犬探偵はニセモノ⁉

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 ケーナは、最初から一人だったわけではない。  母親と10人の兄弟がいる大家族に生まれてワイワイ楽しく暮らしていた。  兄弟仲は良かったが、生存競争は激しかった。  ママのおっぱいは奪い合いだし、柔らかくて暖かいママのお腹も取り合いで、独り占めは許されなかった。  確保しても安心できなかった。おっぱいを飲んでいる最中だろうが、体を引っ張られて放り出されて奪われた。奪われてばかりでオタオタしているミソッカスは、ママが一番近くにしてくれた。こうして優しいママの元、兄弟平等に大きくなった。  ヒマワリの種も奪い奪われて兄弟喧嘩の日々。これのせいで、食べ物があれば急いで頬袋に隠す癖がついた。  それでも全員家族だから、とても楽しかった。  そんな日々は、ある日突然終わりを告げた。  ケーナ一人だけ、段ボールに閉じ込められて外に捨てられたのだ。  真っ暗な中で、最初はママを必死に呼んだ。 『ママ! ママ! どこ? ママー!』  ママどころか誰も助けに来ないと分かって、段ボールを必死にかじって外に出た。  そこには初めて見る世界が広がっていた。 『ここ、どこ? ママは? みんなは?』  家族の姿はどこにもなかった。  見上げれば大都会のビル群。足元には固い石畳。空気は汚く、常に喧噪と騒音が聴こえた。  人間はたくさんいたが、誰も自分に関心を払わなかった。  呆然としていると、お腹がグーと鳴った。長い間何も食べていなかった。  家の場所も分からなかった。家族は誰も迎えにこなかった。  とりあえず、何か食べ物が欲しくてさまよったが、どこに行ってもシッシと手で追い払われた。 『ワンワン!』 『キャア!』  通りを歩いていると犬に吠えられて怖くて逃げた。表通りを歩けなくなった。  薄暗くて嫌な臭いが漂う裏通りを歩いていると、一人の男がゴミ箱をあさっていた。中に捨ててあったパンを拾って食べていて、それを見ていたケーナに気付くと、気まぐれにひとかけらくれた。それをむさぼるように食べた。小さくてすぐ食べ終わった。  頼れる大人を見つけたと思ったが、男は黙って立ち去った。  これからは、自力で食べ物を探さなければならないのだと思うと泣けてきた。  それからは、野良ハムスターとして毎日必死に生き抜いていた。  味方はいなくても、敵はたくさんいた。野良猫、カラス、ネズミ。  エサの奪い合いや縄張り争いで、野生の彼らに勝つことはできなかった。  カラスには、堅いくちばし、鋭い爪、空飛ぶ翼がある。野良猫も牙と爪がある。動きが敏捷で跳躍力がある。ネズミは集団で襲ってくる。どれも太刀打ちできなかった。  栄養失調で毛並みはボロボロ。やせ細った。そんな時に犬探偵と出会ったのだ。  ――その日は、朝から深々と雪が降っていた。  カラスに追われて逃げまどい、ゴミ袋の山の中に潜り込んだ。  賢いカラスは、ゴミ袋を一つ一つくちばしで動かしてケーナを探した。  ケーナは奥へ移動したが、ゴミ袋が動いてすぐに見つけられた。 『カア! カア!』  カラスが仲間を呼んでいた。このままでは捕まってしまう。  ケーナは体を丸めてプルプル震えていた。  カラスは、バッサ! バッサ! と大きく羽ばたくと、遠くに飛んで行った。 『逃げていった?』  ゴミの間から頭だけ出して空を見上げると、雪が降っていた。  これを嫌がったようだ。悪天候のお陰で命拾いをした。  悪臭漂うゴミの山から這い出たが、これ以上動く気力は残っていなかった。  体を丸めて頭と手足を温めていると、ママのぬくもりを思い出した。  ケーナの体が白い雪に包まれていく。  このままでは埋もれて凍死してしまうと分かっていても、動く気になれなかった。  このまま死んでもいいと投げやりな気持ちで寝ていると、誰かの手を感じた。  その手は、ケーナの体についた雪を払った。 (誰だろう? 何をしているんだろう?)  今度は、ファサッと何かを体に掛けられた。  何が起きているのかと頭を出して見てみると、クラシカルなフェルトハットをかぶって、グレンチェック柄の三つ揃い高級スーツを着た、ゴールデンレトリバーの犬人間が自分を見下ろしていた。  彼が自分の着ていたコートを脱いで、ケーナに着せてくれたのだった。 『このままでは、凍死しますぜ』  犬人間は、優しい目をしていた。  雪は一層激しく降り続いていて、傘を差していなかったその人は、あっという間に頭から肩にかけて白い雪にまみれた。  それを黒い革手袋の手でパッパと軽く払った。その動作は気障だったが、自然で嫌味がなかった。  ケーナは、取りあえずお礼を言おうと立ち上がった。 『これ、ありがとうございます』 『あっしの名は、犬探偵藪やぶ犬』 『ケーナです』  ケーナよりはるかに背の高い犬探偵藪やぶ犬のコートは、ケーナが肩掛けすると半分以上引きずっていた。 『私には長いので、お返しします』  脱ごうとするケーナを犬探偵は止めた。 『そのまま着ていていい』 『私、ゴミ臭いでしょ。コートに臭いが移ってしまいます。それに、道路が真っ黒な水で一杯です。引きずると綺麗なコートが泥水で汚れてしまいます』  生ごみから流れ出る腐った水と、踏み散らかされてベチャベチャになった雪の水で道路は真っ黒。コートが汚れてしまうと心配するケーナに、『気にするな』と、犬探偵はダンディーに言った。 (格好いい……)  ケーナは、心を鷲掴みにされた。 『ケーナ君は、これから行くところがあるのかい?』 『ありません。私、家もないし、天涯孤独なんです』  悲しくなるから、家族のことは出来るだけ思い出さないように努めていた。 『お腹は空いていないかい?』 『ずっと食べていません』 『では、何か温かいものでも御馳走させてもらいやしょう』 『迷惑じゃないでしょうか?』 『全然さ。ついておいで』  犬探偵が歩き出したので、後をついて行った。  降り続ける雪の中をダンディーに歩く犬探偵の後ろ姿にケーナは魅入った。  この人について行きたいと思った。 『あの、あの、犬探偵藪やぶ犬さん』 『なんだい?』 『御馳走してもらうだけでは心苦しいので、犬探偵藪やぶ犬さんのところで働かせてもらえないでしょうか?』  犬探偵は、ケーナの申し出に意外そうな顔をしたのち、ほほ笑んだ。 『そりゃあいい。あっしも、ちょうど人手が欲しいと思っていたところでさあ』 『ありがとうございます!』  何度も頭を下げた。  それまで四足歩行だったケーナは、立ち上がると二足歩行で犬探偵について行った。――  これが、自分の人生を変えた犬探偵との出会いだ。  犬探偵に憧れて同じようになると決めたケーナは、この日を境に服を着て二本足で歩くようになった。いつも着ているセーラー服は、自分でデザインして作ったものだ。  犬探偵は、命を救ってくれて、野良ハムスターだったケーナに仕事まで与えてくれた大恩人だ。  ケーナも、困っている人が目の前にいたら、犬探偵を見習って迷わず手を差し伸べられる人になりたいと思った。  生き方を教えてくれて、希望を与えてくれた凄い人。だから、敬意をこめて師匠と呼んでいる。  後ろ暗いところがあれば、ケーナを助けることもなく、雇うこともなかっただろう。  そんな犬探偵だから、藪太廻(ためぐり)の話はすぐに信じられない。もしも本当に他人の名前を使っていたとしたら、そこにはさぞかし深い事情があるはずである。
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