犬探偵はニセモノ⁉

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 ケーナは、藪太廻と別れると、事務所に戻った。後ろ暗さを抱いているから、足が重い。 「ダメダメ、いつものように元気良く帰らなきゃ!」  玄関の前で、ペシペシと自分の両頬を叩いて気合を入れると元気よくドアを開けた。 「ただいま!」 「お帰り」  隣の部屋から犬探偵の声が聴こえてきた。機嫌は悪くなさそうだ。  ケーナは腹の力を入れて声を出した。 「今日はお魚が安かったから、師匠の好きな揚げ魚の甘酢あんかけにしますね! 野菜をたっぷり入れますから!」  精一杯声を張り上げたが、目を合わすことが出来なくて、顔を背けたままキッチンに直行する。  冷蔵庫に買い物の品を入れていると、犬探偵がやってきた。 「誰かと会っていやしたかい?」 「ギクウ!」  ケーナは、全身に冷や汗を掻いた。  どこに行っていたのかと聞かれるよりも強烈な質問である。  平気な顔を無理して作って聞き返す。 「それ、どういう意味ですか? 誰にも会っていませんけど」 「ほんの数時間であっしの特技を忘れやしたかい?」  二度目の「ギクウ!!」。  犬探偵の特技は、言わずと知れた鋭い嗅覚である。あらゆる臭いをかぎ分ける。  いくら取り繕っても、臭いまでは誤魔化せない。 (でも、直接触れていない藪太廻さんの臭いが付くはずがない。もしかして、鎌を掛けられている?)  犬探偵は、詰め寄り顔をしている。何かを察して、ケーナに疑惑の目を向けていることは明白である。  ケーナは、空笑(そらわらい)空笑いした。 「アハハ! 嫌だなあ、師匠。誰とも会っていませんよう! ああ、でも、お魚屋さんとは話しましたけど。調理のコツとか、魚の臭みの取り方とか教えてくれました」 「いや、違う。ケーナ君から焼き芋の臭いがプンプンする。どこかで食べたはずですぜ」  三度目の「ギクウ!!!」。  アセアセアセアセ……。  ケーナの動きは、明らかに挙動不審となった。 「あっしには、バレバレですぜ」  これは、一部分だけでも認めた方が賢いだろう。 「分かりました。黙っていてごめんなさい。美味しそうな石焼き芋があったので、つい……。師匠の分も買ってくるべきでした。自分だけ食べてすみませんでした」 「あっしは、ケーナ君が自分だけ食べたとしても責めやしやせん。そうではなくて、なんというか、石焼き芋じゃない、ちょっと変わった臭いが気になるんでさ。もっと雑な臭い。そうさなあ、木の枝、枯れ葉、新聞紙を焼いた臭い。つまり、その焼き芋は、石ではなくて焚火で焼いたものじゃありやせんか? ケーナ君がそんなところで焼いた芋を手に入れるには、それをくれた誰かがいたはずですぜ」  ケーナは、タジタジである。  臭いだけで、ここまで言い当ててしまう犬探偵を騙すことなど、どだい無理な話であった。 「サッサと観念した方が得策ですぜ。あっしの鼻は誤魔化せない!」  これ以上長引くと、本気で怒らせてしまいそうで、ケーナはそれが一番怖かった。 「わ、分かりました! それ以上言わなくていいです! 正直に言います! 私、焼き芋をある人から貰って食べました! ごめんなさい!」  これ以上ウソを突き通すことは出来ないと、平身低頭で謝った。 「最初から正直に話すことが肝心ですぜ」 「そうですね。よーく、分かりました」  ケーナは、藪太廻(ためぐり)に話しかけられたところから話しだした。 「実は、藪太廻さんと言う人から焼き芋を貰いました。師匠は、藪太廻さんと言う名前を聞いて、何か思い出しませんか?」 「さあて、聞いたことのない名前ですねえ」 「では、藪次廻(じめぐり)という名前に聞き覚えは?」  犬探偵の耳がピクンと動く。 「知っているみたいですね」 「なるほど。そういうことですかい。藪太廻は、藪次廻氏の親族ってことですかい」  犬探偵は、驚くほど素直に認めた。 「そうです! やっぱり無関係じゃなかったんですね! そしてそれは、師匠が藪やぶ犬を名乗っている理由と絡んでいる! そうですね?」 「まるで、こちらが尋問されているようだな」 「誤魔化さないでください! 師匠! 私は包み隠さず全てお話しします! だから、師匠も本当のことを教えてください! 藪次廻さんのこと、藪次廻さんが使っていた藪やぶ犬名義を師匠が使っていること、全部です!」  犬探偵は、ケーナの強い熱がこもった眼差しに圧倒された。 「どうやら、潮時のようですかね」 「師匠!」  やはり犬探偵は何かを隠しているのだと、ケーナはショックを受けた。 「藪太廻さんは、藪次廻のお兄さんです。藪次廻さんが行方不明なので探していて、師匠を見つけたそうです。そして、私に、『藪やぶ犬は、弟が使っていた名前だ』と言いました」 「そうか……。とうとう見つかってしまったか」  口ではそう言いながら、犬探偵は悪びれることなく悠然としている。 「師匠は、藪次廻さんが、今どこでどうしているかご存知ですか?」 「それは、あっしにも分からない」  犬探偵は、心痛な面持ちで否定した。 「本当に?」 「今更、ウソは吐きやせんぜ」 「殺して身分を乗っ取ったとか、言わないですよね」 「あっしが人を殺したと思うんですかい? そいつは不本意。それだけは絶対にない」 「そうですよね。信じます」  ケーナの大きな瞳から、透明な涙が美しく流れ出た。 「私! 私! 何があっても、師匠を信じています! 何があったとしても、師匠について行きます!」  犬探偵は、泣いているケーナの頭を優しく撫でた。その触り方が初めて会った日のことを想起させた。あの極寒の日、真っ白な世界でただ一人、自分を見つけて助けてくれた命の恩人。それが犬探偵藪やぶ犬だった。尊敬、心酔、希望、目標の対象であり、あらゆる答えを持っているのは、この人しかいないと信じて今日までついてきた。  ケーナは、「エッグ! エッグ!」と、すすり泣いた。 「泣くんじゃない」 「だって……。ヒック……、グズ……」  耐えようとしても、涙が出てきてしまう。 「藪太廻さんも交えて一度話しやしょう。ここに呼ぶといい」 「藪太廻さんが納得いくように、全部話してくれるんですね?」 「あっしが知っていることは、全て話そう」  犬探偵は、力強く約束した。
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