や、草履を履いた足はぐっしょりと濡れそぼっていた。何かたまらない気持ちになって、清司は喉奥を詰まらせた。 「……この莫迦、医者の家の者が肺炎でも起こしたらどうなる」 「はい、……申し訳ありません」  秋緒は清司の腕の中で身体を強張らせながら、震えるような溜め息を吐いた。艶っぽい仕草に惹かれて顔を上げさせると、秋緒はやるせないような目で清司を見つめ、それから清司の肩越しに暗い空を見上げた。 「どうした」 「今宵は、満月だと聞いていたのですが、……残念です」
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