第三章

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 「鶏かわの唐揚げ」、「うずら卵の燻製」、「豆腐しゅうまいときのこの和風あんかけ」、「わかめと蒸し鶏のサラダ」、そして「四川風焼そば」……、響はコンビニのビニール袋からトレイを取りだし、チラリとこちらを見た。あたしが頬杖をついたままなにも言わずにいると、トレイをラップしたビニールをはがして、テーブルの上に並べはじめる。  そして、 「ローストビーフ」  ちいさく呟いた。  あたしはじろりと彼を見た。 「ほうれん草のキッシュ……、水菜のシーザーサラダ……、鶏手羽のローストガーリック焼き……」 「もぉっ、うるさいわね」  不機嫌な口調で言うと、響は口を尖らせてる。  いま響が呟いたのは、ほんとは今夜あたしが買ってくるはずだったデパ地下のお総菜。数日前、会社帰りに下見をしてメールで決めた、ふたりのパーティーのメニューだ。 「だってさ……」  なおも恨めしげな様子の響に、 「しかたないでしょ、時間なかったんだから。それだって、せっかく買ってきたのに」  ムッとして言うと、彼はそれ以上なにも言わず黙ってる。  ハンバーガーショップの前で朱美さんと別れたあと、あたしはすっかりデパ地下に繰り出す気力を失っていた。そして、ぼぉっと考えごとをしたまま、響との待ち合わせ場所へと向かった。  待ち合わせたのは、彼のマンションのある駅の改札前。そこに辿りついて、初めて自分がなにも買ってこなかったことに気がついた。しかたなく駅前のコンビニに入り、目に入った品を適当に買い込んだ。それがいま、響の前にある、プラスチックトレイの数々だ。  やがて響はちいさく溜息をついた。 「ごめん」 「だったら響が買ってくればよかったじゃない」  呟くように言って、あたしは横をむいた。 「ごめんって謝っただろ?わかったよ。僕が悪かった」  やさしく言われると、すねてる自分が情けなくなる。  悪いのはあたしだ。そんなことわかってる。でも、いちどブルーになってしまった気分は、簡単には持ち上がらない。 「とにかく乾杯しようよ」  響は、立ち上がり、冷蔵庫から冷やしたワインを取り出してきた。  今夜のために、彼が会社帰りに買って冷やしておいたワイン。そう思うと、なんか泣きたくなった。  初めて訪れた響の部屋は、想像してたよりずっと大きくて立派なマンションだった。  北欧のお城みたいとまではいわないものの、庶民感覚でいえばじゅうぶんな豪邸で、新しくて、広くて、おしゃれな感じ。煉瓦造り風の外観は、きれいに手入れのされた植栽に囲まれ、硝子張りのエントランスロビーの壁面は、落ち着いた雰囲気のステンドグラスで飾られている。  さらに室内に入ると、リビングのインテリアも洒落ていて、エレガントなジャガード織のカーテンや、色目を合わせて揃えられた欧風家具などなどが選んだ人のセンスの良さを感じさせる。  節度がきいた贅沢というか、ほどよい豪華さというか。車でいえば、やっぱりそう、レクサスって感じだ。  響が開けたワインを注いでもらったあと、グラスを重ねて乾杯をした。  気をつかっていろいろ話しかけてくる響に気分が戻ると、少しだけ話したりもするんだけど、けっきょくは盛り上がりきれずまた黙り込んでしまう。ふたりの夜は、そんな状態で過ぎていった。  そしてその間、あたしは心の中でずっと迷っていた。  璃子のことを、響に確かめるかどうか。  璃子については、ハンバーガーショップで朱美さんと話をしてからずっと考えている。そして、あたしはひとつの可能性に行き当たっていた。というよりも、朱美さんの推理をきいた直後から、その疑念はあたしの中にあった。認めたくない一心で、いろんな理屈をつけて否定しようとあがいていただけ。でも、ずっと考えて続けても、けっきょくその可能性にもどらざるをえなかったのだ。  朱美さんは、気になるなら響に聞けばいいという。あたしも、あの場ではそれに頷いた。でも、いざその場になると、どう切り出していいかわからない。  やがてワインが空になり、ソファに場所を移した。  そのころには、少なくとも今は、璃子のことを彼に聞くのはやめようと思いはじめていた。確かめるなら明日の帰り際でもいい。そう思うと、少しだけ気持ちが楽になる。  ソファに並んで座ると、響は当然のことのように肩に手を回してきた。  ふたりの夜が、次のステップに移ることを告げる始まりのキス。  あいかわらず手の早い響は、次の瞬間には、あたしのカットソーの裾から内側に手を滑り込まそうとしてくる。 「っもぉっ、ダメだってば、響ぃ」 「なんで?」  恨めしそうな顔をしてる。 「キャリーバッグ引っ張って歩いて、汗かいちゃったの」 「いいよ、そんなの」 「よくない。シャワーを浴びてから、ねっ?」  なだめすかして、彼を引き剥がした。  とりあえず、あたしが先にシャワーを浴びることにした。  響に案内されてバスルームに入る。  この歳にもなれば、彼氏の部屋にお泊まりの経験だって一度や二度じゃないけど、彼が家族と使っているバスルームに入るのは初めての経験だった。もちろん今の響はお留守番で、実際は一人暮らしなんだけど、棚にLebeLのシャンプーが置かれているのを見たりすると、いままで話の中にしか存在しなかった彼の家族が急に現実味をおびてきて、不思議な感じがする。これを使うのは彼のお母様かしら?それともお姉さんの雅さん?なんて思ったりしてしまう。  シャワーを浴び終えたあたしは、パイル地のナイティを身に着けた。  レースのリボンをあしらったキャミと薄手のガウン、七分丈のボトムの組み合わせは、ガーリーなんだけどそこそこ落ち着いてるところがお気に入りだ。 「あがったよ」  響に声をかけた。  彼はリビングのソファでテレビを見ていた。 「あ、うん、なら先に部屋にいて。僕も浴びたらいくから……」  言いながら立ち上がる。 「部屋って、響の部屋?」 「そう、リビングを出て右側の部屋だよ」  言われるがまま、あたしは響の部屋に足を踏み入れた。  そこは、机と本棚、セミダブルのベッドが置かれたいかにも男の子の部屋という感じの部屋だった。  思ったよりも片付いている。  物珍しそうにまわりを見回しながら、部屋の扉を閉める。  すると、扉の裏側に張られた大きなポスターが目に入った。 「エヴァ?」  ポスターは、社会現象にまでなった1990年代を代表するアニメ作品であるエヴァンゲリオンのキャラクター、葛城ミサトさんのニーショットだ。 「ミサトさんかぁ」  まじまじと彼女を見ながら呟いた。  やたらウジウジと思い悩むひよわな感じの主人公が、美女に囲まれながら、巨大ロボットに乗って人類のために戦う。エヴァが、世の男の子たちのハーレムを具現化した大ヒットアニメであることは、いまさら説明の必要はないだろう。最近になってまた映画化されたりしているし、いまだにいろんな場所でキャラクターの顔を見ることも多い。  これほどまでに絶大なエヴァの人気を支えるのは、それぞれにタイプの異なる美女キャラクターの存在だ。人気のトップを争うのは有名な綾波レイ、そして、なんとか?アスカ・ラングレーだ。明暗に別れた二つのキャラクターには、男の子の好みがわかれるらしい。  なぜ、あたしがこんなことを知ってるかというと、それはひとえにエヴァ好きの弟、晃正の影響だ。同じ屋根の下にいる人間が、何かにつけてエヴァエヴァいっていれば、いやがおうでも憶えてしまう。  ちなみに、晃正のお好みは綾波レイちゃん。「あんたって、暗い女の子が好きなのね」とあたしが言ったことがもとで、大げんかになったことがある。  と、まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、そんなふたりをおしのけて、響の部屋のポスターはお姉さんキャラのミサトさんだったのだ。 「ちょっと想像はついたけど」  ちいさく呟きながら、あたしはベッドの上に腰を下ろした。  ポスターは、貼られてからかなり時間がたっているように見える。  これを貼ったのは高校生くらいだろうか。  どうやら響のお姉さま好きは筋金入りらしい。  ベッドに座ったまま、あたしはミサトさんを見つめていた。  そう思って見るからかもしれないけど、雰囲気が璃子に似ている気がする。  やがて廊下に気配がした。  コンコンとノックの音。  応えるとドアが開いて、響が顔をのぞかせた。 「お待たせ」  嬉しそうな顔をして、部屋に入ってくる。  薄いスウェットの上下を身に着けた響は、まっすぐにあたしの隣に座り、さっそくちいさなキスをくれた。 「可愛いパジャマだね」  あたしはちいさく頷いた。  響は、まず枕元のスタンドを灯し、立ち上がって壁のスイッチに手を伸ばす。  彼の指が、部屋の灯りを消そうとする直前、あたしは意を決して言った。 「ごめんね。ちょっとだけ、待ってもらっていい?」 「え?」  灯りを消すのをやめて、響が振り返る。 「聞きたいことがあるの」  やっぱりダメ。  こんなわだかまりを抱えたまま、抱かれるなんてできない。  キョトンとした響の顔を、あたしはじっと見あげていた。
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