日常と夢の人ごみ

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夢だった交差点も2時間後には現実的だった。 大きな交差点では立ち止まらなかった。 「2度目」とも思いながら。 それでも信号待ちしている時に、ふと目を瞑る。 太陽が照りつける真夏の暑さを、頭の上方に感じつつも車の往来する音がはっきりと聞こえてくる。 轟音の音色(おんしょく)が中心だ。 トラックの荒々しいエンジン音、ハイブリッド車の人口音、道とタイヤの摩擦音、時折聞こえるクラクション、木々から聞こえる蝉の声、バイク特有のむき出しの耳を突くエンジン音。 ピヨピヨ、小鳥の声??? いや、渡っ良いの音ではない。何だろう??? 一瞬目を開くと、信号待ちの多くの人は、 ワイヤレスホンで音楽を聴いている。 音は漏れていなく、姿としてしか分からない。 前を向き、兵隊の様に並び、静かに待っている。 その空間全体の呼吸を胸に感じている。 また、風景全体の空間が歪んでいるようにも思えた。建物、人間が歪んでいるわけではないが、 どこか、空気が歪んで捩れている。 そう、肌で感じた。 そこまで“現実”に感じたのに、 肌で感じた事を意識した瞬間に戻った。 その音の輪郭は、鳥の声の波形が一層際立って表示されているかの様だった。天井の輪郭よりも、人ごみの質感は、音と気配という形で、鼓動と共に波打っている。 本当の事を先取った体験だったのだろうか。 いや、そんな事はないと、海未は思った。 僅か5分足らずでこの繰り返し。 今までの経験からは説明がつかない。 本当の事って何だろう。 珈琲を飲んだ。 人ごみの感覚が自分の中で溶け、 ミルクが混ざるように希釈されていく。 フルーティな酸味のある香りと味は最近のお気に入り。濾過するフィルターから立ち上がる湯気が、 風景の様にぼんやりと目に映っている。 どこかの人ごみに吸い込まれるように、 そして、まるで何かが終わる様だった。 あらゆる者が飲みこまれるような人ごみ。 現実的には飲まれたかもしれない。 そして飲んだ。 本当に飲んだのだろうか。 一日の始まりは、そんな(ふう)に 吸い込まれつつあるのかもしれない。
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