第二章

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 パーキングですこし休んだあと、ゆっくりと海沿いの道を走った。  外海に沿って伸びる自動車専用道路は、今の季節はまだ走る車も疎らで、のんびりと快適なドライブコースだ。  見晴らしのいいレストランを見つけ、早めの食事をすませたあと、海辺の駐車場に車を停めて海岸に出た。  防砂林を抜けて海に出ると、包み込むような波の音。  海の青と空の青が遠い水平線で交わってる。  コントラストの曖昧な初夏の海。  砂浜に出ると風が強かった。  フワリとした濃紺のワンピースの裾が激しくはためく。  片手にサンダルを下げ、もう片手で裾を押さえると、乱れた髪が視線を遮る。  あたしは小さな悲鳴を上げた。 「もぉっ、なんなのこの風」  よろめく背中に手を回し、響が体を支えてくれた。  ハイヒールのサンダルを脱いでいると、彼の顔は完全に見上げる位置にある。 「そんなヒラヒラした格好してくるからだよ」  言われて、「ひどぉい」と口を尖らせた。 「響ぃ…」彼の腕の中で手を伸ばし、頬を引っ張った。 「痛っ、なにすんだよ!」 「あなたのために着てきたのに、その言い方はないんじゃない?」 「俺のため?」  響は「僕」と「俺」を気分で使い分けてる。彼が自分を「俺」と言うときは、なにかに不満があるか、ご機嫌斜めのときのようだ。 「当然よ。他に誰がいるのよ?ずっと迷って選んだんだから」  オフィスではクールな感じのスーツが多いから、プライベートではフェミニンな格好を見せたかった。可愛すぎてもいやだけど、落ち着きすぎると彼とのバランスが取れない気がして、今日着ていく服が決まらなかったのだ。 「わかったよ。でも、ほっぺた引っ張ることないだろ」 「女心が分からないからよ」  とは言ったものの、正直に言えば一度引っ張ってみたかっただけ。  細面で滑らかな響の頬は、思った通りなかなかの感触だった。  病みつきになりそうなくらい。  あたしは響の腕を離れ、波に向かって歩き始めた。 「だったら次来るときも僕のために着てくれんだよね?」 「次って?」  クルリと後ろを振り返り、首を傾げた。 「夏にくるときだよ。やっぱビキニがいいな。みんな振り返る際どいヤツ」 「ブーッ、それ却下!」  あっさり言うと、ふたたび背を向けた。 「なんでだよ」  後ろで怒ってる。 「焼いたらシミになっちゃうもん」 「オイル塗ればいいだろ」 「ダメよ、そんなんじゃ。なんにも知らないのね」  強い風のせいか、午前中には姿の見えたサーファーたちも姿が見えない。  髪を抑えて波打ち際に立つあたしの背後に、響が近づいてきた。 「だったら奈緒は南の島とか行けないね」 「あら、それは別よ」  すぐ後ろに立った響の顔を見上げて言った。 「なんで?」 「そう決まってるの」 「わがまま~」  あたしは小さく肩を竦めて笑った。  彼と南の島に行く日なんてくるのだろうか。 「ねぇ、あれ、何かな?」  遠くを指さしていった。  ずっと先の浜辺にパラグライダーのようなものが漂ってる。 「カイトサーフィンじゃないの?」 「カイトサーフィン?」 「そう、あの凧みたいなヤツに引っ張られて波に乗るんだ」 「詳しいんだ」 「友だちにそういうの好きなヤツがいるからね」  彼の腕が肩に回され胸元に抱き寄せられる。さっきよろめいたときよりずっと優しくて自然なしぐさ。  あいかわらず年下のくせに慣れた身のこなしは可愛くないけど、でも、今は許せる気がした。  唇が近づいてくる。 「人が見てるよ」小さく言うと、 「どこに?」響が答えた。  次に答える前に、唇は唇で塞がれていた。  長く甘いキス。  やっぱり海は正解だと思った。  テンションの上がり方が倍くらいちがう。  こんな場所で抱きしめられて、甘くキスされたら、今この世界にはあたしと響の二人しかいないような錯覚に陥ってしまう。 「響……」心の中で彼の名前を呼んだ、  のに、  次の瞬間、彼の手が背中を滑り降り、ワンピの上からお尻を撫でた。  舌先が唇を割って侵入しようとしている。 「もぉっ」  胸を押して、体を引き剥がした。 「場所を考えなさいよ」顔をしかめて言った。 「止まんなくなっちゃった」と響は照れた顔で笑ってる。  ほんと、見境ないんだから。  あたしがなおも波打ち際を歩こうとすると、響が声をかけてきた。 「ねぇ、風、強いし、このままじゃ風邪引いちゃうよ。車に戻らない?」  ちょっと鼻に掛かった声。続きがしたいと顔に書いてある。  こういう時だけ年下っぽく甘えてくるのはずるい気もする。 「せっかく来たのに」  そう言ったものの風が強いのは確か。それにあたし自身、落ち着かない気持ちもあったりして、言われるままに駐車場へと戻ることにした。  防砂林の向こう側に広がる駐車場は、夏の海水浴シーズンはきっといっぱいになるに違いない。  でも、今はガラガラ。  浜辺に人影が無かったのに、他に数台の車が停まってるのが不思議なくらいだ。  砂を払って車に乗り込むと、助手席のあたしに覆い被さるようにして、響はさっそく唇を求めてきた。  砂浜のときとはちがう激しく深いキス。  それにしても響の舌って、どうしてこんなに器用に動くんだろう。  器用なだけじゃなくて、しなやかで、そして長いんじゃないかとも思う。  その舌と滑らかな唇を使って、彼はあたしを翻弄する。  舌と舌とで突っつきあったり、絡めあったりはこれまでも経験があったけど、口の中にこんなに感じる場所があるなんて、響とするまでは知らなかった。  特に弱いのが上顎の裏側。  深く伸びた舌先に、その場所を擽るように刺激されると、溶けてしまいそうなくらいもどかしくて気持ちいい。思わず鼻を抜けて甘い喘ぎ声が漏れてしまう。  響はちゃんとそれを憶えているらしくて、少し焦らしながらも、最終的にはしっかりとそこを攻めてくる。  シートの上で切なげに身じろぎしながら、あたしは縋り付くように響の背に手を回した。  エンジンの止まった車の中は二人の熱気でいっぱいになって、荒い吐息と絡まり合った唾液の水音がとてもエッチに響いてる。  ひとしきりのキスのあと、響は唇を離し、じっとあたしの顔を覗き込んでくる。  一度は恥ずかしくて視線を逸らしたあたしだけど、ふたたび視線を上げ、彼の瞳を見た。  きっと今のあたしは、うるうるに瞳を潤ませて、もうどうにでもしてって感じなんだと思う。 「可愛いよ、奈緒……」  甘い言葉と共に、響は啄むようなキスをくれた。  そして同時に、胸元を飾るフリルの上から、柔らかく胸を揉み上げてきた。 「ぁん……」  切なく体が震え、あたしははっきりとした喘ぎ声を漏らしてしまった。  膨らみ全体を捏ね上げるように、響の掌が動いている。 「ダメ……」  あたしは、なけなしの理性を総動員して、彼の手を掴み胸から引き剥がした。  もうこれ以上許したら、後戻りできなくなる。 「どうして?ここなら誰もいないよ」 「いまはいなくても、いつ来るかわからないじゃない」  困った顔で言うと、響は拗ねた顔であたしを見てる。  そんな顔をされたって、こんな所で、こんな明るい時間にできるわけがない。 「少し早いけど、行っちゃう?」  小声で言った。 「行っちゃうって?」  聞き返されて返答に困ったあたしは、瞳を潤ませたままじっと彼を見ていた。  それだけで、彼にはあたしの言いたいことが分かったようだ。急に嬉しそうな顔になる。 「そうだね。行っちゃおっか」  助手席側に乗り出した体を戻して、響は車のエンジンを掛けた。  二人きりになれる場所を求めて、レクサスが走り出す。  時計はまだ午後1時を回ったばかり。  あたしたちったら、いったい何をしに来たんだろ。
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