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3-龗 洞
あの日から数ヶ月が経ったある日の事。辰也はいつもの様に仕事を終えて帰ろうとしていると、急にトイレに行きたくなった。個室に入って用を足し、
「あ~、すっきりした!」などと一息ついていると何処からともなく声が聞こえてくる。
「もしもし、もしもし」
咄嗟にスマホを取り出したがスマホは何も反応していない。それでも“もしもし”と声がしている。驚いた辰也は辺りを見回すが誰もいない。
「えッ、もしや幽霊? これがトイレの花子さんか? 花江さんか? 花代さんか? ???」そう思うと背筋に悪寒が走る。声の出所を探してよくよく見ると、左手首の甲が反応しているではないか。
「えッ、これって・・ワワッ、もしかして龍神様? もしもし、“龍神様”ですか?」
「ハイハイ 私は、龍神様です! 越後のちりめん問屋の隠居じゃありません」
「あーびっくりした!」
「驚かせてすみません。今、大丈夫ですか? ウン転中じゃないですか?」
「ウン転が終わってスッキリしたところです、ハイ!」
「? スッキリ??」
「いや、こっちの話です」
お互い似た者同士、魅かれあうものがあるようだ。長年連れ添った夫婦漫才師のようでもある。
「辰也様、夕餉(ゆうげ)はお済みでしょうか?」
「いいえ、今仕事が終わって帰るところなのでこれからです」
「なら丁度良かった、これから私と一緒に夕餉はいかがでしょう? 御馳走しますよ!」
「えー、本当ですか女神様のお誘いなんて初めてです。嬉しいな、是非ともご一緒します。ありがとうございます」
絶世の美女からのお誘いなど生まれて初めてである。辰也は舞い上がって大喜び。そそくさと身支度を整え車に乗りエンジンをかける。すると左手首から、
「私が誘導致します。そのままお進みください」
そう言われてアクセルを踏み走り出した。
「この先の信号を左方向です!」 ウインカーを出して左折した。案内は続く。
「しばらく道なりです!」
「この先、分岐を右方向です。更にその先を左方向です!」
「まるでカーナビみたいですね?!」
「いいえ、【龍ナビ】です!」
「アハハハハハーーーー、龍ナビ!」
こうして案内されるままに車を走らせて行く.街中を通り過ぎやがて山道へと入って行く。近くには渡良瀬川と言う川が流れていて、渡良瀬川の上流、渡良瀬渓谷へと進んでゆく。
ここは渡良瀬渓谷鉄道、通称“わ鉄”が走っていて四季折々の景色が楽しめる風光明媚な土地柄である。しばらく進んでから渓谷に向かう道をゆっくりと下って行くと、少し開(ひらけ)けた場所がありそこに車を停め指示されるままに河原に向かって歩いて行く
歩き出して間もなくすると目の前に小さな洞窟が現れた。
「こんな所に洞窟なんて在ったかなぁ~??」 辰也が訝(いぶか)しげにそう言うと、
「この洞窟にお入りください!」と龍ナビが答える。仕方なく言われるままに洞窟を進むと小さな灯りが見えてきた。歩みを進め近づいてみると、それは店の看板の灯りであった。
〖 割烹“たか” 洞窟料理の店 〗とある。
「へ?? 洞窟料理?? 何だそりゃ?」
辰也の怪訝(けげん)な思いは何処へやら、面白すぎる看板にプッと噴(ふ)き出した。龍ナビが辰也に入店しろと促す。
暖簾(のれん)をくぐり引き戸を開けると、そこにはカウンター越しに割烹着姿の龍神様が待ち構えていた。
「今晩は! いらっしゃいませ、辰也様お待ちしておりました」
「うわ~、龍神様って小料理店もやってるんですか?」
「ええ、そうなんです。割烹たかの店主“貴湖(たかこ)”です」
「割烹たかの女将さんで、“たかおかみ”。 駄洒落ですか~~?」
「ハハハ、そうです。バレました?」
「龍神様のオヤジギャグって・・・」
「もう、龍神様はよしてくださいな。これからは“たか”って呼んで!」
「貴さん!」
「辰也さん!」
しばし見つめ合う一人と一柱であった・・・。って、おい違うだろ~~!
辰也がカウンターの椅子に座る。貴湖がおしぼりを手渡す。辰也がそれを受け取り顔を拭いて、フ~ゥと一息つく。まさに“オッサン”である。
「お仕事お疲れ様!」貴湖がにっこりと微笑む。
「ええ、今日は何か疲れたんですが貴さんの笑顔で疲れが吹き飛びました」
「まぁ、お上手ね!」
龍神様の有難みも何処へやら、もうすっかり小料理屋の女将である。この先が思いやられる。
「さぁ、何にします? とりあえずビール?」
「いや、俺はビールが苦手なので、そうだなぁ~」と、辰也が棚に並んだ酒を見回す。
「いろんな酒があるんですね、見たこともない酒ばかりだ!」
貴湖が棚の酒を説明する。
「“龍神”このお酒は吟醸酒でスッキリとした味です。こちらの“龍湖(りょうこ)”は辛口。キリッとした味わいね。焼酎もあるわよ、“蛇毒気之神(だどくけのかみ)”これは焼酎ベースのマムシ酒よ!」
「マムシ酒って、それ打ち身や捻挫、切り傷すり傷に浸ける薬じゃないですか?」
「飲んでもいいのよ、飲めばマムシの毒が全身に回って芯から温まり血の巡りが良くなるわ。」 貴湖がニヤリと笑う。
「いやいやいや、俺は芋焼酎が好きなんだけどそれは遠慮します。それにしても聞いたこともない銘柄ばかりで、しかもベタな名前ばかりですね」
「そりゃそうよ、ここにある物は人の酒造ではないわ。全て神世の代物よ!宇迦さん家の田んぼで取れる酒造好適米(しゅぞうこうてきまい)“舞風(まいかぜ)”を使って、酒造の神が丹精込めて作ったお酒ばかりなのよ!」
「へー、神代の世界も酒にはうるさいんだなぁ~」
「何言ってるの、元々お酒は神に奉納するもので昔は神職がお酒を造っていたのよ!」
無知な辰也を貴湖が窘(たしな)める。
「これなんてどうかしら、“龗洞(おかみどう)”。うちで一番人気のあるお酒、本醸造でまさに“おやじの酒”って感じよ。スッキリとしていながら芳醇な甘味があるの。そうね~、岩清水と言うか清流の様な感じかな。お米のジュースってところか。人の酒造でこれに似た味のお酒があったわ、確か“左大臣(さだいじん)”とか言うお酒よ!」
「じゃ、それにします。」辰也が決めると貴湖がどうぞと盃に酒を注ぐ。辰也が一口飲んで、
「ほー、いい酒だ! これは旨い!!」と、残りを一気に飲み干す。
「じゃあ、貴さん御返杯!」
「ありがと、頂くわ」
そう言って貴湖もクイッと一気に飲み干す。
「そう言えば貴さん、こんなところに洞窟って在ったっけ?」
「無いわ! ここは選ばれた者しか見ることも入ることもできない異界の地よ。ましてや人などは尚更無理ね。この洞窟は人の世と神の世を繋ぐ通り道で、我ら龗が使っている洞窟なの。【龗洞(おかみどう)】と言って存在自体が怪異の様な所ね!」
「エ~~ッ! じゃ俺元の世界に戻れないの??、俺この世界の物を口にしちゃったし・・」
「ハハハハハ、それは漫画の読み過ぎよ。そんなことにはならないわ。神の世の物を口にしても健康で生き生きとした身体になって、少々寿命が延びる位のものだわ。新嘗祭(にいなめさい)や一般人の直会(なおらい)だって、神に捧げ神と共に食すことで恩頼(みたまのふゆ)を頂くわけだから。」
「あ~良かった、びっくりしたなぁ~もう。 それなら“洞窟料理”って一体どんな料理なの?」
「あ~、それも特別な物じゃないわ。この洞窟で採れたもので作っているってだけよ。ここを流れる小川で採れた川魚や山菜、それからこの奥で少し畑をやってるの。野菜も作るけど、他に松坂牛の霜降りや大間々(おおまま)の本マグロの栽培なんかもやってるの。大間々の本マグロは三種類作ってるわ、大トロ、中トロ、赤身。サツマイモは“紅はるか”ね。果物もあるわ、シロップ漬けの白桃とパイナップルの缶詰。名前が似てるってだけで、植木のハクロニシキに無理矢理サクランボを挿し木して作った佐藤錦・・・。」
「うわ~、霜降り栽培に大トロ栽培、挙句の果てに缶詰栽培・・・。大間のマグロなら有名だけど大間々のマグロって、もう無茶苦茶だなぁ~!」
「ここは神の世界よ。神話同様、無茶苦茶で何でも有りなのよ!」
そう言って貴湖が次々に料理を出してくる。
「わ~、旨いこれ。どれもこれも皆絶品だぁ~! 俺今までこんな旨い物食ったことなかったな~」
「それは良うございました!」
貴湖がにっこりと微笑む。
辰也はこの楽しいひと時をしばしの間堪能するのであった。
「貴さんはこの洞窟に住んでるの?」
唐突に辰也が尋ねる。なるほど、自然な疑問である。
「いいえ違うわ、ここはお店を出してるだけなの。私の棲み家はこのすぐ近くにある大間々“貴船神社”よ。」
「あッ、そうか神様だもんね。いけねぇ、すっかり忘れてた」
「ハハハ。私も、なりたての龍神だから慣れてないのよ!」
「アハハハハー、なりたてホヤホヤの龍神様かぁ~。でも、何か縁起が良さそうだ!」
「本当はもう少し先になるはずだったんだけど、前任者の高龗が任期終了を待たずに有給消化に入ったのよ。それで私が支部長様の命でこの東毛地区に赴任してきたわけ。有休消化と言っても給料があるわけじゃないけどね」
「へー、何か公務員みたいだね!」
「公の為に働く点では似たようなものね。前任者は年配で神力もかなり強かったので、神社は小さいけれどいつも参拝者と、御祓い・御祈祷でごった返してるわ。そのせいか腰痛が悪化したみたいで、休暇を取って山の向こうの“老神温泉(おいがみおんせん)”に湯治に行ってるのよ」
「龍神の腰痛??!!」
「そりゃそうよ、龍神、蛇神は背骨も椎間板も神一倍多いんだから・・。人間の為に酷使してるのよ。老神温泉は龍神の坐骨神経痛によく効くって評判なのよ!」
「なら、益々神に感謝しなければ! 確かに椎間板は多いだろうな、龍神、蛇神も大変なんだね!」
何を納得しているのだこのバカめ! ヘルニアの龍神だの、龍神の坐骨神経痛によくきく老神温泉だの、私も長年人間をやっているがそんな評判も噂も聞いたことは無いぞ!
品川にある品川神社の末社の猿田彦神社は道開きの神なので足の神として祀られている。 その社の参拝とロキソニンの併用で足の痛みがたちどころに治ったことはあったが、貴湖姫の話は聞いたことも見たことも無い。
ただ、この大間々貴船神社は神の御加護、御神徳が相当強いらしく昔から超強力なパワースポットとして知られていて、参拝客が絶えない。
御祓い・御祈祷の依頼者も順番待ちで神職はいつも大忙しである。残念なのは常駐の巫女さんがいないことくらいか。
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