プロローグ

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プロローグ

 電車が発車する時刻に、僕は彼女を見つけた。車内は向かい合わせに座るタイプの席で、彼女はちょうど扉から一番近い場所に座っていた。  黒くしなやかな髪は胸のあたりまで伸びていて、先はきれいに切り揃えられている。髪の毛とは対照的に肌はとても白く、それでいて不健康さは微塵も感じられない。  美しい。生まれて初めて人を見てそう思った。学校で初めて彼女を見たあの日から。  この時間帯はさほど混雑しておらず、乗客全員が座ってもまだところどころに空席がある。  僕は彼女の斜め前に座る。顔をあげたときにギリギリ彼女が視界に入る場所だ。空いていて本当よかった。僕の向かいも奇跡的に空席だし、怪しまれることなく前を向いていられる。  彼女は、大桐一果(だいどういちか)はスマホをいじるわけでも音楽を聞くわけでもなく、ただそこで静かに本を読んでいる。本のタイトルは僕の位置からでは角度的に見えないが、文庫本サイズなのでおそらく文字がびっしり詰まっているのだろう。膝の上にはA4サイズより少し大きいトートバッグを乗せている。  休みの日に彼女に会えたのは本当に偶然だった。家の最寄駅から四つ目の駅で降りたところに大きな本屋があり、僕は休みの日になるとわざわざ電車に乗ってその店に行く。  駅から徒歩五分のその本屋は五階建てになっていて、すべてのフロアがありとあらゆる本で埋め尽くされている。近所の本屋には置いていないマイナーな本や漫画が当たり前のように棚に並んでいるから、わざわざ休みの日に出向いてそういった本を買い漁る。  クラスメイトの誰も読まない本を買って読むと、彼らの知らない世界を自分だけが知り得たという優越感に浸ることができる。  友達の代わりに小さな世界をいくつも増やしていって、心や頭の中に空いた隙間を埋めていくことで、退屈な人生に少しの刺激を与えているのだ。    僕がその本屋の存在を知ってから、ほぼ毎週かかさず電車に乗って通っていたが、大桐一果に会ったのは今日がはじめてだ。
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