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男性浴場の入り口で止まった。
「ここで匂いが消えている。体を洗って着替えたら、匂いが分からなくなってしまう。これ以上は無理だな」
「また、お風呂ですか。豪華客船プリンセス・ヒポポタマス号を思い出しますね。……あれ? でも、こっちは男湯ですよ。女湯じゃないんですか?」
「入り口まではっきりと匂うから、差出人はこの男湯に入っていると断言できる」
「ここも時間で男女が入れ替わるとか」
横の説明書きを読んだ。
男女の入れ替えがあるとは書かれていない。
「温泉じゃないんだし、それはないようだ」
男女で浴場の置かれた階数が違い、間違えて入らないようにできている。
中でロッカールームと繋がっている。
男女ではっきりと分かれ、入れ替えを想定しない構造だ。
「じゃあ、男なんでしょうか」
「さっそく、プロファイリングが外れそうだな」
犬探偵がニヤニヤするので、ケーナはムッと返した。
「師匠、嬉しそうですね」
「そんなことはないさ。ただ、プロファイリングも善し悪しでね。思い込みによる誤捜査もなくはない。あくまでも、参考程度に使うもんだ」
悔しいケーナは必死に考えた。
「待ってください。今、ピンと来ました。必ずしも男とは限らないかもしれませんよ」
ケーナは諦めが悪い。
「ここまで来て?」
「女性スタッフなら、掃除のために男性用に入れます」
「そうかもしれないが……」
そう言っているそばから、掃除のおばさんが出てきた。
「ほら、ほら」
ケーナが肘で犬探偵をつつくが動かない。
「匂いが全然違う」
「そうですか。じゃあ、違いますね。でも、いいセンいっていたでしょ。まだ外れと決まったわけじゃないですよね」
「分かったよ。そういうことにしておこう」
犬探偵は、ケーナの往生際の悪さに辟易する。
「こんな事になるなら、もっと早く捜しておけばよかったですね」
「脅迫状とは思わなかったからな」
先ほど一緒にぶつかられたマッチョの児玉が出てきた。全身から湯気が出ている。
「児玉さん」
「あ、さっきのハム……」
「ケーナです。先ほどは怪我がありませんでしたか?」
「鍛えているから、あれぐらいどうってことないよ」
わざわざ両腕を上げて大胸筋を強調した。
「間にあなたが入ってくれて助かりました」
「潰さないよう、とっさに腕で空間を作ったんだ。怪我がなくて良かったよ。あの体は重かったがな。僕よりはるかに体重がある」
歯並びのよい白い歯を見せて笑った。
「そうだったんですか! どうりですっぽりとうまい具合に収まったと思いました。助かりました。ありがとうございました」
咄嗟の機転に感謝して何度も頭を下げる。
「気にするな。じゃ」
児玉は帰っていった。
「いい人でしたね」
「そうだな」
ジムに戻ると、芋茎がケーナのところにやってきた。
「さっきはぶつかってごめんなさい」
しおらしく謝られたのでケーナは吃驚した。
「あ、いえ……。私より、児玉さんに謝った方がいいかと」
「さっき謝った」
「足は痛くないんですか?」
左足首と両膝に包帯を巻いている。
「痛みはとれないけど、なんとか歩けるようになったんで帰ります。助けてくれてありがとうございました」
犬探偵にも頭を下げると、足を引きずって帰っていった。
「なんか、彼女も悪い人じゃなかったみたいですね」
「そのようだね」
さんざん貶めてしまったことで、ちょっとだけケーナの心が痛んだ。
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