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第五章
夜風が木々の葉を揺さぶる。白々とした月の光があっても、丑三つ時の山は薄暗かった。
「なんだか不気味だね、香桃」
紫星が葬られているという場所は、紅嵐の家から少し離れた所にあった。墓標がわりに置かれた岩なければ、そこに人が埋められているとは思いもしないだろう。
「本当に、その青年が村を祟っているのかな」
「さあ。それは楽瞬様でないとわからないでしょう」
そうだね、と答えて、楽瞬は頭につけられた飾り布をずらした。
刺繍を施された布の下から、小さな耳が現れる。ただし、それは白い、ふさふさとした毛のはえた虎の耳。楽瞬の耳は、左側こそ人間の物だが、右側は異形だった。
昔、雪山で神が断末魔の叫びをあげたとき、楽瞬はとっさに自分の耳を手でふさいだ。しかし、怪我をしていた右腕は反応が遅れ、右耳で一瞬とはいえその咆哮をまともに聞いてしまった。
神は、咆哮でさえも不思議な力を持っているらしい。その声を聴いた耳は虎の物と変わり、人や動物の恨みの声がうなりとして聞こえるようになった。
もちろん、一日中そんな物を聞いていたら、楽瞬は早々に気が狂ってしまっただろう。普段は術のかかった飾り布を頭に巻き、その能力を封印していた。
ぴくぴくと虎の耳が震える。
「確かに聞こえる…… 恨みの声が。これが獣達の気をいら立たせているんだ」
枝の間を通る風の音。かすかに響く地虫の声。そんな物の間に、楽瞬はうめき声を聞き取っていた。まるで息絶えようとしている獣の肺から漏れる空気のようなうめき声を。
「……」
香桃は、何か言いたげな表情で、しかし何も言わずに楽瞬を見つめた。
変形した耳を見せる時、香桃はいつもこういう表情をする。きっと、自分の事を気遣ってくれているのだ。望んでもいないのに、恨みの声が聞こえるのは辛いだろうと。
「香桃」
耳打ちしたい事があるというように、楽瞬は手招きをした。
「はい?」
香桃は身をかがめ、顔を近づける。楽瞬は手を伸ばすと、さらさらとした香桃の髪をなでた。
「ありがと。僕は大丈夫だから」
香桃の頬にほんのりと紅が差す。
手を香桃の髪から放すと、楽瞬は紫星の墓を睨みつけた。
「確かに、ここには人ならぬ物がいる。でも準備もなくこれ以上探るのは危険だ。またあとできちんと調べようよ」
楽瞬は香桃を安心させるように微笑んだ。
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