第三章

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 会社から大通りをはさんで向こう岸にあるハンバーガーショップは、いつ覗いてもたくさんの人で溢れかえっている。オフィス街だけあって学生や子供の姿はなくて、待ち合わせをする仕事帰りのOLや、これから会社でもうひと仕事といった感じの若いビジネスマンでいっぱいだ。  璃子を残して更衣室を出たあたしは、すぐに朱美さんの携帯に連絡を入れ、いますぐに会えないかと呼び出した。  あたしとしては、もっと静かで落ち着いたところで話したかったんだけど、電話を受けた朱美さんが指定したのは会社からすぐ目と鼻の先のこの店だった。 「もう少し別の場所がよかったんじゃないですか?」  運よく座れたコーナーのテーブルに腰かけて、ざわめく店内を見渡す。  すると朱美さんは、 「いいのよ。木を隠すなら森っていうじゃない。こんだけ騒がしければ、なに話したってだれも聞いてないって」  とか、適当なことをいってる。  そればかりか、 「それに、へんに腰を落ち着けられても困るしね。あたしだって暇じゃないんだから。浅倉、あんたね、今日の合コンのアレンジに、あたしがどんだけ時間をかけたか知ってる?」  これ見よがしに腕時計を見てる。  どれだけ時間をかけたのか知らないけど、ようするにそんだけ暇なんだと思うけど。 「時間がないのは私だって同じです。でもとっても大事な話なんです」  切実に言った。  すると朱美さんは、ジト目であたしを見た 「浅倉の大事な話ってのは、またあのボクの話でしょうが。そういえば、今夜はそのツバメ君のお部屋にお泊まりなんじゃなかった?こんなことしてる場合じゃないんじゃないの?」  気合いの入った合コンを前にしての呼び出しに、ご機嫌斜めみたい。 「それはそうなんですけど、でもどうしてもいま聞いておきたいことがあるんです」 「なによ?」 「ついさっき、会社の更衣室でなんですけど」 「うん」 「璃子が話しかけてきたんですよね」 「りこ?」 「法務部の櫟璃子。私のいっこ下の」  すると朱美さんは、黙ったままじっとあたしを見た。  そしていきなり「来週聞くわ」と言い残し、席を立とうとした。 「ちょっとぉ、どこいくんですかッ?!」  取り逃すまじとその腕にすがる。 「あのねぇ、あたし、大事な合コンがあるっていわなかった?ツバメ君の話ならまだ少しは面白いかと思ってきたけど、あんたと櫟のいざこざを聞いてる時間なんてないの、わかる?」 「もぉっ、ツバメ、ツバメって大きな声でやめて下さい!」  顔をしかめて言っても、ろくに聞いてるふうじゃない。なんとか座り直させはしたものの、たいそうご不満なご様子だ。 「だいたい、浅倉と櫟って、なんでそんなに仲悪いのよ。あんた先輩なんでしょ?すこしくらい歩みよったらどうなの?」 「なんで私が歩みよるんですか。あんな性格の悪い女に……」 「そう?そこまで悪い子だとは思わないけど?ま、ちょっと気が強いけどさ」 「ちょっとなんてもんじゃないです。やたら気が強くてタカビーだし、いい加減なところがあるくせにプライドばかり高くて、オマケにどこか屈折したところもあるし……」  懸命にあげつらうあたしを眺めながら、「なにそれ」と朱美さんは言った。「ぜんぶ浅倉にも当てはまるじゃん」 「なっ……!なんでそうなるですかっ!!」  思わず叫んだ。  もうちょっとでテーブルをひっくり返して立ち上がるところだった。 「ちょっと、静かにしなさいよ。なに興奮してんのよ」 「だって」 「あたしが言いたいのは、あんたたちふたりって似たところがあるってことよ。ま、磁石のSとSみたいなものだから、よけいに反発するのかもしんないけど」 「どこがですか?あたしと璃子じゃぜんぜん違います!」 「そぉお?かなり似てると思うけどぉ?ま、たしかにそっくり同じとは言わないけどね。そういう意味じゃSとSじゃないか、浅倉ってMだし」 「どういう意味ですかッ?」  キッと睨むと、 「ポテトの話よん」  とか言いながら、フライドポテトを口に咥えてる。 「ま、時間もないし、とにかく話してみなさいな。聞いたげる」  そう言われ、あたしは更衣室での出来事を話し始めた。 -----  ひととおり話し終えると、 「それってさ、浅倉と話したくて、わざわざ更衣室までつけてきたんだろうね」  黙って聞いていた朱美さんが口を開いた。 「だと思います」 「誰に聞いたんだろ?」  あたしは、黙ったままじっと彼女を見た。 「あたしじゃないわよ」 「わかってます。でも、だったらひとりしかいないんじゃないですか?」 「誰よ?」 「密告者……」  ぼそっと言った。 「密告者ぁ?」朱美さんは調子っぱずれな声を出した。「なにそれ?」 「飲み会の夜、あたしが響とふたりでいなくなったって、朱美さんに告げ口した人です」 「誰よそれ?」と聞かれて、 「誰です?」逆に聞き返した。 「さぁ?」  さすがに口が硬い。 「桜井さんじゃないんですか?」  しかたがないので、こちらから名前を出してみた。  すると朱美さんは、すこしのあいだじっと考えていた。  そして、 「桜井じゃないわ」  きっぱりと言った。 「ほんとですか?」 「たぶんね。しょうがないからこれだけ教えたげる。浅倉が、みんなを出し抜いてツバメ君と消えたのを教えてくれたのは、たしかに桜井よ」 「べつに、出し抜いたわけじゃないけど……」 「でも、桜井が櫟に教えたりはしてないわ。あたしはそう思う」 「どうしてですか?」 「あのあと、言っといてあげたのよ、桜井に。もう首を突っ込むのはやめてやんなって」  そうだったんだ、とあたしは思った。  そのへんは、やっぱり朱美さんだ。 「だいたい、桜井がそれを櫟に教えたりしたって、あの子にとってなにもいいことないじゃない。それに、そんな話を聞いただけの櫟が、なんでそこまでして浅倉に確かめに行く必要がある?」 「それは、そうですよね」  なるほど、と思った。  たしかに朱美さんのいうとおりかも。 「それにしても、変なのは櫟よね。なんでそんなに浅倉とツバメ君のことに首を突っ込もうとするのかな?」 「だから、ツバメっていうのは……」  言いかけたとき、 「なんて言ったって?」  突然、朱美さんが聞いた。 「え?」 「櫟がよ。浅倉が、誰に聞いたのかって尋ねたとき」 「たしか…、誰に聞いたのかいえないけど、この件については、信頼できる人だって…」 「それね」  朱美さんが言った。瞳がキラリンと光ったような感じ。 「え?」 「わからないの?ひとりしかいないじゃない」 「ひとりって?」 「ツバメ君、本人よ」 「え~っ?!」  今度はあたしが、調子っぱずれな声を出した。 -----  そのあと、少しだけ話して席を立った。  軽い足取りの朱美さんのあと、重いキャリーバッグを引きずって店を出る。  そのころには、週末の浮き立つ気分はすっかり消えて、あたしはなんかブルーだった。 「にしても浅倉さぁ、そんなバッグどこに置いといたのよ?」 「駅のロッカー」  ぼそっと答えた。 「いったい彼の部屋に何泊すんのよ。同棲でも始めるつもり?」 「ほっといてください」  急に口数の少なくなったあたしに、朱美さんは立ち止まり、ふり向いた。 「なによぉ、元気出しなさいよ。ほらぁ、浅倉ぁ」  さっきまでは合コンに遅れるって大騒ぎしてたくせに、いまはなんか楽しそう。  謎をはらんだ展開が、いたくお気に召したらしい。他人の不幸は蜜の味とは、よく言ったものだ。  あたしは、恨めしげに彼女を見た。 「そんな顔しなさんなって。まだそうと決まったわけじゃないでしょ」  そうはいってくれたものの、自分の推理には自信満々の様子。  あたしも、いまさらながらに考えると、朱美さんの説にも一理あるような気がしていた。 「ま、心配なら、今夜、直接確かめることね」  あたしは無言で頷いた。 「じゃあ、あたし行くわ。浅倉も楽しんでらっしゃい」  無責任な言葉を残して、朱美さんは去っていった。  こんな気持ちで、なにをどう楽しめというのだろう。  あたしもまた、待ち合わせの場所へと歩きだした。  人ごみに引きずるキャリーバッグが、急に邪魔に思えてしかたなかった。
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