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マリアは、二階の寝室の窓から外を眺めている。
目の前の木々は、聳える様に高く生い茂っている。見上げると、ひしめき合う木々の葉が複雑な稜線を形作っていて、その上には雲を纏った月が浮かんでいる。
マリアは、その細い指でそっと窓を押す。ギッと音を立てて窓が開くと、新緑の蒼い匂いを運んだ優しい風が部屋に入ってきた。
星たちの瞬きと共にマリアが人間になれた事を祝ってくれているようだった。
だけど・・・
だけど、まだ本当に人間になれた訳ではなかった。母の言葉の意味・・・。
試練ってなんだろう。だけど、きっとノアなら私を守ってくれる。
そんな気がする。
でも、辛い試練だったら嫌だな。ノアが大変な目に合うのは私、嫌だ。お母さんが、ノアの事を認めてくれて、安心出来たらいいのかな。それだったらきっと大丈夫。お母さんはきっとノアを気に入ってくれる筈。
優しい月の明かりを見ていると、そんな気がしてきた。星たちも、大丈夫だよと、そう言ってくれているような、優しく美しい夜空だった。
カサコソという音がして、マリアはふとその音の方を見る。洋服ダンスの足元に掌ほどの蜘蛛がいた。大きく黒い二つの目。その下には四つの小さな目が、首を傾げるようにしてじっとこちらを見ている。
この館には、数えきれない程の本があった。階段を上るとすぐに書斎のような空間があり、壁一面に本がしまわれている。
マリアは知識欲に任せて本を読み漁った。書棚には、蜘蛛に関するものが異常に多かった。そのほか、魔術に関するもの、この国の歴史、そして、永遠の命を得る方法が書かれているものなど。あまり楽しいものでは無かったが、それでも、知識の泉に触れるのは嬉しかった。
蜘蛛についての本で、蜘蛛には二つの目を持つものから、四つ、六つ、最大八つの目を持つものがいて、数が多いほど、実は目が悪いのだと書かれていた。
多分、この子はあんまり目が良くないのかな、私が見てる景色は、この子にはどんなふうに見えているのかなと、マリアはぼんやり思う。
ここに来て最初に、決して蜘蛛を殺してはいけないと『母』は言った。欲望に駆られた人間の成れの果てなのだと。
そして、マリアの心を一際惹き付けたのが、『サンドラ』という名の分厚い本。物語のような、自叙伝のような、静かで怖ろしく、悲しい本。サンドラという女性が傷つき、絶望の中で永遠の命を得て生き続けるというもので、人の恐怖と命を喰らい生き続ける彼女の孤独と悲しみが伝わってくる。この中で、可憐で愛らしかったサンドラは愛する者の命を奪われ復讐の鬼と化す、美しく残酷な女性として描かれている。
そしてある日、魔女のルールを守れなかった為にその姿を醜く変えてしまう。まるで蜘蛛のような悍ましい姿。
それは、冷酷になり切れなかった彼女の優しさが引き起こした事だった。
だが、それは彼女を魔女に変えた者の謀略だった。そのことで彼女は完全な魔物と化す。そして、醜い姿にその身を変えても尚、生きるために人を喰らい、永遠に呪われた生涯を生き続けるのだと書かれていた。
戒めを込めた寓話だと、マリアは思う。
だけど、もし本当ならと想像してみる。それはとても恐ろしい想像。
でもそう思うと、目の前にいる蜘蛛に憐みを感じずにはいられなかった。
窓の外では月が優しく微笑んでいる。
「あなたも月が好きなの?」
そう、マリアは蜘蛛に微笑む。蜘蛛はぴょんと飛び跳ねると、何処かへ消えてしまった。
マリアは再び窓の外の、蒼白い月夜に目をやる。
また明日、ノア君に会えるの・・・。
マリアは月を見上げて、呟いた。優しい月の明かりに照らされ、嬉しそうに微笑むマリアの顔は月明りに照らされ金色に輝いていた。
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