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「もう一度だけ、藪太廻さんに会って詳しい話を聞いてみようかな」
二度と関わるつもりがなかったから、連絡先を聞いていない。
「あのまま引き下がるとは思えないから、どこかで会えそうな気がする」
ケーナは、彼と会ったコンビニに行き、しばらく立ってみた。
一時間ほど経つと、小型のミックス犬がやってきて、ケーナの目の前で口にくわえていた小さく折りたたんだ紙切れを落とすと去っていった。
「何だろう?」
意味がありそうな気がしてそれを拾ってみると、「河川敷で話そう。藪太廻」と書いてあった。
「これって、藪太廻さん?」
今の犬を捜すと、数メートル先にいて、まるでついてこいと言わんばかりにこちらを見て、「ワンワン!」と鳴いている。
「案内してくれるの?」
犬について行くと、広い河川敷についた。
犬が走り出したので、慌ててケーナも走った。
土手から広い河川敷を見渡すと、犬と焚火とスーツの男が見えた。
焚火から、黒い煙が立ち上がり、火の粉が上昇気流に乗って舞っている。その前にいるのは、藪太廻だ。
「いた!」
藪太廻は、枯れ草や枯れ枝を焚火にくべている。
「藪太廻さん!」
名前を呼びながら近づいた。
声が聴こえた藪太廻は、太い首を柔らかく曲げてケーナを見た。
「やあ」
「ここで何しているんですか?」
「見ての通り、焚火をしている」
「このメモ、藪太廻さんですよね?」
「ああ、見てくれたか」
藪太廻の横で、先ほどの犬が寝そべっている。
「その子、賢いですね。藪太廻さんの犬ですか?」
藪太廻は、犬の頭を撫でた。
「そう。とても賢い。あんたの顔もちゃんと覚えていて、メモを渡してここまで案内するように言った」
犬人間が犬を飼っている。
「なんて名前ですか?」
「ベドウィンだ」
「いい名前ですね」
「ベドウィンは、遊牧民と言う意味でね、もともと野良犬で、捕まって処分されるところを引き取ったんだ」
「遊牧民って、洒落た言い方ですね」
高尚な響きでいいとケーナはすっかり気に入った。
「野良犬、野良猫と言う呼び方は好きじゃない。彼らは、野生動物と同じように自分の力で生きている。だから、遊牧民と呼ぶ方が相応しいと思っている」
「確かに、野良カラスとか野良ネズミとは呼びませんもんね。違いがあるわけじゃないのに」
「外で生きることは、恥じることではない」
「そっか」
犬探偵に拾われるまでの自分を「野良ハムスター」と呼んでいたケーナは、そこに自虐や蔑みの気持ちが隠されていたんだと気づいた。
「っと、こんな話をしに来たんじゃないです。犬探偵藪やぶ犬と名乗っていた弟さんのこと、もっと詳しく教えて下さい」
「協力してくれるんだね」
「はい。話次第では、調べてみようと考えています」
「それはありがたい」
藪太廻は、経緯を話し始めた。
「前に言ったように、次廻は藪やぶ犬名義で探偵をしていたが、まったく儲かっていなかった」
「そこはうちと同じですね」
「次廻には金儲けの才能がなかった。依頼人に同情すると、探偵料を安くしたり、時には受け取らなかった」
「うわー、師匠と同じ! うちの師匠もお金に無頓着なんです。私がついてからは、しっかり報酬を受け取るようになりましたけど、それまでは酷いもんでした。今でもたいして儲かっていないですけどね」
性格は似た者同士のようだ。
「それで何とかなっているならいいじゃないか。次廻の場合は、何とかならなかった。借金がかさんで実家の土地を抵当にするほどだった。借りたものは返さなきゃならないが、思い通りにはなかなかいかないもんさ。返すどころか借金は膨らみ続け、このままでは土地を差し押さえられてしまう危機になった」
「大変ですね。そこまでいくと、探偵業で返済はとても無理ですね」
「そこで弟はさらに悪手を打った。一発逆転を狙って、投機に手を出してしまった」
「えー、投機で一発逆転って、絶対無理でしょう」
「勿論、上手くいかなかったさ。借金は雪だるま式に増え続け、総額三千万までになった」
「三千万⁉」
とんでもない額だ。その額を稼ぐためには、一体一日に何件依頼をこなさなければならないのか。それ以前に、そんなに仕事が来ない。相当お金持ちの依頼人が運よく現れて、これまた運よくすんなり解決できればなくはないが、そんなことは夢物語だろう。
「それで、どうなったんですか?」
「私たちは親族会議を開くことになった。議題は当然、借金返済方法と土地を失った時の対処法についてだ」
「そんな会議が開かれるなんて、本人には針のむしろでしょうね」
「今後について話し合うつもりで、責める気はなかった。ところが、その会議に次廻は姿を現さなかった」
「フーム、どこかに雲隠れしてしまったんですね。想像するに、とても顔向けできなかったんでしょう」
ノコノコ出ていく勇気があったら、その人は相当な強者であろう。
藪太廻は、ザックザックと、消えそうになっている焚火の火種を動かして枯れ木を追加した。再び火の勢いが強くなる。
「大事なところはこれからだ。次廻が一向に顔を出さないことに皆が騒ぎ始めた頃、電話が入った。『大きな案件があって、一括で返す目途がついたから、安心して欲しい。しばらく仕事でいなくなるけど、心配しないでくれ』と言って一方的に切られてしまった。それきり連絡がつかなくなったが、言った通りに三千万円が振り込まれて、それで借金は完済できた。私たちは次廻が帰ってくるのを待ったが、三年経っても戻ってこなかった。ここまで経つとさすがに変だと思った」
「どうしたんでしょうね?」
「私たちは、どこかで死んでいるんじゃないかととても心配した」
「それは心配です」
「生きていれば金を返せるが、死んでしまえば終わりだからな」
「なんて優しい人たち! それで行方を探しているというわけですか」
「そうだ」
「でも、それではうちの師匠とあまり関係がなさそうです」
焚火を眺めながら藪太廻は、寂しそうに言った。
「次廻に何が起きたのか、さっぱり分からないことが不気味なんだ。そこまでの大金を一括で前払いされるはずがない。もしかしたら犯罪絡みの金かもしれない。私たちは、本人の口から真実を聴きたいだけなんだ」
「そこで、うちの師匠が犬探偵藪やぶ犬を名乗って探偵をしているとこまで突き止めたってことですか」
「そうだ。なかなか頼りになる藪やぶ犬という探偵がいるとの噂を聞いて、最初は生きていて良かったと喜んだ。でも、それならなぜ私たちの前に現れないのかと訝しんで事務所まで来てみれば、似ても似つかない別犬だったから腰を抜かした。どうしてあのゴールデンレトリバーが、弟の名前で探偵をしているのか。このことが三千万の返済と何かしら関係があるのか。直接聞く前に、いろいろ調べてみようと思っている」
「師匠なら、正攻法の方がいいと思いますけど」
「私たちには彼の情報が一切ないから、迂闊に近づけない。もっとも、あんたを見ていると、悪い人物ではなさそうだな」
「師匠は悪い人じゃないです。弱きを助け強きを挫く正義の味方です。でも、確かに謎は多いです」
犬探偵藪やぶ犬は謎が多いと、身近で見ているケーナでさえも思う。
一番謎なのが、儲かっていないのに破産しないところだ。赤字で困っていると、犬探偵が補填してくれる。
自分の資産から払っていると言うが、いつか底をついてもおかしくないぐらい払っている。
毎日一緒にいるから、本業の他に収入源がないことはよく知っている。暇なときは、新聞を読んでいるか数字パズルを解いている。どちらもお金にはならない。
裏で悪いことをしている様子もないし、宝くじでも当てていて、探偵は道楽なのかと思うぐらい、お金が無くならない不思議な財布を持っている。
焚火の火が消えると、急に寒さを感じた。
「焚火、消えちゃいましたね」
焚火の灰を木の枝でかき混ぜていた藪太廻は、「ほら、これをあげる。温まるぞ」と、大きな焼き芋を木の枝に刺してケーナに差し出した。
「熱いから、このまま持つと良い」
木の枝ごと渡された。丸まるとした焼き芋は、ホカホカで甘い蜜を滴らせている。
「ワーイ! いただきます! ハフハフ……。オイヒイー! 甘くてホックホクです!」
「ハハハ、美味しそうに食べるね」
藪太廻は、夢中で焼き芋を頬ぼるケーナを愛おしそうに見た。
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