春の章*問わず語り【続いていく物語】

4/7

38人が本棚に入れています
本棚に追加
/117ページ
「え?」  その問いの意味を、僕は最初、正確に理解することができなかった。 「人間の場合、『ドキリ』とするのは心臓や胸と決まっているのですよ」  カクレはお構いなしに、(とうとう)々と解説を始める。  そうなんだ、と平坦な口調で返すと、カクレは僕に詰め寄った。 「しかし、君は人間ではありません。でも『ドキリとした』。さあ、何処がドキリとしたのですかな? 根っこですかな? 維管束ですかな? 葉の気孔ですかな?」 「そ、そんなことを言われても、困るよ……」  専門用語を並べ立てるカクレの言葉を聞いても、心当たり等ある筈もない。  カクレは樹医にでもなったかのように、じろじろと僕を上から下まで眺め回す。 「……ふむ。動揺した時、どこか動いた場所を感知した訳ではないのですかな?」 「難しいことを聞くね。ただ『ドキリとする』という言い方が浮かんだだけだよ。『悲しい』『嬉しい』『ドキリとする』、感情に言葉を付けたのは人間の方だろう?」  僕が感覚を言葉にできるのは、全てカクレから聞いて、人間の言葉というものを知ったからである。語源等を一つ一つ知っている筈がない。  僕の言葉に、カクレはあっと声を出して口元を押さえた。 「成る程。君にとっては、『動揺する』『ドキリとする』といった言葉の間に、人間のような身体的な差異はないということですか。所詮人間の作った言葉で、君の全てを表すのは難しいのかもしれませんな……」  カクレは少し悔しげに唸る。    人間と関わるのでなければ、そもそもの僕の世界には『文字』も『言葉』もない。  それはとても自然な、植物としての当たり前の一つであった。 「カクレに読み聞かせてもらった本も、全て主人公は人間かそれに類するものだったからね」 「ううん……」  カクレは少しだけ眉間に皺を寄せ、それを指でぐりぐりと弄る。  かと思うと直ぐに指を離して、またパッと笑みを浮かべた。 「なら、次持って来る本は、木が主人公のものにします」 「えっ」  そういう問題なのだろうか。  問い返そうとも思ったが、カクレが顔を輝かせているのを見て、上手く反論の言葉が出てこない。  結局僕も、彼女があれこれ興味を示すのが可愛くて仕方ないのだ。 「明日持ってきますからな」 「うん、分かったよ」  こうして、また一つ約束が交わされる。  明日また会えるという確信に。  僕は、心の底からの安堵を感じたのだった。
/117ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加