死者の祭典

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 間違った橋を渡ろうとしていたことに気づき、慌てて引き返す。路地と水路とが血管の如く入り組んだこの街では、歩いても歩いても道に慣れるということがない。もう引っ越して三年になる私ですらこの有り様なのだから、観光客なら尚更だろう。  敷き詰められた小さな紙片──丸や星形やハート形のカラフルな紙片。小さな子供たちがまいていった紙吹雪だ──を踏みしめながら、元来た道を行く。前方から仮装をした一団がやってきて、壁に張り付いてやり過ごす。シスターに吸血鬼に座敷わらし。ヴェネツィア風の仮面。それにアニメやゲームのキャラクター。  盆祭りの時候だ。一年を通してツーリストで賑わうこの街に、とりわけ華やかで騒々しい季節がやってきたのだ。  今頃、街の大広場は盛況だろう。動物小屋に奇術師の館、巨大な特設スクリーンに映し出される人気ミュージシャン。鬼灯やカットフルーツ、カラメル味のポップコーンなんかを売る屋台。旅行客たちは丸子神社の大鳥居をレンズにおさめようと悪戦苦闘し、子供たちは鳩の群れを追いかけ回す。そして誰もが、めいめい勝手な仮装をしている。  はて、お盆とはどんな行事だったっけ。猫も杓子も、ハロウィンと混同してはいないか──子供心にも、そう考えずにはいられない。ともかく今年は、水路に飛び込む跳ね返り者が現れないことを祈ろう。なんといってもこの街の麗しき水路は、遊泳が禁止されているのだから。  祭りの喧騒を避け、私は狭い路地を、水路に沿って歩いていた。時々おつかいの帰りにすら道に迷うのは困りどころだが、やはりこの街をを歩くのは楽しい。観光客は美術館や博物館、有名な寺社にばかり目を輝かせるけれど、この街の見どころを挙げろと言われたら、私はこの左右に高い壁がそびえる路地と、張り巡らされた水路だと即答する。  煉瓦造りの家が左右にそびえる路地、土壁の路地、板塀に石垣。橋だってさまざまだ。アーチを描く煉瓦の橋、質素な石造りの橋。歩くとみしみし音を立てる、人ひとり分の幅しかない木製の橋──まるで街全体が、橋の展覧会場だ。  それら一つひとつの路地や橋に、私たち子供は、好き勝手に安直きわまる名前をつけていた。  いつも頭上に洗濯物がはためいているから洗濯通り、壁に「Hawaii」といたずら書きがされているからワイキキ・ストリート、眼医者の怖い看板がかけられているから目の玉橋、といった具合に。橋や通りの命名権をめぐって、級友といさかいをおこしたのも一度や二度ではない。  屋形船が水路を通る。ただでさえ天井が低い屋形船に乗っているのに、その上建物が左右にそびえているのだ。観光客たちは妙な安堵感を味わっているに違いない。まるで巨大な二つの手のひらで、すっぽりと包み込まれているような。  私が今歩いているのは、北の乗船所に通じる、サボテン通り──見事な黄色の花を咲かせるサボテンが窓辺に飾られている家があるため、この名をつけたのだ──という名の道だ。ここから先は外海に通じていて、沖には墓場島がたたずんでいる。  墓場島は松の木と赤煉瓦の壁に囲まれた人工島で、名の通り島全体が共同墓所として使われている。すでに建物と水路がひしめいているこの街に、あらためて霊園をつくる余地などあるはずもなく、止むに止まれず海の一部を埋め立てて作ったのがこの島なのだそうだ。  毎年盆の季節になると、この島から死者が帰ってきて、生者に混じって何食わぬ顔で祭りを楽しんでいく──というのは、この街で囁かれる伝説の一つだ。  サボテン通りの途中、水辺に降りる石段に、彼は腰掛けていた。いつものように浴衣姿で、いつものように波打ち際で足をぶらつかせ、いつものように釣り糸を垂らしている。糸も竿もぴくりとも動かないのも、バケツの中身が空っぽなのもいつも通りだ。  私がそちらへ歩いていくと、彼は顔を上げ、そしてふっと笑った。 「やあ、いいお面じゃないか」 「被らされたんだよ」
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