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第三章
お婆さんの家から離れた畔道(あぜみち)で、一人の女性が数人の男達に取り囲まれていた。不利な立場に関わらず、女性は毅然(きぜん)と男達に対峙していた。
「一体、どういうつもりなのよ登黄(どんふぉん)! あなた達の仕業でしょう!」
「証拠はあるのかよ、紅嵐(フォンラン)!」
男達の頭(かしら)らしき男がニヤニヤ笑っていた。
どうやら女性は紅嵐、頭格は登黄というらしい。
「おい、よせよ登黄。こんな女かまったら、祟られるかも知れないぞ」
取り囲んでいた男のうち、緑の着物を着ていた男が言うが、登黄は気にしていないようだ。
紅嵐はさらに詰め寄った。
「あなた達意外誰がいるっていうの。こっそり嫌がらせするしか能のない奴が!」
「何?」
緑の着物の男を押しのけるようにして、登黄は女性にむかって拳を振り上げた。
その手首に、鞭の先端が絡みつく。
「詳しいことは分かりませんけれど」
香桃が、鞭の柄を思い切り引っ張った。
「女性をブン殴ろうとするなんて、ケツの穴の小さい男のやる事です。モテませんわよ?」
男は無様に地面につっぷした。
「クソ!」
かなわない相手と見て取ったのか、起き上がるや否や男達は香桃に背をむけて走り出した。
そして十分距離を取った後で、登黄が少しだけふりかえっていった。
「その女をかばっても、ロクな事にならねえぞ! そいつは呪われてる! 恩人のお前らだって食っちまうだろうよ」
男が放ったその捨て台詞に傷ついたのか、紅嵐はびくっと肩をすくめた。
男達が見えなくなってから、ようやく女性はこっちをむいた。
「頼んだわけじゃないけど、お礼を言っておくわ。ありがと。この村の人間じゃないけど、誰?」
楽瞬達を見る紅嵐の目は少し警戒していた。
「詩歌官だよ。歌や噂を集めているんだ」
「そう、すごいわね」
「ええっと、紅嵐さんだよね。一体、なんでケンカになったの?」
「あなた達には関係ないわ。よそ者でしょ?」
紅嵐はそっけなく背を向けた。そして足早に山を登っていく。
楽瞬は懲りずにあとを追っていった。香桃も、黙ってその後をついていく。
詩歌官は仕事上さまざまな妖怪や鬼の知識を持っているし、専門の術者ほどではない物の、ある程度退魔の方法を知っている。それを使って市井の人々を助けるのも詩歌官の仕事の一つだ。
紅嵐は呪われている、という登黄は言っていた。もし何かできることがあるなら力になってあげたい。
「ねえ、どこいくの?」
子供らしい好奇心を装って、楽瞬は無邪気な声で聞いた。
「どこって……自分の家だよ」
「家って、紅嵐さんは村の人じゃないの?」
「一応村の人間だけどね。村から離れて暮らしているのさ」
そう言っている間にも、楽瞬達は山の深い場所へと踏み込んでいった。ほとんど獣道のような道を行くと、急に視界が開けた。木々の間に隠れるようにして、小さな家が現れた
「うわ……」
思わず香桃がつぶやいたのは、その光景が見事だったからではない。畑の作物があちこち踏み荒らされていたからだ。苗木にむしり取られた跡もあり、食べられる段階に育った作物は一つ残らず盗られているようだ。
「ひどい!」
楽瞬が思わず声をあげた。
「あいつらがやったんだよ」
憎らしげに紅嵐は言った。
いつの間にか、子猫が慰めるように紅嵐にすり寄ってきた。
紅嵐はそっとその子猫を抱き上げると、丸い背中をゆっくりと撫でる。猫が気持ちよさそうにごろごろ言っている所を見ると、相当なついているのだろう。
「あいつら、私の事を追い出そうとしているのさ」
「え? 一体どうして……」
紅嵐が何か言いかけたとき、猫が急に腕の中を飛び出した。そして、あさっての方向を睨みつけ、「フーッ!」と全身の毛を逆立てている。
「何、どうしたの小虎(シャオフー)」
紅嵐が言った。
三人は思わず猫が睨んでいる先に視線をむけた。
森の片隅、木漏れ日が踊る幹の近くに、白い霞のような物がわだかまっていた。表情はわからないものの、はっきりと青年の姿をしていた。
見間違いようのない青い空の下での怪異は、ある意味夜に見るよりも不気味だった。
三人の視線に気づいたのか、霧は溶けるように消えていった。
「今のは……」
幽霊騒ぎがあった、というお婆さんの言葉が頭をよぎる。
「帰って」
蒼ざめた紅乱がうめくように言った。
「え? でも……」
「いいから帰って!」
どうやら、この様子だともう彼女から詳しいことは聞けそうになかった。
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