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「いいえ、独身ですよ」
笑顔で答える祐貴に糸湖は心の中でガッツポーズをする。それを見透かすように蓮はフンと顔を背けキュウリの浅漬けを一つ口に放り込んだ。
食事が終わり一服する間もなく三人は改めて義一郎の部屋に足を運んだ。
「何が無くなっているか分かりそうですか?」
「全然……」
祐貴の問いかけに糸湖は力なく首を振った。無くなっている物はおろか、何があったのかすら分からない。
「ですよね。私も教授の研究の全てまでは分かりかねますから……」
落胆して部屋を見回す糸湖と祐貴を、蓮は部屋の入口で眺める。
「片付けがてら教授の残されたものを見させていただいてもいいですか?」
「勿論、お願いします!」
祐貴が義一郎の研究資料に没頭すること二時間。
興味が湧いたのか蓮も一緒にそれらを眺めていた。糸湖も片付けようとしたのだが、何が何だか分からず結局祐貴を眺めているだけになっている。
ずっと我慢していた問いかけを糸湖は口にした。
「何か分かった?」
祐貴はゆっくり振り返り糸湖を見る。
「まだ何とも言えませんが〈神隠し〉に関するものが無いような気がします。教授はあいうえお順に整理されていたはずなんですが抜けているようです。〈神隠し〉については熱心にお話されていたので、ないってことはないと思うんですが」
糸湖は一瞬不思議そうな顔をして言う。
「〈神隠し〉って、要は迷子とか誘拐とか失踪とかで発見されなかったってことだよね?」
「……かなり現実的ですね」
困ったように祐貴は小さく笑い、続ける。
「そう言ってしまうと身も蓋もないんですけど。でも例えば〈浦島太郎〉もある意味〈神隠し〉のお話なんですよ」
「え? 何で?」
「あれは〈神隠し〉にあった人物目線のお話なんです。残された方にしてみれば浦島太郎が忽然と消えた、〈神隠し〉にあった、ということになります」
糸湖は何やら考えを巡らす。
「じゃあ竜宮のお姫様……じゃなくて亀が神様ってことなの? いや、やはり親玉はお姫様?」
実に嬉しそうに笑って祐貴は答える。
「糸湖さんは柔軟ですね! そう、〈神隠し〉の神様とはお釈迦様や、キリスト様ではないんです。〈神隠し〉とは古神道で言うところの結界を越え、神域に消えた状態だと考えられています。ですから天狗や山の神、鬼、山姥、狐など主に山にまつわる妖怪の類いに攫われたとされているんです。〈浦島太郎〉で言うならまさしく亀ということになりますかね。一番古い言い伝えだと、」
祐貴は糸湖が空を見つめて固まっていることに気付き言葉を止めた。
「すみません。そういう話はいいですよね」
確かに祐貴の話が理解不能な領域に差しかかっているのもあるのだが、糸湖が神妙な顔をしている理由はそれだけではなかった。
義一郎の研究にもっと興味を持っていれば、もう少し寄り添っていれば、こんな風に義一郎から話を聞けたのかと思ったのだ。
今の祐貴のようにそれは楽しそうに語る義一郎の笑顔を見られたのではと。
糸湖は心の中に父の姿を想い浮かべる。
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