5.知らない事件

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5.知らない事件

 翌朝、起きると、あのワープロがなくなっていた。なくなるはずはない、京子はワープロを宝箱のように思っていた。だから机の上にきちんと置いておいたのだ。それが、ない。 「お父さん!」  京子は台所で朝刊を読んでいた父に詰め寄った。 「ワープロを、どこへやったの?!」 「捨てた」  父は掃除の時のように短く答えた。 「あれはよくない。おまえみたいな子供があんなものを抱え込んでは駄目だ」  反論を許さない声音だった。だが、京子は臆さずに言いつのる。 「どうして?! わたし、まだ最後まで読んでないのに! どこに捨てたの? 拾ってくる!」  そのまま玄関へ向かう京子に、 「もう清掃車が運んでいったよ」  父は無表情に告げた。 「どうして、どうしてそんなことするの、あれにはかさねさんの!」  誰にも言えない大事な想いがたくさん込められていたのに。 「京子、おまえは忘れているよ」  父は紙面から視線を上げて、娘を見つめた。 「姉さんは三十年前に死んだ。おまえは姉さんの三十年後の人間だ。ふたりの人生が交わることはない。おまえの人生に、姉さんの出番はないんだ。人間には時間を超えられない。それを、思い出しなさい」 「……人間に、時間を超えられないなんて、嘘だよ。かさねさんの気持ち、わたしに、わたしの人生に届いている」  京子は答えた。 「それに、お父さんだって……。わたし、知ってるもん。お父さんが今でもお母さんのこと、大切に想ってること。毎晩、毎朝、お味噌汁飲むたびに、お母さんのことを思い出して本当は泣きたいこと、知ってる。何日経っても、何年経っても、お父さんの気持ちが、お母さんの顔に白い布をかけられたあの瞬間のまんまで全然変わっていないの、知ってる。そりゃ身体は時間を超えられないかもしれないけど、気持ちは、違う。変わらないよ。超えるよ。だからお母さんと暮らしたアパートからここに引っ越したんでしょ。辛くて、いまでも、辛すぎて、アパートにいられなかったんでしょ。わかるよ、それくらい。わかるに決まってるでしょ、わたしはお父さんとお母さんの子供だよ?」 「京子。だが、人間はあきらめるしかないんだよ。生きるということは、生活し続けるということは、時に流されて、あきらめて忘れるということなんだよ」 「そんなことない!」  京子は叫んだ。時間に向かって、叫んだ。 「あきらめる必要なんて、自分から蓋をする必要なんて、ないよ! どうしてそんなことするの? いいんだよ、想ってて。ずっとずっと想ってて、いいんだよ、悪くないんだよ! だって誰がそれを裁くの? それの何がいけないの? 誰も傷つけてないじゃない、誰の迷惑にもならないじゃない。お父さんだって、かさねさんだって、好きなひとのことを好きなだけ想い続けていいんだよ」 「京子」  京子は柱に沿ってずりずりと身体を落とすと、台所の床に座り込んだ。 「……いいじゃん、想ってても。それくらい、ゆるしてよ。ゆるしてあげてよ。本当にささやかな、ちいさな願いじゃない……」  かさねさんは『隣』を夢見ていた。でも、自分がその場所へいけないことも、あのひとの『隣』に自分以外の人間が座ることも、わかっていた。思い知っていた。  ――好きになってはいけないひとだったから。  ――仕方がない。 「仕方がないなんてこと、ないよ……」 「仕方がないなんてこと、ない、か……」  父は眼を手で押さえた。 「そうか、たぶん、だから、かさねは。姉さんもそう思って」 「え」  京子が訊き返すと、父は静かに告げた。 「だから、姉さんは死んだんだよ」
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