プラネタリウム

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プラネタリウム

…例えばきみならどうだろう。 そんな考えがふと頭をよぎる。 冷たい空気がぴりぴりと露出した肌を刺すこの季節に、何を思ったかわざわざこんな海沿いまで車を飛ばして来た。 目的なんて特にない。コンビニどころか、店らしいものすら無いこの辺りは外灯もまばらでやけに暗く、闇のような黒に染まった海に視線を移すとただざあざあという規則的な波音がより強く聞こえるのみだった。 はあっと吐き出した白い息はすぐに大気に溶け込んで、白はあっという間に黒に飲み込まれたように俺には見えた。なのに。 「なあ見て見てっ!星すげぇっ!!」 不意にぐいっと腕を引っ張られ、彼が指差すのにつられて俺も空を見上げた。そして、はっと息を飲んだ。 月並みな感想だが、プラネタリウムみたいだ。 周りに余計な明かりが無く、空気も澄んでいるせいか星々のひとつずつがやけにちかちか眩しく光って見える。 前まではこんな景色を見たって、「…だから何だ」という感想しか抱かなかっただろうに。 「…本当だ。すごいな」 「だろっ!?来て良かったよな!」 満天の星空を見てふっと笑う俺に、彼はこれでもかというくらい嬉しそうな笑顔で答えた。あぁ、眩しいな。 さっきまで助手席で大人しく寝こけていた彼の後頭部にはぴょこんと寝癖がついたままで、指先で押してみるもまたぴょこっと跳ね上がった。 そんなおっちょこちょいな彼はというと俺が寝癖で遊んでいるのにも気付かずに、夢中で夜空を見上げている。大きく見開かれた瞳には、やはりプラネタリウムのような無数の光が閉じ込められていた。 その光はさっき俺が見上げた星空よりやっぱり何倍も何万倍も眩しくて、目が離せない。 例えばきみなら、どうだろうか。 同じ考えがまたふと頭に浮かんで、馬鹿みたいだ、と冷静な俺が打ち消した。 「…なぁ」 「んー?何?寒いのか?」 「うん。寒い」 「お、じゃあそろそろ車戻るか?」 満天の星空から目を離し、心配そうに俺の顔へと視線を移した瞳にはもう星が棲みついてしまったのだろうか。やっぱりまだ眩しいままだ。 その光に囚われてまた、同じ考えが何度でも蘇った。もう行動に移すまで消えてくれなさそうだな、ゴメンな。 「なぁ」 「だからどうしたんだって」 「手、貸して」 「え」 「…おねがい。寒いんだ」 「だけどお前っ、あ、おい」 彼が狼狽する理由は分かってる。だけどそれにも構わず、俺は冷たい彼の手を取った。自分の右手と合わせて、少し小さいな…なんて思いながら、そのまま指と指を絡ませる。あぁ、思った通りだ。 「…あったかい」 「お前…平気なのか?その、だってお前、」 「うん。お前なら大丈夫なんじゃないかって思ったんだけど、やっぱりへーきみたい。…もっと早くに気付けば良かったなぁ」 「ほん、とに…?無理してないか?嫌だったらすぐ離すんだぞ?」 「うん。じゃあもう一生離せないね?」 「………へっ!?」 「冗談だよっ、ばぁか」 そう言いながらも俺はぎゅっと手の力を強めた。それに気付いてか、暗闇の中でも彼が頬を赤らめたのが分かる。その反応が思っていたより嬉しくてふふふっと勝手に口角が上がってしまう。 俺は昔から誰かに触れられることが酷く嫌だった。特別何かきっかけになるような出来事があったわけじゃない。気付いたらそういうのを避けていた。触られたところからバイ菌が広がって侵食して、やがてそこから腐り落ちてしまうんじゃないかなんて馬鹿な妄想もした。 そんなことあるわけが無いって分かっても、それでもやっぱり受け付けなかった、のに。 「手…ほんとに平気なの?」 「ん。練習。だからもう少しだけ、このままでいさせてね」 きらきらの星空はもう良いのか、少し照れ臭そうにしながら、けれど心配そうな面持ちで俺を見上げる彼は気付いていない。 俺が今まで何度きみの髪に触ってきたと思う? 今まで何度、服越しではあれどその腕を掴んだと思う? 今まで何度…その顔が俺の腕の中で羞恥と快楽に歪むのを想像したと思う? …変なの。そんなこと知られたら嫌われちゃうかな。 ふうっと白い息を吐き出して、もう一度プラネタリウムみたいな空を見上げた。あぁやっぱり綺麗だな、と思って直ぐに、寝癖が付いたままの隣の星空にも目を移した。するときみは俺の視線に気付いて、小首を傾げて見返してくる。 あぁ、比べようが無いな、と思った。 「なぁに?」 「…あのさ、」 例えばきみならどうだろう。 こんなおれのことも、零さず拾ってくれるだろうか。
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