-間諜と謀略の狭間で-

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<2>  それからおよそ三十分程経っただろうか。  暫くすると・・いかにも気まずそうな面持ちで、鞠と村雨の二人がこそこそと帰って来た。  鞠の手には、近所の馴染みの和菓子屋の包みが握られていた。  隣の村雨は照れ臭さで、とでも云った所だろうか。  気まずそうに頭を掻き毟り、そっぽを向きながら皆に謝罪した。  「・・・スマン」  だが、鞠は俯いたままで何も話そうとはしなかった。  「さあ、これで全員揃ったね!」  そう言い、霧島が手を叩いてその場を仕切り直した。  「それじゃ僕達は二階にいってるからね~、盗み聞きしちゃだめだよ、鞠ちゃん!」  宇佐が鞠にやんわり釘を刺し、湯飲みと急須の乗ったお盆を手に取り、階段を上がった。  「先に茶菓子とお茶を貰って行こうか。・・じゃあな」  村雨が、たった今鞠が買って来た菓子の包みを手に取ると、鞠にウインクした。  鞠は途端に真っ赤になって、  「わ・・わかりましたわっ、・・気持ち悪い」  震えながら悪態を吐き、ぷいと顔を背けた。  ・・・首から上が真っ赤に染まっていたが。  草壁がぼそりと、  「鞠・・・お前、男の趣味は悪いんだな」  そう呟いた。  瞬間、思いっきりビンタが飛んで来た。  「お兄様の、馬鹿!」  ビンタは躱したものの、心に喰らったダメージは相当きつかった。  心なしか落ち込む兄に、鞠が更にきつい追い打ちを掛けた。  「わたくしはこれでも淑女の端くれです。盗み聞きなどと言うはしたない真似は致しませんから、皆様はその”小さくて女みたいな外国人”と好きなだけお話すればいいわ!」  そこに居た全員が、  「・・・小さくて、女みたいな、外国人・・・・」  余りに的を得たその一言に絶句した。    二階での話し合いは、暫くの間沈黙が続いた。  何より、アルフレヒドがさっきの一言に憔悴しきっていた。  ぶっちゃけ、「チビ」「余所者」「女みたい」「勝手にしろ」と纏めて、しかも面と向かって言われたのだ。  それを年頃の少女に言われた・・アルフレヒドのショックは相当な物だった。  ・・・暫くの重苦しい沈黙を破り、口を開いたのは宇佐だった。  「ああ、もう!隆があんな爆弾落とすから!大事なお客さんな筈の博士が被害に遭ったじゃないか!・・んもう、取りあえずはさ、鞠ちゃんの買って来たお菓子でも食べて和もうよ~」  「・・賛成」  「・・・・すまなかった。不用意な発言だった・・」  「・・これに懲りたら、鞠ちゃん怒らすのだけは止めようね?いいね、隆!」  「俺が云うのも何だが・・あいつは口が立つからな。そうで無くたって女って奴は、口で戦ったら俺ら男じゃ絶対に勝てやしねえ」  「・・・・・あれは、私なりの冗談のつもりだったんだが」  その一言に、三人が  「笑えないよ!(笑えねぇ)」  と絶叫した。  そんな四人に、アルフレヒドはクスリと笑ってしまった。  男同士の友人でも、こんなに仲のいい連中は見た事が余り無かった。  アルフレヒドは諸事情有って、幼少期から同年代の子供と碌に交流すら出来なかった。  それは・・出自の事と、この見た目の所為。  だから少しだけ、彼等の事が羨ましかった。  そして、そんな彼等の言葉の中に現在、少しだけ緊張を感じるのは、恐らく・・・。  「・・・お話と云うのは、私の事ですね」  一瞬、その場の空気が緊張した。  だが、アルフレヒドの答えに皆が無言で頷いた。  此処で取り繕っても所詮時間ばかり食うだけで、どちらにとっても利は無いと判断しての事だった。  「正隆の件、貴方に納得のいく物を差し出した訳でも無いのに、図々しい事は百も承知の上です。ですが・・」  草壁の言葉をアルフレヒドが遮った。  「貴方方が軍人と云う仕事をなさっていて、上の決めた事に逆らえない事は理解しています。恐らく、この話もそう云う経緯で上から命令されて・・・と云うのが今回のあらすじなのではありませんか?そもそも、仮に貴方方が私に個人的に興味があり、私の事を調べ上げてわざわざ遠いドイツから、ナチスに厳重に警護されていた私の逃亡を助け連れて来た・・と云う仮説には流石に無理がありますよね?よしんば”医師”と云う私の立場に着目してと云うのなら・・腕の良い医者なら、私の様な者で無くても、この国でも捜せば幾らでもいらっしゃる筈です。そもそも、何か理由が無ければ、私を遠方からはるばる連れて来て此処まで歓待する必要は貴方達にはありません。貴方方の国も、今は戦争中で物資や人材は不足して居る筈なのですから」  「正解!君、凄いねえ!大正解だよ」  霧島が口笛を吹いて、彼の洞察力を褒め称えた。  「これでも医者の端くれです。いろんな状況で様々な方を見て来て居ますから。それに・・貴方達は、かなり常識のある方達だとお見受けします」  にこりと微笑むアルフレヒドに、皆がつられて笑った。  草壁がそんな彼に頭を下げた。  「本当ならもっと、かしこまった所で相応しいもてなしを受けて当然の方に、こんな質素な家で、粗末なもてなししか出来なくて申し訳無いと感じています。そして、結局のところ・・貴方の願いを叶える事は出来なかった」  草壁の一言にアルフレヒドの方がかしこまる。  「いいえ、私はそもそも観光に来た訳ではありません。その位の事は弁えております。もてなしも、私はちゃんと受けていますよ?これでも楽しませて頂いています。それに、私の願いは・・恐らく貴方方には叶えられません。・・・それより・・私の荷物、なのですが、大使館から受け取る事は出来ません・・よね・・・」  それには、皆が顔を見合わせた。  「大事な物・・入っているよね、やっぱり」  「・・・・でもまあ、どう考えても無理だよね」  「取りあえず、返してくれと向こうにコンタクトを取ったとして・・。それで居場所が割れて、発見次第拉致られるっつーのがオチだろうな」  「・・やはりそう、ですよね・・・」  気落ちするアルフレヒドに、草壁が  「・・どうしても、と仰るのならどうにかします」  そう告げた。  それには、三人が喰って掛かった。  「無理だ、確実にこっちがやられる」  「やばいよ、隆!」  「・・それは止めた方が良い、隆一郎。リスクが段違いに高い」  「・・・出来ない事は無い、と言ったまでだ」  「・・・・・」  さすがにその草壁の言葉に、霧島と宇佐が黙ってしまった。  「何か、入り用の物でも有るのか?それはこちらで用意出来ない物なのか、博士」  村雨の問いに、アルフレヒドは頷いた。  「・・貴方方も、”ヘヴンズゲイト”がお望みですよね。・・恐らく、その事を私から聞き出して来る様にと、軍の上層部から命令を受けたのでは無いのですか?・・・・・貴方方が、私を連れてきた最大の理由が、その”ヘヴンズゲイト”なのではありませんか?」  歯に衣着せぬストレートな問いに、皆が返答を詰まらせる。  その後暫くは沈黙が続いた。  そんな四人の顔を見つめながら、アルフレヒドがゆっくりと口を開いた。  「・・・・・わかりました。それでは、何か拭くものと、その・・腰の軍刀を貸して下さいませんか?」  四人は顔を見合わせた。  草壁がポケットのハンカチを、村雨が軍刀を差し出した。  その軍刀を受け取り、いったんちゃぶ台に置き、シャツの袖をめくり上げるとその白い肌に刀をそっと押し当てた。  そして刀をゆっくりと引いた。  「なっ・・止めなよ!」  慌てる宇佐達にアルフレヒドが静かに笑う。  「いいんです、こうしないと解らないでしょうから」  鋭い刃はアルフレヒドの細腕に食い込み、ゆっくりと肌を引き裂いた。  その・・刀を押し当てた場所から溢れ出るように鮮血が二筋、三筋と肌を伝った。  ぽたぽたと、その血がテーブルに滴り落ちる。  それを四人は黙って見つめていた。  「・・・見ていて下さい」  アルフレヒドはそっと刀を置き、傷口をハンカチでゆっくりと拭った。  傷が、ほとんどない。  ぱっくりと開いて居る筈の傷口が、うっすらとしか見当たらないのだ。  血はとうに止っていた。  「・・・嘘だろ、そこそこ切れてたのに・・!」  「こんな事が・・・・!すげぇな!!」  アルフレヒドは何とも云えない表情で悲しそうに笑い、告げた。  「これには何の仕掛けもありません。私の身体は産まれた時からこうなのです。傷は直ぐに治癒し、病気にはほぼ罹らない。身体の成長は極端に遅い。その上私は一度死んだ事もあります。・・・貴方方の探し求める物は、・・恐らく”私”のこの事を指しているのでは無いのでしょうか」  四人がその、余りの告白に沈黙した。  二の句を継ごうにも、言葉が出て来ない。  宇佐がぽつりと、呟いた。  「ハハ・・まさか、・・”不老不死”・・・って事?」  アルフレヒドははっとした顔をした後、俯いた。  そして暫く後、顔を上げると小さく頷き、草壁を見つめながら哀し気に微笑んだ。  「貴方の弟、正隆には”化物”と言われました。・・これが、恐らく貴方方の仰る”ヘヴンズゲイト”と言う仰々しい名前の正体です」  「だから、鞄を・・と云う訳なのかい?」  霧島の問いにアルフレヒドは頷いた。  「・・・ええ、だからこそ、父の研究が書かれた手帳の入った鞄をどうにか取り戻したいのです。恐らくそこに、何かヒントがあるのでは・・と私は感じていますから」  「・・・という事は、やはりお父さんの研究なんだね?」  今度はアルフレヒドが返答に窮した。  「それが・・、私自身は何も知らされてはいないのです。そもそも、自分が一度死んだ時も、それを新聞で確認した位ですから・・」  「そんな・・・普通、何か話したりするよね?幾ら何でも・・・・」  「止さないか。・・・どんな人物にも、人それぞれ立場も考えも有るだろう」  「だとしても、さぁ・・・・」  「・・・・・恐らくは、私に過剰な心配をさせたくは無かったのでしょうが・・・」  「・・・そういう、レベルじゃあねえよ、な・・・・」  再び全員が沈黙した。  「・・・わかりました。・・相当に覚悟の要る、話し辛い事を話して頂き、感謝致します。・・私達もこれを一旦持ち帰り、検討させて頂きます。早急に返答が出来る様に致しますので、もう少々お待ち下さい」  「・・・わかっています。よろしくお願いします」  アルフレヒドが深々と頭を下げた。  「それと、もう一つ。博士に本当は外を自由に出歩いて頂きたいんだけれど・・」  宇佐が申し訳無さそうに呟いた。  「ええ、この私の見た目の所為で、外に出れば目立って危険なのですね?」  「うん、博士が物分かりが良くて有り難いよ。・・博士をどこにも出せない理由が、この辺をうろつくドイツ人とアメリカ人の所為なんだ。彼等は恐らくみんな貴方を・・”ヘヴンズゲイト”を狙っている」  「博士、只でさえ相当目立つでしょ。・・まあ、この隆一郎でも目立つんだから、この国で博士が出歩くという事が、どれだけリスクが有るのかわかるよね?」  「・・・はい」  「・・てな訳で、もう暫くは様子を見ていいかな?」  「仕方ありません。・・それに、私の目的は取りあえず達成してますから」  村雨達はその言葉を聞き、ホッと胸をなでおろした。  「ああ、博士が本当に物分かりが良くて良かった~!」  「・・その”博士”ですが・・・。私は堅苦しいのは苦手なんです。出来れば、ですが・・・”アルフレヒド”で結構です。そう呼んで下さい」  皆が顔を見合わせた。  「それは・・・少し検討させて下さい」  「ごめんね、俺達だけでそういうの決めると、うるさいオジサンとか居るんだよね」  けらけらと笑う霧島にアルフレヒドも笑った。  「構いません。これは”お願い”ですから」  皆で一様に笑った。  「それじゃあ、丁度腹も減ったし。鞠ちゃんの美味しい昼ご飯を頂きに行こうよ」  「賛成、俺もこの出汁の匂いで腹減った・・ああ、いい匂い・・」  「博士も一緒に食べよう、あいつは料理が本当に上手いからな~」  「有難うございます」  階下からは、先程の鍋から出汁のいい匂いがして、二階の部屋まで充満していた。  四人は立ち上がると、アルフレヒドに軽く頭を下げて部屋を出た。  皆に付いてアルフレヒドも階下に降りると、鞠が昼の支度をしていた。  「う~ん、いい匂いだな。これは・・何だろうか?」  そう云って鼻をクンクンさせる村雨に、鞠が  「お饂飩を作りました。・・皆様のお口に合えばよろしいのですが」  と、また顔を真っ赤にしながら答えた。  「大丈夫だよ~、少なくとも村雨の口には絶対合うから!」  「そうそう、鞠ちゃんはお母さん譲りでお料理上手だからねぇ~」  宇佐の言葉に霧島が太鼓判を押した。  「・・お前らなぁ、いい加減にしろよ・・・・」  その村雨の溜息を皆が聞いていないふりをした。  鞠がまた顔を真っ赤にして、  「もう・・・二人共、からかわないで下さいませ」  そう小さく呟くとぷいとそっぽを向いてしまった。  そんな鞠たちを見ていたアルフレヒドが、小さな声で隆一郎に  「・・・ほら、村雨さんと鞠さん、あんなに仲が良さそうですよ」  そう耳打ちして微笑んだ。  草壁もつられて微笑み返した。  そしてみんなで食卓を囲み、饂飩を食べた。  さすがに麺はつるつる滑って、お箸初心者のアルフレヒドにはきつかった。  仕方が無く、用意して貰っていたフォークで食べる事になった。  温泉卵にネギ、かまぼこの乗ったシンプルな饂飩だ。  (とは言っても、饂飩の生地は鞠が早朝より仕込んでおいた物だ)  「この太めの白いパスタ・・の上の白い物と灰色の半円形のものは何ですか?」  そう尋ねられ、鞠が  「パスタ・・?ええと、温泉卵とかまぼこ・・ああ、完全に火の通っていない半熟卵と、魚の身をすり潰して蒸し上げた物ですわ」  「・・へぇ~、凄いですね・・。この国では卵が生でも食べられるのですね・・。魚の身をすり潰すのですか、そんな手間をかけてまで魚を召し上がられるのですね・・・へぇ~・・・」  その間の抜けたようなのらりくらりとした返答に、  「・・もう、召し上がればわかりますわ!」  そう言うとお勝手へ下がってしまった。  鞠はそう云ったが、肉が主食、と言える位肉を食べる国に育ったアルフレヒドにとって、手間暇をかけてまで魚を食べる日本の文化は斬新そのものだったのだ。  鞠にへそを曲げられた後も、アルフレヒドは饂飩のどんぶりを凝視していて全く口に運ぶ気配が無い。  その間に、草壁と村雨は二杯目のどんぶりを既に手にしていた。  アルフレヒドはどんぶりとしばらく無言で睨み合った後、顔を上げた。  「・・・あの、スープはどうやって頂けばよいのですか?」  真剣に問いかけるアルフレヒドに、既に一杯目をほぼ食べ終わった霧島が  「それはね、どんぶりから直で、こう」  そう言いながら実演し、汁も全て平らげてしまった。  アルフレヒドも真似して一口飲んだ。  「・・・おいしい!お魚のお出汁なのに、全然臭くない」  満面の笑顔で感激すると、フォークですくって食べ始めた。  それを見た四人は、顔を見合わせて笑った。  結局アルフレヒドも、見様見真似でどんぶり一杯は平らげてしまった。  ほかの連中は、宇佐と霧島が二杯ずつ、草壁が三杯、村雨は四杯も平らげた。  「ご馳走様でした」  皆がそう鞠に告げると、鞠は笑って  「本当に、我が家の男共はよく食べますわね」  軽く愚痴りながら、どんぶりを片付け始めた。  「私も片付けをお手伝いします」  アルフレヒドも、さり気無く鞠を手伝った。  そして鞠に「どうやってあんなしこしこした食感を出すのか」とか、「スープはやはり魚から?」とか「卵はどうやって半熟に?」などと質問責めにしていた。  その様子を笑って見つめながら、宇佐と霧島が立ち上がり  「それじゃ、僕達はお先に」  挨拶すると表を確認して、脱いで小脇に抱えた上衣と軍帽を隠しながら、そっと裏口から出て行った。  その後ろ姿をじっと見つめながら、アルフレヒドが草壁達に  「あの、宇佐さん・・だと思うのですが」  「ああ、あのチビの方な」  村雨の答えに鞠が「プッ」と噴いた。  「・・彼は、少し前に腕に酷い怪我をしていませんか?」  「・・それが、何か?」  「あれでは、腕が少し使いにくいかも知れません。・・私の道具と、場所を提供して下さるのなら、私がもう少し腕を使いやすくできるのですが・・・」  草壁と村雨が顔を見合わせた。  「凄いな、見ただけでそんな事が分かるのか?」  「腱の継ぎ方が少し雑なんです。それにあれでは血流も余り良くは無いでしょう。・・貴方たちは相当体を鍛えていらしっゃる様です。・・きっと、少しの不自由もお辛いのではと思い、差し出がましいとは思いましたがお話しさせて頂きました」  鞠がビックリして話しかけた。  「・・・貴方、お医者様か何かなの?」  「ええ、私は医師です。それに、これでも貴方よりは年上の筈です」  更にびっくりした。  「嘘・・・!どう見ても貴方、13~4歳位にしか見えないわ!」  「・・今年で22歳になります」  「・・・私より、年上・・・・」  鞠がショックで黙った。  草壁が微笑みながら、こう尋ねた。  「申し訳無いが・・・、先程の中で何処か身体に問題がありそうな人間はもう居ないか、教えて貰えないだろうか?」  「・・村雨さん」  アルフレヒドの即答の一言に、鞠と村雨が固まった。  「貴方は少しお酒を控えた方がよろしいですね。少し肝臓が悪いようですよ。あと飲酒時はあまり脂っこいおつまみは控えられて下さいね。肝臓に少々脂肪が溜まっている様ですから。・・ああ、塩分も程々に。おつまみは大抵、塩分を多めに使用していますから」  「・・他は?」  「以上です。皆さん健康ですよ、鞠さんも」  取りあえず鞠と村雨の二人が大きく溜息をついた。  その二人の様子に、アルフレヒドがにっこり微笑んだ。
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