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【二】 しようよ
高杉の背を見送って、井上はふう、と軽く息を吐き出した。それから、小さく首を傾げる。
「ところで、何の用じゃったんかの」
「洋行したいけえに、聞多に斡旋を頼めんかちゅうて」
「ああ―――」
納得した様子の井上の首っ玉に、伊藤は後ろからぎゅうっとしがみついた。
「聞多っ」
「こ………こらっ」
井上は慌てた様子で言い、伊藤の手を引き剥がそうとする。ゴトン、と木刀が落ちた。
「く、苦しい」
「聞多、嬉しい」
「なっ何が」
「聞多。聞多、大好き」
「知っちょるわいっ。こら、ええ加減に離せっ。苦しいっ」
バシバシと背中越しに頭を叩かれて、伊藤はしぶしぶ腕を解く。
「何すんじゃおめえ。絞め殺す気か」
首をさすりながら、井上は伊藤を睨みつける。だが怒った顔さえ愛しくて、伊藤は今度は前から親友に抱きついた。
「こら、俊輔っ。おめえのっ」
「ぶんたあ」
甘えた声で名を呼ぶ。
「………しゃあねえな、俊輔は」
苦笑交じりに井上が呟いた。ややあって、ぎゅっと背を抱かれる。それだけでどうしようもないほどに幸せで、へへえ、と伊藤はだらしなく笑ってしまう。
「聞多」
「何じゃ」
問い返す年上の友の声は、こんなときひどく優しい。
「大好き」
「………。もうちいと他に言葉はねえんか」
「好きなんじゃもん」
「はいはい」
ぽんぽんと背を叩かれる。へへへ、と伊藤は再び頬を緩める。
子ども扱いされようが、別に構わない。実際六歳も年下なのだし、こうして甘えていれば、この友はどこまでも甘やかしてくれることを伊藤は知っている。頼られると「任しておけ」と言わずにいられない。そんな男気のあるこの友には、伊藤の甘えが計算ずくだろうと自然なものであろうと、多分、大した問題ではないのだ。
「聞多」
「ん」
「しようよ」
「………今からか」
「うん。我慢できない」
伊藤は少し身体を離し、親友の顔を見た。井上は苦笑を浮かべている。伊藤はにこりと笑い、自分とそう背の変わらない年上の友の唇に、己のそれを重ねた。
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