恋煩い

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里佳の仕事漬けの日々は、続いていた。 不安から揺さぶられてしまったけど悟からは律儀に連絡が来ている。 ちゃんと里佳の状況を気遣った時間帯で電話とラインを使い分けて。 仕事をしていれば気は紛れる。 けれどずっとこうして仕事に押し流されながら・・・生きていくのかとふと思った。 同僚は、体を壊して休んでしまったし、繁忙期は帰宅時間も日付が変わるほどだ。 そんな会社なら辞めるなり、転職するなりすればいいのに・・・。 結局つらくても何があっても辞めないのは、今の仕事が好きだから。 (あとは、辞めて故郷に戻ったところで私の居場所はないし・・・) 気づけば時計は、19時を過ぎている。 周囲を見渡せばもう退勤したのか、一旦休憩を挟むために席を外しているのか、 空席もあり、自分の席でコンビニのおにぎりを食べている人もいる。 集中力も落ちてきたので里佳も伸びをしてコンビニへ行くことにした。 冷房の効いた室内にいたので、肌にまとわりつく夏の空気が重い。 ビルを出たところでバンッと音がしたかと思ったら空に花火が上がった。 近くで夏祭りをしているのか何人もの浴衣姿の群れが行き交う。 「きれいだね」 「!」 不意に聞こえた呟く声に振り向くと先輩の佐倉さんがいた。 「おつかれー」 「お、おつかれさまです」 「どこ行くの?」 「コンビニです」 「俺もだから一緒にいい?」 「はい」 この人は、新人教育の時にお世話になった、佐倉涼介さん。 艶やかな黒髪は、少し癖がかっていて大きな黒目が印象的。 ムードメーカーで気配りもできるし、仕事もそつなくこなす。 フランクに話すから男女問わず好かれて上司の信頼も厚い。 いつもニコニコしながらもう新人じゃなくなった今も変わらず、 私以外の後輩も可愛がって下さるけど・・・ちょっと苦手だったりするのよね。 元カレと先輩が親しかったから? さっさと買い物をすませて帰ろうとしていると。 レジかごにスイーツばかり入れた先輩がやってきた。 「す、すごい量ですね・・・」 思わずそう言ってしまうとまさかと先輩は笑った。 「買ってきてって頼まれたんだよ。ジャンケンに負けたから」 「それでこんなに沢山なんですね」 そりゃそうだわな。 「里佳ちゃん、甘い物好き?」 この人は私を名前で呼ぶ。 うわ、恥ずかしい・・・。まだ名前で呼ばれてた!! 「す、好きですけど・・・ あの・・・」 「一つあげるよ。どれがいい?」 「え。そんな、いいです!」 「遠慮しなくていいって。頑張ってる後輩にご褒美。もらっておきなよ」 「えっと、じゃあプリンを・・・」 会計をして一番スタンダードで量の沢山あるものを選ぶ。 「はい」 「ありがとうございます」 「どういたしまして。じゃ帰ろうか」 「はい。・・・あの先輩」 「ん? どした?」 一歩前を歩いていた先輩が振り向く。 「あの・・・名前で呼ぶの、そろそろやめませんか」 新人教育の時に先輩だからって怖がらなくていいよって、 安心させるために皆、後輩は名前で呼ばれてたのよね。 男子も女子も関係なく。 「なんで? いや?」 「い、嫌っていうか・・・もう新人じゃないですし、その、恥ずかしいです」 先輩を好きな女子には睨まれるし、勘弁してほしい。 「そんなふうに恥ずかしがるところ、変わらないね」 「え? それは、・・・どういう・・・」 私が聞きかけると先輩の肩越しに大きな花火。 公園の中にあるコンビニの前には、先輩と私の二人だけ。 不意に男の瞳になる先輩にとぎまぎする。 大きな黒目に映る私の顔。 「俺が名前で呼んでるのは、君だけだよ」 伸ばされた先輩の手が私の頬を通って頭を撫でる。 ふいと反らされた先輩は、涼しい顔でまた前を向いてしまう。 び、びっくりした。 なになになに今の・・・。 先輩もこんな顔すんの? 不覚にも動揺してしまった。 ざわついた胸の内を静めようと歩いていたら先輩が足を止めた。 「あ、そうだ。桜井(結菜)には、連絡した?」 予想外の質問をされて私は一瞬たじろぐ。 あぁ、・・・やっぱり先輩は、あの時見たのだ。 あの日・・・ 不安を募らせて早退してしまった日。 蹲って泣いていた私を。 私の名を呼んだのは、ずっと音信不通だった結菜。 そしてその隣に佐倉先輩がいた――。
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