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 古邸の運転する車は十分程で停まった。  そこはただ古いというよりは歴史があるような佇まいの建物だ。お城の石垣の様な塀に囲まれ、その中には立派な松の木と三台程度の駐車スペース、瓦屋根が美しい屋敷がある。  糸湖は病院ではないことに一抹の不安を感じたが古邸に対しての懸念はなくなっていた。  古邸が後部座席のドアを開けると同時に、建物の中から小柄なご婦人が出て来て古邸に声をかける。 「二十年ぶりに連絡寄こして来たと思ったら今度はなんだい?」 「刃物で背中を刺されたんだよ。頼れるのは美鶴子(みつこ)さんだけだからねぇ」 「言うことまで二十年前と(おんな)じだ」  悪態をつきつつも美鶴子は蓮を受け入れる。  歳は義一郎より多少若いくらいか。白髪混じりの髪を染めることなくキッチリ一つにまとめている。それだけで美鶴子がいい加減を許さない性格だと伝わった。  建物の中に入れば一目瞭然、ここは産婦人科の病院だ。木造の建物は昔の学校のようでもあり、いつかドラマで見た田舎の診療所を糸湖は思い出す。  しかし外来患者はおらず、看護師の姿も見えない。ガランとした病院というのはどこか心をざわつかせる。 「脇腹を貫通してるね。内臓は多分大丈夫だろうけど、ちゃんとしたとこで診てもらった方がいいよ。あ、それが出来ないからアタシんとこに来たんだもんね。また同じセリフを聞かされるところだった」  美鶴子は手際よく処置をしながらシャキシャキ喋って笑った。 「全部言われちゃったよぉ」  古邸もこりゃ参った、と笑う。糸湖はそんな二人を見て笑っていい状況なのかと戸惑う。 「随分顔色が悪いね。輸血は今B型しかないけどこの子は何型?」 「多分大丈夫。このお方はこのっくらいじゃくたばらないよぉ」 「ま、いいならいいけどね。気休めに点滴でも打っとくか」  美鶴子は案外あっさり引いた。多分医者から見ても大丈夫なのだろう、と糸湖は思いたい。 「こっちのお嬢ちゃんは? その血はこの子のだけ?」  糸湖の服は蓮の血で染まっていた。今の今まで気にもしていなかったが、改めて見るとギョッとする。 「えっ、はい、私は大丈夫です」 「美鶴子さん、こちらは小野原糸湖ちゃん」  美鶴子は一瞬目を見開き満面の笑みで糸湖を見る。 「あぁ、あの時の赤ん坊かい!」  とても懐かしげに頷いた美鶴子は糸湖を瞬間的に抱きしめ、離れると肩を何度も叩いてそうかい、そうかい、と嬉しそうにまた頷いた。糸湖は訳が分からずポカンと首をかしげる。 「あの時の?」  古邸は珍しく真摯な面差しで糸湖を見た。 「ここは糸湖ちゃんが産まれた、ことになってる病院なんだねぇ」  産まれたことになっている? 糸湖の首はますます傾く。 「二十年前、ボクとじいさんは福井で長期のフィールドワークをするために半年ほどここに寝泊まりしてたんだよ。美鶴子さんはボクの遠縁のおばさんなの。ここは産科でね。当時はもう町の大きな病院に負けちゃっててスカスカだったんだ。だから、身体の弱い奥さんを一人東京に置いてけないって言うじいさんにここを紹介したんだね。で、奥の畳の部屋にじいさんと奥さんが一緒に泊まってたんだよ。一応病院だからさ、いざって時の応急処置くらいは出来るしねぇ」  美鶴子は大きなお世話だと言わんばかりの視線を古邸に送りつつ、点滴を準備しながら言う。 「今いる子が無事に産まれたら閉めるんだよ。だからこんな感じなのさ」  点滴をセットし終わり美鶴子は糸湖に笑顔を向けると病室を出て行った。  古邸は一度深呼吸をしてうん、と自分に向けるように言った。糸湖は息を飲んでその姿をじっと見つめる。〈ゆうさん〉が語る真実ならどんなことでも受け入れる覚悟だ。
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