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日本列島、特に九州には、台風が上陸していた。私が勉強しているこの学校は、日本より西に位置するのに、日本より一時間早い時差のあるロシアに位置していて、台風がここに来る頃には、温帯低気圧とやらに変わるそうだからそこまで激しい雨は降らないのだけれど。
水色のストライプのシャツワンピースから、白くて細い手首と脚を魅せる私のクラスの若いロシア語文法の先生は、学生たちが練習問題を解いている時間なこともあって、窓に近づき、くるりと上向きになった睫毛を通して、空から降りてくる線の群れをじっと見つめた。
――彼女の後ろ姿を見つめていた私は、その一瞬間、心の中で、高校時代の教室の窓際の席に戻っていた。
私の高校は、東京に位置していたが、地方から来た寮生もクラスに5名前後くらいの割合で居る高校だった。そのときの私は、教室の窓側の席で、後ろの子は、秋田県出身男子、通路を挟んで隣の子は、岐阜県出身男子で、斜め後ろの子は静岡県出身女子だった。
その年は、珍しいことに、11月だというのに、東京に早くも雪が降った。窓際の子が、
「あ、雪」
と、つぶやくと、進行していた授業が止まり、皆、窓の向こうに広がる白い景色に目を奪われた。
とはいえ、やはり東京の雪ではあったし、すぐに溶けるタイプの、牡丹雪というのにふさわしい雪だったと記憶している。「羽根のよう」とも言えれば、「ホコリのよう」とも言えるその雪は、アスファルトや煉瓦作りの道ではすぐに溶け、常緑樹系の葉の上や、土の上にのみ、白く白くうっすらと積もっていった。
静岡から来た子は、雪がとても珍しかったらしく、
「えええ! すごい!」
と歓声を上げていた。いつも淡々としたリアクションをする子で、このときも、声だけ聞いたら、まるで棒読みみたいだったけれど、その目はキラキラと輝いていた。
私は、無言で雪を見上げる近くの男の子たちを見た。白い肌に、茶透明な目をした、全体的に色素の薄い岐阜の子と、少し色黒で、黒々とした目の中に光る輝きが綺麗な秋田の子。二人を交互に見て、東京出身で自宅からの通学生であった私は、冗談めかして、
「雪見て、故郷が恋しくなっちゃった?」
と声をかけた。二人は、黙っていたときから、ふっと表情筋を緩めると、はっはっは笑、と軽く笑い声を上げた。
「秋田の雪はこんなもんじゃないからな」
「こんな雪で故郷が恋しくなんかならねぇよー」
二人はそれぞれそう言って、再び窓の外の白い結晶たちに目をやった。目に映るそれらの結晶たちが、彼らの目に光を宿していた。
―ー機械的に練習問題を解きながら、私は、そんな11月の東京の雪の日のことを、頭の片隅で思い出していた。
答え合わせが終わり、私は、またチラと窓の奥の、しとしととした水の線を眺める。
――こんな雪で、故郷が恋しくなんかならねぇよ
いつかの彼らの言葉を今の自分に落とし込んで心の中でつぶやいてみた。
そう言葉にしてみて、彼らと似たような境遇に、今自分自身が陥ってみて、彼らがどんな景色を見ていたのか、少しだけ、わかったような気がした。
実際、雨を見て日本が恋しくなったわけではないけれど、言葉に出してみて、いや、恋しいな、と気がつくのかな……と。とはいえ真相はわからない。
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