Interlude ー 田代 朱美 -

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 昼間はり替えたシーツのさらりとした感触が、裸の肌に気持ちいい。  ベッドにうつぶせた姿勢で首だけ回して見ると、スタンドの灯りの中、彼はなにやら書類の束に目を通している。意外とたくましい肩越しに、メタルフレームの眼鏡が淡い光を受けてきらりと光った。 「ねぇ、なに見てるの?」  私が聞いても、 「ん?うん……」  ろくに答えもせず、書類をめくってる。 「ねぇってば」  不機嫌な声で言うと、 「悪い、このページだけだ。どうしても気になってしかたないんだ」  書類を見たまま彼は言った。 「月曜の会議の資料ね?そんなの、なにもこんなときに読まなくてもいいじゃない」 「ああ、ただ、明日会社に出て直そうかと思ってな」 「明日?明日って日曜日じゃない」  呆れた声で言ったけど、彼は「ああ」と素っ気ない返事をしただけだった。 「ごくろうさま」  上掛けを引き寄せ、体をおおった。  この人はきっと、さっき私を抱きながらも、頭の中では資料のことを考えてたんだろう。私は、彼に気づかれないようにちいさな溜息をついた。 「さっき浅倉のこと話したわよね」  天井を見ながら言った。 「ああ」とあいかわらず気のない返事。 「たしか今日はドライブに行ってるはずよ。そのイケメン君と」 「峠野響か……」  と、意外にも反応が返ってきた。 「へぇ、名前、憶えてたんだ」 「まあな。去年あれだけ女子社員が騒いでれば憶えもするさ。なんでも三つ星だそうだしな。ま、それも陰で朱美が決めたんだろうけど……」 「そうよぉ~ん」私はおどけた声でいった。「でも、そういうのって大切なのよ。社内の子の結束を高めるっていうか、楽しくなるじゃない。仕事ばっかじゃ息が詰まっちゃうわ」 「否定しなけどな」  低く呟くように彼はいった。そしてふたたび書類に没頭し始める。  数枚ページを戻っては、元のページと見比べてる。このページだけだといいながら、そんなことだろうと思ってた。  私、田代朱美が彼とつき合い始めたのは、もう5年も前。浅倉奈緒が入社してくる前の年のことだ。  当時の私は、ちょうどいまの浅倉と同じ、26歳の夏を迎えていた。  いまに比べれば格段に化粧ののりもよかったし、下着だって見た目だけで選んでも問題はなかった。未来に夢があったし、そしてなによりときめきがあった。 「夕暮れの海で盛り上がったら、そのまま車でどこかのホテルへGoってパターンかな」  呟くようにいうと、彼はふたたび「ああ」とだけ答えた。  べつに彼に話しかけたわけではなかったけど、いかにも気のない受け答えが面白くなくて、黙って彼を睨みつけた。  いまでは沈着冷静なキレモノ企画課長で通ってる彼、布施光樹も、つき合い始めた当時はもっと情熱家で、曲がったことの許せない熱血漢だった。  そしてそれはベッドの上でも同じで、以前は朝まで寝かせてもらえないことすらあったのに、いまではどっぷり倦怠期の真っ最中。二年前にはプロポーズもしてもらったけど、いまいち乗りきれないまま、回答は無期延期の状態だ。  いろんな面で相性は悪くないと思うんだけど、もうひとつ盛り上がりに欠けるのよね。とか、そんなことを言ってるうちにますますどんよりとしてきて、最近では完全な悪循環におちいっている。 「ドライブ、行きたいのか?」  急に黙り込んだ私にまずいと思ったのか、書類を見ながら光樹が話しかけてきた。 「べつに…」私はいった。「ただ、あの子たち、今ごろシテるのかなって思って」 「ま、恋人同士なら、この時間にすることはひとつだからな」 「まあね。でもまだ、恋人ってのは微妙なところみたいだけど」 「そうなのか?」 「さっき話したじゃない」と頬を膨らませた。「浅倉って、とりあえず形から入るタイプなのよ。男女の関係もそう。こうあるべきとか、こうしなきゃとか、そういうのを先に思いこんじゃうタイプ」 「そいつは上手いところを突いてるかもな。男女の関係は知らんが、仕事ぶりを見ててそう思うよ」  書類から目をはなして、光樹がいった。  部下である浅倉の内面についての話は、少し興味を引いたようだ。ただ、それももちろん管理職としてだろうから、仕事といえば仕事なんだけど。 「だから、誰かとつき合いはじめるときも、相手とのバランスとか、性格の相性だとか、好きよりも先にそういうことを考えて決めちゃうのよ。人を見る目はある子だとは思うんだけど、頭で恋をしちゃうっていうか、そういう面があるわけ」 「なるほどね」  真面目に聞いてる。  とにかくなにかを分析するのが好きなのだ、この人は。 「でも今回はちょっと勝手がちがうみたい」 「どこが?」 「翻弄されてるって感じかな」 「浅倉がか?」 「そう。ツバメ君ってちょっと天然入ってるっていうか、捕らえどころ無いとこがあるみたいなの」 「ツバメ君、ね」と光樹はちいさく笑った。 「そうじゃなくても、恋に落ちると誰だって落ち着かなくなるものよね?でも浅倉って、そういう免疫がぜんぜんないんだから、驚いちゃった」 「恋に落ちる、か。じゃあ、今回の浅倉は『落ちた』ってことか」 「まぁねぇ~」と裏返った声で答えた。「なにしろツバメ君って、イケメンってだけじゃくて、あっちのほうもかなりイケてるらしいし」  話題をそっちにふると、「ほお」と気のない返事。  そっちの話には興味を示さず、ふたたび書類を見始めてる。  わかりやすいヤツ。 「若いくせに、かなりのテクニシャンみたいよ」  そっと彼に擦り寄って、肌に肌を触れあわせてみた。 「場数ふんでそうだしな」 「まあね。でも、一方では若いだけあってすごいのよ」 「なにが?」 「一晩に4回なんだって」 「4回?」 「そ、浅倉をバーからお持ち帰りして、ホテルで朝までに4回。一日にじゃないわよ。一晩になんだから」 「ほお」と、またまた気のない口調。「若いヤツにはかなわないな」とか言ってる。 「あのねぇ」  私は半身を起こして彼を睨んだ。 「枯れ木みたいなこといわないでよ。それに、ほうほうってフクロウじゃないんだからッ。もおっ、こんなの見ないでよッ!」  彼が手にした書類を引っ張る。 「こらっ、やめろよ」  眉間に皺を寄せて光樹が言った。 「朱美が話しかけてくるから気が散って進まないんだろうが。すぐ終わるって言ったろ?ちょっと待ってろよ」  駄々っ子をなだめる父親のような口調。  最近はいつもこうだ。停滞した空気をふりはらおうと私が挑発しても、妙に大人の対応で肩すかしをくう。 「いつだって忙しい忙しいって、そればっか。三週間ぶりに会ったっていうのになんなの?恋人ひとり満足させられなくて、それって男としてどうなのよ?」  ふてた口調で私は言った。  光樹が忙しいのはわかってる。どの会社もたいへんな時期だし、企画課長の職務は重責だ。ただ、わかってはいても止められなかった。 「そのうえ、いうに事欠いて若いヤツにはかなわないですって?そんなこといわれて、あたしにどうしろっていうのよ。べつに腰が抜けるほどしてくれなんていってないわよ。でもせめて、ふたりでいるときくらいあたしのことだけ見てくれたっていいんじゃない?」  ベッドの上で胡座をかいた光樹のわきに横座りになって、彼の顔を睨みつけた。  いつにない剣幕の私に、彼はどう対処すべきか迷っている様子だった。  それもあとから思えば、浅倉の話に触発されたんだと思う。というか、私は彼女がうらやましかった。いい歳をして女子高生みたいに思い悩む浅倉の姿が可愛くて、そしてねたましかった。  ふたりの間が少しずつダメになっていくことは、光樹だってまずいと感じてると思う。頭のいい彼は、だから先手を打ってプロポーズしてくれたのだろう。そしてたぶんあのとき、私たちは結婚しておけばよかったのだ。恋人ではなく夫婦だったら、いまとはまったくちがう関係が築けていたと思う。目先のぬるま湯の日々を捨てきれず、答えを出し切れなかったのは私自身だ。  そんなことは分かってる。でも、理屈じゃない。 「あぁあ、次の合コンは年下狙いでいこうかな」わざとらしく、私は溜息をついてみせた。「あたしも見つけよっと、若くてテクニシャンのツバメ君……」  いいかけたとき、溜息とともに、バサッっと紙の音がした。  光樹が手にしていた書類をサイドテーブルに放り投げたのだ。 「朱美、おまえ、誰に向かっていってんだ?」  冷たく突き放すような声に、私はちょっとドキッとした。  つき合い始めた当初はなんどもケンカをしたけど、最近はもっぱら私が突っかかるばかりで、本格的なケンカをしたのなんかもうかなり前のことだ。 「なによ、なんか文句あんの?」  乗りかかった船。やるならやるわよ、と私は思った。 「おまえさ…」いいながら、光樹は眼鏡を外してサイドテーブルに置いた。  つよい視線で私を見る。切れ長の瞳にまっすぐ通った鼻筋、そして薄い唇。端正な顔立ちゆえに、ちょっとばかし迫力がある。 「一度、口のききかたを教えなきゃだめみたいだな」  そういわれて、「はぁ?」と私は甲高い声をあげた。 「なにいってんの?意味わかんない」  顔をそらそうとすると、突然腕を掴み上げられた。 「ちょッ……!?、なにすんのよ。きゃッ……!」  腕を掴まれたまま、私はベッドの上に引き倒された。  光樹にのしかかられ、両手首を、顔の両脇に押さえつけられる。  過去には、どんなに激しく口げんかしても一度も手を出したことのない光樹だったから、私はこの彼の行動にかなり狼狽していた。 「口のききかただよ」  光樹に真上から見下ろされて、私はプイッと顔を横を向けた。 「抱いて欲しいんだろ?だったらいってみろよ、『朱美を抱いてください』って」  なにそれ?と私は思った。  ひょっとしてクスリが効き過ぎちゃったのかも。  なんかすっごくドキドキしてる。怖いとかそういうんじゃない、別の種類のドキドキ。  でもそれは、彼も同じみたい。太股にあたる彼の感触は、信じられないくらい、石のように硬くなってる。  どうしていいか分からずにいる私の耳朶へと、彼が息を吹きかけてくる。  ベッドに抑えつけられ、横を向いた私の耳朶からうなじ、首筋にかけて、くすぐるようにリズミカルな吐息。 「んッ………」  体の奥の方から、熱いものが溢れ出すのがわかった。 「言えよ」  低くセクシーな声に攻め立てられると、泣きたいくらい切ない。 「朱美を……、抱いてください……」  消え入りそうな声でいった。  自分のものとは思えない儚げな声が、さらにいっそう私自身の興奮を煽り立てた。  そして次の瞬間、 「……、ぁ、はぁぁん……」  腕を手放した彼の掌に、荒々しく乳房を揉みしだかれ、私は悩ましい喘ぎ声を漏らした。  そしてそのあと、朝までたっぷり時間をかけて、私は光樹に『口のききかた』を教え込まれた。  ふたりともすっごく興奮していて、夜が明けるのなんかあっと言う間だった。  こんなのって、何年ぶりのことだろう。  そして私は、彼の腕に抱かれて眠った。  とても安らかで、幸せな眠りだった。
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