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花の匂ひ 前編
ここは、ゴールデンレトリバーの頭を持つ藪やぶ犬の探偵事務所。
助手ハムスターのケーナは、帳簿の赤字を見ながらため息をついた。
「ハァ~。今月も赤字です」
探偵は、タピオカミルクティーを吸いながら言った。
「そんな湿気た顔だと、運気が下がるぞ。ズー……ズズー……」
「なんとかしてくださいよ。全然、依頼がないじゃないですか。このままでは、どこかに働きに行かないとならないですよ」
「ケーナが食べすぎなんじゃないか?」
「最近はヒマワリの種しか食べていません! それも、河川敷で自生しているヒマワリから集めているんです! 師匠が食べすぎなんです! 次の依頼が来るまで、タピオカミルクティー、禁止!」
「そんな……」
探偵はショックを受けている。
「師匠、何か収入源を考えてくださいよ」
「あっしは、探偵以外のことはしないんです」
ダンディーに副業を拒否する。
「恰好つけても、お金になりません!」
ケーナは、プンプンと怒った。
――ドーン!
外で衝撃音がした。
「今の音はなんでしょう?」
ケーナが先に様子見に外へ出ると、フルスピードで車が走り去るのが見えた。
そして、道路にスーツの男性が倒れている。
「キャアアア!」
「事件か!?」
ケーナの悲鳴に探偵が飛び出てきた。
「ひ、ひき逃げ!」
「なに!?」
「大丈夫ですか!」
倒れているのは、シベリアンハスキーの頭を持つ青年だった。
「この人! 師匠のお仲間ですよ!」
探偵は、青年の顔を覗き込む。
「知らない顔だが?」
「同じ犬人間じゃないですか! お仲間でしょう?」
「そうとも言えるが、そうとも言えない」
「ウ……、ウウ……」
シベリアンハスキー青年はうめいている。
「とにかく、救急車だ!」
救急車を呼んで、二人は付き添った。
病院で手当てを受けた青年は、ベッドの上で意識を取り戻した。
「助けていただき、ありがとうございました」
「命に別条がなくてよかった」
骨折もせず、内臓も損傷なし。全身打撲と診断された。
退院も痛みが取れれば可能とのことだった。
ケーナは、ベッドに寝ているシベリアンハスキー青年をまじまじと見て、凄いイケメンだと驚いた。
(イケメンだ!)
黒と灰色の毛並み。灰色がかった青い瞳、シュッとした口元。ピンとした立ち耳。ニヒルな顔立ち。すべてがセクシーで、ハムスターのケーナでもゾクゾクする。
「あっしは、探偵の藪やぶ犬。こっちは助手のケーナ。君の名は?」
「私の名? ……ああ、ダメだ。思い出そうとすると頭痛がする……」
青年が苦悶の表情になる。それもまた、格好いい。
「もしかして、記憶喪失?」
「そうかもしれない。何も、思い出せない……」
困った顔もイケメン。
「頭を強く打ってしまったか」
これでは、身内に連絡できない。
探偵も困り顔。
「君はひき逃げされたんだが、何も覚えていないか……」
「そうだったんですか。何が起きたかも覚えていなくて」
「そうか……。引き取り手がいないとすると……」
(まさか?)
ケーナは嫌な予感がした。
「君、よかったら記憶が戻るまでうちの事務所にこないか?」
(やっぱり! 今朝、赤字だと話したばかりなのに!)
それは、お金が掛かると言うことだ。
「いいんですか?」
青年は、少し明るい顔になった。
「君の身元がわかるまでは面倒みよう」
そんな余裕などないのだが、探偵はお金に無頓着。ケーナがやりくりするしかない。
頭の中で銀行残高を計算した。
(足りるかな……)
ちょっと、不安。
まだまだ当分の間、自分はヒマワリの種でしのぐしかない。いや、アサガオの種も追加で。
「何か思い出せることはないかな?」
「花の匂い……」
「花?」
「はい。フローラルの匂いを覚えています。甘い香り……。いつもその香りがそばにあった……」
記憶が匂いとつながっている。
(やっぱり、犬ね)
ケーナは感心する。
「少しずつ、思い出していこうじゃないか」
「ありがとうございます」
青年は、精一杯感謝した。
「君をなんて呼べばいいかな」
「……スチュワード」
「名前を思い出したか?」
「スチュワードと呼ばれていたような気がしますが、確信が持てません……」
不安げな顔。
「充分だ。あっしたちも君をスチュワードと呼ぼう」
「わかりました。それで結構です」
日本人離れした名前だが、彼にはとても似合っていて違和感がない。
「やっぱり名前があると、違いますね。落ち着きます」
あやふやな存在だったものが、名前によってしっかりする。
スチュワードはベッドから降りた。
「さっそく退院します」
「もう?」
「無一文なので、のんびり寝ていられません。体は動きますから。事務所のお手伝いをさせてください。ただ飯を食べるのは、どうも落ち着かない」
イケメンなだけでなく、働き者の好青年。好感度がグッと上がる。
入院治療費は、事務所が立て替えた。
三人で事務所に戻る。
探偵は、スチュワードの写真を撮った。
「あっしは、匂いを追ってスチュワードの身元を探してくる。ケーナは彼の面倒を見ていてくれ。まだまだ安静にしていなければならないからな。それと、丁度体格も似ているから、あっしの服を彼に貸してやりたまえ」
「承知しました」
探偵は、出て行った。
ケーナが出した探偵のスーツにスチュワードは着替えた。
「ウワ! 似合う!」
長い手足で男前。
多分、スーツでなくて何を着ても、その色気を隠せはしないだろう。
「師匠より、ダンディーになりました」
「そうかい?」
スチュワードもまんざらでもない。
モフモフの太い尻尾が左右に動いている。そこは探偵と同じだ。
「着こなしも上手。そういえば、スチュワードさんもスーツを着ていましたもんね」
スチュワードのスーツは転んだ時に擦り切れてボロボロで、もう着られそうにない。
しかし、このスーツ生地が結構高級そうなのだ。
記憶喪失でも、言葉遣いと物腰に上品さを忘れない。
(もしかして、お金持ちの人かもしれないわね)
記憶を取り戻して謝礼をたんまりもらえるといいなと、ちょっぴり期待する。
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