恋煩い

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「悟くん!? どうしたの? ずぶ濡れじゃない」 明るかった夏の夜もすっかり闇に包まれた頃。 玄関を開ける音に来てみるとびしょ濡れの恋人が立っていた。 髪から、頬から滑り落ちてポタポタ落ちる水滴。 雨を含んだ白いシャツは、ほどよくついた筋肉を浮かび上がらせ、 普段は少年と青年の狭間にいる彼の色気を一層引き立てる。 「………駅から来る時に降られた」 「連絡くれたら駅まで迎えに行ったのに!  ちょっと待ってて。タオル持ってくるから」 「……うん」 疲れているのか声が小さいなぁ。 タオルを持って戻ると髪を拭きながら彼がこう聞いてきた。 「(部屋に)一人?」 「え?」 一瞬何を聞かれたのかわからなかった。 「友達でも来てた?」 「来てないよ。なんで?」 質問の意味がわからない。 こないだ結菜の話をしたから? 「まだ化粧、落としてないから」 あー…それでなの。 「えっと、それは…」 まさか化粧してないとクマがひどすぎるのとか言えない。 「もじもじすること?」 「さ、悟くんに会えるかもって…思ったから落とさなかったの」 「…俺のため…?」 こんな期待をしていたとか知られるの、恥ずかしい。 聞いたのは悟くんなのに彼は黙ってしまった。 「……」 「悟くん?」 「あ、いや変なこと聞いてごめん。風呂借りていい?」 「もちろん」 今の表情、安心した? 会ってない間に何かあった? 小さなシミみたいな波紋が胸に広がる。 その後お風呂から上がった彼と一緒に過ごしたけど。 何だかこれまでより彼が遠くなったような気がした。 その夜、彼が私に触れることはなかった。 気づかないうちに私、彼に何かしたかな。 彼と会った日を何度も拾って思い返してみたけど思い当たることがない。 それから業務連絡みたいなラインのやり取りをすること数日。 悟くんから会いたいとラインが来た。 「大事な話があるから会いたい」 「夕方以降、里佳の会社近くにいるから終わったら連絡して」 大事な話って…? 当日は朝からそわそわして落ち着かなかった。 まだ何の話かもわからないのに不安だけが先走って。 もし今日が最後なら…精一杯こぎれいにしてきた。 就業時間が過ぎて18時近くになって同僚があっと声を上げた。 「ど、どうしたの?」 そこそこ大きかったから私以外の同僚達も集まってきて、 窓の向こうを指差すのでその先を追った。 会社員とは思えないほど少し派手な服装にふわふわとなびく髪。 絶対走れないだろうと思うくらいのハイヒールの足。 「あれって桃澤さん? もう帰ったの?」 「違う! そこじゃない」 同僚が言うので何がと思えば彼女の先のガードレールに悟くんがいた。 悟くんとなんで桃澤さん!? 私の動揺を知らず、皆が話し始める。 「ねぇあの子、写真の男の子だよね」 「例の隠し撮りの」 「え? 彼氏なの? 迎えに来たって事?」 「写真よりきれいな顔立ちしてるわね。…里佳?」 口々に好き勝手言う同僚達を尻目に私は帰り支度を始める。 「ごめん。用事思い出したから帰る」 「え? ちょっと里佳!?」 同僚の呼ぶ声を背に私は、課を出て駆け出していた。 あの夜…いつもと違ったことを聞けば良かったの? 不安や寂しさを感じながら聞けなかったのは、私の弱さだ。 面と向かって悟くんに聞くのが怖かった。 これまでつきあってきた男性も、武史も私に変わることを望んだ。 そんなに忙しいなら転職したらどうか、結婚したら仕事は辞めてほしい。 私は、価値観の違いから別れたくないと言うこともなく納得して別れてきた。 でも、でも悟くんは違う…。 悟くんは、私に何も望まなかった。 会いたい時に会えなくても、抱きたい時に私が拒んでも。 いつも私を気にかけて笑ってそばにいてくれた。 そんなことに少しも年齢は、関係なかったのに…。 勝手に不安になって揺らいで…。 私が好きでずっと一緒にいたいのは、悟くんだったのに…。 走りながらもう一人の自分がもうダメかもよ、なんて言う。 それでもちゃんと言葉にしなきゃ…。 このまま何も言葉にせず、見ているだけなんて嫌だ。 悟くんを取られたくない。
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