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「糸湖さんが狙われていると決まった訳ではないですし、ここに居ても安全とは言い切れませんからね」  そうして三人は大学に向かった。近くの駅から都電に乗って延べ二十分足らずの場所である。  バイト先も徒歩十分圏内なので、糸湖がいかに狭い範囲内で生活しているかが分かる。糸湖は遠出が苦手なのだ。早い話が面倒くさい。  日本中を駆け巡っていた義一郎にしてみればそんな糸湖が不思議だったかもしれない。だが近くにいてくれる安心感もあっただろう。  桜羽芙弥香の講義内容はありふれたものだった。  自身の半生を振り返りつつ、人生とは、夢とは、生きることの意味とは、そんな感じだ。だがその存在感と遠目に見ても分かる美貌。大女優にしかない溢れ出るオーラはその場に居た者を余すことなく魅了した。  糸湖はこの日を待ちわびていた友達と散々キャーキャー盛り上がった後、興奮冷めやらぬ祐貴と人気(ひとけ)もまばらになった学食で美のオーラの余韻に浸っていた。 「あの美しさは日本の宝ですね。とても来年五十歳とは思えません」 「ホントに! 若い頃の妖精みたいな透明感は神がかってるし、今は今で歳を重ねた美しさがちゃんとあるよね!」 「その通りです! 凡人には歩めない、経験できない人生を歩んできた深みが感じられます! 様々な浮名もあの美貌なら必然と言えるでしょう!」  盛り上がる二人の前で黙々とカレーを食べる蓮。講義中もほとんど眠っていた。 「ちょっと、興味ないならついて来なくて良かったんだけど」  糸湖は冷たく言い放つが、蓮はお構いなしでカレーと向き合う。  もう、と頬を膨らます糸湖の耳にざわめきが届いた。顔をざわめきの方に向けると桜羽芙弥香が学食に入ってくるところだった。 「うそ!」  糸湖は思わず声をあげる。  それもそうだ。日本の至宝たる大女優が学食に現れるなんて。  芙弥香の周りにはボディーガードはおらず、マネージャーと二人だけ。  わらわらと集まってくる学生たちに嫌な顔一つせず美しい笑顔を向け、券売機でカレーと豚汁を選ぶと学生にまじり列に並んだ。  その間もスマートフォンを向ける学生たち。  糸湖はその様子を遠目に眺めながらSNSを確認すると、既にこの様子をアップしている者もいた。 「ちょっと分別ついてないよね。怒らない芙弥香さん神対応だわ」 「そんなところも人間として美しいですね」 「それにカレーに豚汁って親近感! フォアグラとかキャビアしか食べないのかと思ってた」  何だかんだ言ってSNSから芙弥香の選んだ昼食の情報を得ているのだから、糸湖も他人(ひと)のことが言える立場ではない。需要があるから供給されるのだ。 「え、マジ!」  そう言った糸湖の目線の先にはこちらに近づいてくる芙弥香がいた。糸湖たちのさらに向こうにあるテラス席に座るつもりのようだ。  後二メートル程まで近づいて来た時点で糸湖は顔をテーブルに移した。眩しすぎて直視できそうにないと思ったのだ。  多くの取り巻きを引きつれて傍までやって来た芙弥香。  学生たちがギュウギュウと詰め寄ったせいで、糸湖たちが囲むテーブルがガタッと歪む。それに気を取られた芙弥香の足は止まり、後ろから押されて前に躓きそうになる。 「キャ!」  その声と同時に糸湖の前に蓮の腕が伸びたが間に合わず、次の瞬間には床に食器が落ちる音が響いた。 「立て!」  初めて聞く蓮の険しい叫び声。それは糸湖に対する命令だった。  糸湖は訳が分からず反射的に立ち上がる。すると蓮が糸湖のロングスカートを大きく広げるように引っ張った。
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