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第3話 忘れ物
もうすぐ四月が終わる。
私は主に週末に短期のアルバイトをしていて、ゴールデンウィーク後半はとあるイベントの手伝いに行くことになっているけど、ゴールデンウィーク前半の四月末は特に予定がない。
そこで、私は釉さんと絃花ちゃんと浅草寺に行くことにした。
関東圏に生まれ育った私と釉さんは行ったことがあったけど、上京組の絃花ちゃんはまだ行ったことがなくて、テレビで何度も見たことがあるあの浅草寺に一度行ってみたかったらしい。
私と釉さんも久し振りに行ってみようかという話になって、三人で行くことにしたのだった。
そして約束の日。
私が雷門に着いたのは待ち合わせの五分前――十時五十五分だった。
雷門の正式名称は「風雷神門」と言うだけあって、灰色の瓦屋根を戴く朱塗りの門の両端を、厳しい顔の風神と雷神が静かに守っている。
門の中央には「雷門」と大きく書かれた赤い提灯が提がっていて、その向こうには仲見世通りが見えていた。
ゴールデンウイークだけあって、辺りは人でごった返している。
仮にもお寺なのに、お土産屋さんと人だらけで、厳かな雰囲気なんて全くない。
あんまり俗っぽくて眉をひそめる人もいるかも知れないけど、雑然とした中にエネルギッシュさも感じて、私は嫌いじゃなかった。
近くのお店から漂ってくるお菓子の甘い香りに鼻腔をくすぐられながら、釉さんと絃花ちゃんを捜して視線を彷徨わせると、先に来ていた絃花ちゃんは傍目にもわかる上機嫌で、スマートフォンを手に何度も雷門を撮影していた。
浅草寺に来られたのが余程嬉しいのだろう。
「おはよう」
私がそう挨拶すると、おっとりした絃花ちゃんには珍しく、ハイテンションで挨拶を返してから続けた。
「ねえ、見て見て! 雷門だよ! この提灯、テレビとかで見るよりおっきいんだね!」
こういうテンションの高い絃花ちゃんを見たのはこれが初めてじゃないけど、いつもの絃花ちゃんとは別人みたいで、ちょっとどころではなく違和感があった。
多分どっちの絃花ちゃんが本当で嘘かなんてことじゃなくて、どっちの絃花ちゃんも本当なのだろうけど。
私は絃花ちゃんに手を差し出して言った。
「撮ってあげよっか?」
「うん! ありがと!」
絃花ちゃんは私にスマートフォンを私に手渡すと、雷門を背にして立った。
私は笑顔でピースをする絃花ちゃんから少し離れて、スマートフォンを構える。
人が多いからどうしても他の人まで映り込んでしまうけど、これはもう仕方がなかった。
「じゃあ、撮るよー」
私がシャッターボタンを数回押してから、スマートフォンを絃花ちゃんに返すと、絃花ちゃんはスマートフォンを受け取って、嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
絃花ちゃんが撮った写真を確認する横で、私も自分のスマートフォンで雷門を撮っていると、いつの間にか来ていたらしい釉さんの声がした。
「おはよー」
振り返った私と絃花ちゃんが釉さんに挨拶を返すと、釉さんは言う。
「二人共早いね。待った?」
「全然、私もさっき来たところだもん」
私がそう答えたところで、絃花ちゃんが近くにある雷おこしのお店を指差した。
お店の一部はガラス張りになっていて、雷おこしの職人さんが実演販売をしている。
そのお店の前にはお客さんが作るちょっとした行列ができていたけど、絃花ちゃんは並ぶことなんて全然気にならないみたいで、目をキラキラさせて言った。
「あれって雷おこしだよね! 食べてみたいなあ!」
「あ、じゃあ私も食べよ。やっぱ、浅草と言えば雷おこしだよね」
釉さんの言葉に、私も頷いた。
「だね。こういう時でもないと、なかなか食べないし」
私達は揃って列の一番後ろに並んだ。
少しして順番が回ってくると、それぞれ紙コップ一杯分の雷おこしを買う。
雷おこしは一口大に四角く切ってあって、歩きながら食べてもぼろぼろこぼす心配はなかった。
私が出来たての雷おこしの一つを口に放り込むと、ピーナッツとお米、砂糖の甘味が口の中に広がる。
温かくてサクサクで、ほんのり優しい甘さで美味しい。
これで値段は百円なのだから、結構お得感があった。
絃花ちゃんは満面の笑みで雷おこしを頬張ると、感慨深そうに言う。
「あー、これが雷おこしの味なんだあ。いかにも日本のお菓子って感じの、控えめな甘さだね。ちょっと甘さが物足りない気もするけど、これくらいの方が食べ飽きなくていいかも。買って帰ろうかな」
「帰りにした方が荷物にならなくていいと思うよ。とりあえずお参り行こう?」
釉さんの提案に賛成した私達は、雷門をくぐると、本堂を目指して歩き出した。
途中にある仲見世通りには和菓子屋さんや民芸品屋さん、おもちゃ屋さんなど、本当にいろいろなお店があって、見ていて飽きない。
お客さんは日本人だけじゃなく、外国人も多くて、あちこちからいろんな言葉が聞こえていた。
絃花ちゃんは物珍しそうにあちこちにスマートフォンを向けて、シャッターを押しながら、しみじみとした口調で言う。
「テレビやスマホの画面でしか見たことなかった場所に自分がいるって、何か不思議な感じだよね。本や映画の中に迷い込んじゃった人って、みんなこんな感じなのかな」
「そうかもね。絃花ちゃんって、実家岩手だったっけ?」
私の問いかけに、絃花ちゃんはお店に向かってスマートフォンを構えながら答えた。
「うん、そうだよ」
そう答える絃花ちゃんには、特に訛りがなかった。
初めて会った時からずっとそうだから、絃花ちゃんから岩手生まれ岩手育ちだって聞くまで、地方出身だとは全然わからなかったくらいだ。
絃花ちゃんが言うにはお年寄りは方言で話している人が多いけど、おじさんおばさん世代から下はそうでもないらしい。
中には訛りがある人もいるし、絃花ちゃんも相手が方言で話していれば方言で話したりもするそうだけど、いざ「方言で話して」と言われても、咄嗟に出て来ないくらい意識せずに話しているということだった。
テレビやネットの影響なのだろうけど、こうしてその土地ならではの物が失くなっていくのは、ちょっと勿体ないような気もする。
私が少しだけ寂しい気持ちになっていると、釉さんが言った。
「北国生まれだけあって、絃花って寒さに強いよね」
「そうそう、何だか人間の皮をかぶったペンギンとかシロクマみたいだった」
私と釉さんが十一月の半ばに冬用のコートを着て「寒い寒い」と言っていても、絃花ちゃんだけは平気な顔で、まだ秋物のコートを着ていた。
流石に全然寒くない訳じゃないみたいだったけど、真冬でもあまり寒がっていなかったと言うか、どこか余裕があった気がする。
マフラーや手袋もいつも着けていた訳じゃなかったし、それらに加えて帽子や耳当てを使っているところなんて、一度も見たことがなかった。
絃花ちゃんは雷おこしを頬張りながら、苦笑する。
「別に寒さに強い訳じゃないよ。もっと凄い寒さを知ってるだけ。やっぱりこっちの方があったかいし、向こうとは寒さの質が全然違うから。盛岡だと、最高気温が一日通して氷点下なんて日もあったしね。氷点下って、冷蔵庫より寒いんだよ? 雪はそんなに降らなくて、せいぜいふくらはぎの辺りまでくらいしか積もらなかったけど、冷たい空気が肌に突き刺さってくる感じの、殺人的な寒さなの。白鳥にとっては丁度いい寒さみたいで、毎年越冬に来てたけどね」
白鳥は日本だと北海道にだけ来るイメージだったけど、どうやら岩手にも来るらしい。
私が本当に寒い所なんだなあと感心していると、釉さんは言った。
「そこまで寒いと冬は大変そうだけど、反対に夏は涼しくて良さそうだよね」
「流石に昼間に長袖でいられる程涼しくはないけど、日陰にさえいれば風はひんやりしてて結構快適だったし、夏にエアコンなんてほとんど付けたことなかったよ。扇風機は使ってたけどね」
「へえ、いいね。私岩手には行ったことないし、夏休みにでも行ってみたいな」
私がそう言うと、絃花ちゃんはにこりと笑った。
「私も岩手の中でもまだ行ったことない所あるし、みんなで行きたいね。食べ物は美味しいし、自然がいっぱいで景色は綺麗だし、いい所だよ。電車やバスは本数少ないから、車がないと移動が大変だし、遊ぶ所はそんなにないけどね」
「じゃあ、今年の夏休みは岩手旅行で決まりだね」
釉さんがそう言った時、私達は仲見世通りを抜けた。
その先には宝蔵門と呼ばれる山門が聳えている。
雷門より一回り大きな門で、こちらも灰色の瓦屋根に朱塗りの立派なそれだ。
「浅草寺」という、淡い緑色の扁額がかかっているけど、高い所にあって少し読み難い。
雷門と同じように赤くて大きい提灯が提がっていて、「小舟町」と書かれていた。
その両脇には金色の飾りの付いた黒い提灯。
そして門の両端には、険しい顔で虚空を睨む仁王像があった。
絃花ちゃんは宝蔵門の写真を撮ると、今度は三人で一緒に撮ろうと言い出して、私と釉さんは絃花ちゃんを真ん中にして並ぶ。
絃花ちゃんが自撮りモードにしたスマートフォンを構えて、何回かシャッターボタンを押すと、私と釉さんも代わる代わるスマートフォンを出して、絃花ちゃんと同じように写真を撮った。
とりあえず三人共満足の行く写真が撮れたところで、私達は宝蔵門をくぐる。
何気なく後ろを振り返ると、門の両端には何故か大きなわらじが貼り付けられていて、なかなかシュールな光景だ。
謎と言えば謎だけど、これはきっと調べれば誰でもちゃんとした理由がわかる類の謎だろう。
わらじにくっ付いている木の板には、山形県村山市の人達から奉納された旨が書いてあるし。
できればもうちょっと頭を使って解くタイプの謎を見付けたいところだけど、なかなかそう簡単には行かなくて、紀之定さんとはもう一週間以上まともに会話をしていなかった。
普段来ない場所に来れば、何か面白い謎が見付かるかも知れないと、ちょっと期待していたのだけれど、やっぱりそう簡単には行かないみたいだ。
私が心の中でこっそり溜め息を吐いていると、絃花ちゃんが訊いてくる。
「ねえ、そう言えば、例の駅員さんとはどうなってるの?」
「特に何もないよ。新しい謎も見付からないし」
おみくじやお守りを売っている寺務所に挟まれた参道をゆっくりと歩きながら、私はそう答えた。
絃花ちゃんの手は相変わらずスマートフォンをしっかりと握っていて、あちこちパシャパシャと撮りまくっている。
私も同じようにスマートフォンで写真を撮っていると、今度は釉さんが言った。
「謎が見付からないなら、いっそ自分で作っちゃえば? 私ミステリーはあんまり読まないから、ミステリーのことはよくわかんないけど、莉緒はミステリー好きなんだし、いろんな謎のパターンも知ってるでしょ? その気になれば、その駅員さんが信じるような、もっともらしい話だって作れるんじゃない?」
「読むのと自分で話を作るのは別だよ。それにあの人鋭いから、下手な作り話なんかしても、きっとすぐにバレちゃうもん。プロが書いてる小説にだって首を傾げちゃうようなおかしいところがあったりするのに、作家志望でもない素人がいきなりそんな完成度の高いミステリーなんて作れないよ」
既存のミステリーをアレンジする手もあるけど、よっぽどマイナーな作家の作品でもないと、ミステリー好きならすぐに元ネタがわかってしまう可能性が高い。
下手に作り話なんかして、それを見破られてしまったら、もしかしたら嫌われてしまうかも知れないし、やっぱり地道に謎を探すべきだろう。
せっかく紀之定さんとの接点を持てたのだから、万が一にもこれを失くしてしまう訳には行かなかった。
私達は本堂の右手にあるお水舎で手を清めると、そのすぐ近くにある常香炉で煙を浴びてから本堂へと向かう。
本堂は両端が緩く反り返った灰色の大きな屋根に、朱塗りの柱や壁の立派な建物だ。
正面には大きな赤い提灯が提がっていて、黒く太い字で「志ん橋」と書かれていた。
提灯の奥には赤い賽銭箱があって、その奥は暗く、吊り灯籠のぼんやりとした明かりだけではよく見えない。
階段はそれ程長くないけど、参拝客が賽銭箱から階段の下まで続く行列を作っていた。
私達は列に並ぶかどうか相談した結果、せっかくだからと列の後ろに並ぶことにする。
多分十分そこらで順番が回ってくるだろう。
私は見るともなしに辺りの景色を眺めながら、絃花ちゃん達に訊いてみた。
「ねえ、二人は何お願いするの?」
「うーん、今特に困ってることとかないしなあ……ちょっと先の話だけど、『無事に就職できますように』かな」
釉さんは思案顔でそう言った。
こういう時に恋愛の「れ」の字も出て来ないところが、いかにも釉さんらしいなあと思っていると、絃花ちゃんが言う。
「私は最近バイト先にちょっといいかなっていう男の子が入ったから、『彼氏ができますように』。莉緒ちゃんもそんな感じでしょ?」
「まあね」
やっぱり今一番お願いしたいことと言えば、『紀之定さんともっと話せますように』だろう。
もし紀之定さんと恋愛関係になれたら嬉しいだろうけど、本当にちっぽけな接点しかないのに、そんな大それたことを望むのはおこがましい気がするから、あくまで控えめなお願いにしておくことにした。
特に信心深い訳じゃないのに、都合のいい時だけ頼って無理難題をお願いするのも、仏様に悪いし。
少しして階段を上り切った私達は、赤い賽銭箱の前で足を止めると、お賽銭を投げ入れて手を合わせた。
そうして軽くお辞儀をしてから目を閉じて、心の中で『紀之定さんともっと話せますように』と願う。
ご利益があればいいなと思った。
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