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第3話・つまり、蕩けた
***
「ごめんなさい、そっち、狭くはないですか?」
「……え?」
「私、そんなに細い方ではありませんので、窮屈な思いをさせてしまったらごめんなさい」
「……あ……いや、ぜんぜん、大丈夫、です」
「そうですか。よかった」
「ええ……まぁ……セミ……ダブルですし」
「はい」
「…………」
「…………(ニコニコ)」
啓次と巡莉はしばし無言で見つめ合った。
おそらく時刻は真夜中の一番奥深く。
電灯も点けず、厚い遮光カーテンを閉められた室内で灯りらしい灯りは目覚まし時計のデジタル部分だけだったが、それでも互いの顔がハッキリと判別できるくらいに二人の距離は近かった。
「え、えっと……え??」
「…………(ニコニコ)」
少しだけ顔にかかった長い髪とその隙間から覗く大きな瞳。
暗闇の中でも血色の良さがわかるふっくらとした形の良い唇。
ほんのりと色づいた頬。
おそらくシャンプーのものであろう清潔な香りとその隙間から漏れ出る隠し切れない若い雌の匂い。
腰に回された腕の暖かさ。
搦められた足のなめらかさ。
そして彼女が小さく呼吸する度に先端部分が微かに擦れる豊かな乳房の質量。
―― どうして?なんで? ――
啓次には聞きたいことがたくさんあった。
―― なんで?……え?どうして? ――
けれど、それ以上に理解が追いつかない。
いくら寝起きとアルコールの残滓のせいで頭の回転が鈍くなっていたとしても、平素ならベッドから反射的に飛び起きることぐらいはできただろう。
しかし、突如として放り込まれた現状の把握を脳が処理するよりも、五感すべてに直接働きかけるように感じる『巡莉』という一個の女の存在感が啓次の意識をわしづかみにして離さず、それ以上彼に何かを考えさせることも体を動かすことも許さなかった。
「……ねえ、啓次さん……」
普段は内緒話をするために使われる囁き声。
深夜であり、家人や近所に気取られないために声を潜めるのは当然の配慮であったのかもしれない。
その僅かに掠れた、それでも耳に心地の良い美しさを損なわない巡莉の声は、その場面、その距離感ではただ淫靡なものに響いた。
「あ、あの……」
状況はわからない。
理解も追い付かない。
それでも若くて健康な雄の本能は、当人を置き去りのままに素直な反応を示す。
「め、めぐりさ……」
「啓次さん……」
啓次はその生理現象を気取られまいと慌てて身じろぎし、なんとか彼女から距離をとろうと四苦八苦するが、やはりうまく体が動かない。
どちらにしても、これだけ密着しているのだ。
その下腹部にあらわれた雄々しい隆起に巡莉が気づかないはずはない。
いや、むしろ、気づいてなお彼女はより一層体を絡ませてきたぐらいだった。
「……啓次さん」
溜息を含んでより一層エロティックになった囁きと共に、巡莉はゆっくりと自らの両手を動かし、啓次の背中を撫で始めた。
上に、下に、
縦に、横に、
ゆっくりと、穏やかに。
まるで壊れやすいものを扱うような優しい手つき。
まるで何かを細かく探るような繊細な手つき。
それでいて、的確に啓次の性感を刺激するように這いまわるその手の平の動きは、胡麻化しようもなく純粋な愛撫となってしまう。
「ああ……啓次さん……啓次さん……」
「ちょ、め、巡莉さん!!だ、だめっ……」
「しー……。大きな声を出してはいけません」
「ううう……」
緩慢で、さするとか撫でるというのも烏滸がましいほどに軽い羽毛のような巡莉の手の動き。
それでも容赦なく背中から全身へ駆け抜けていく快感に、啓次は何度となく腰を引く。
しかし、巡莉はその度に付いていっては離れず、むしろ啓次が引いて生じたスペースにより自分の肉体を差し込み、密着する部位が増えていくばかりだった。
「な、なにを……なんなんですか、巡莉さん」
このままでは状況は悪化するばかりだと心を決めた啓次は、小さな声で、ようやくそれだけを尋ねることができた。
「……いいんですよ」
しかし、返ってきたのはそんな答えにもならない答え。
しかも、相変わらず巡莉は溜息交じりに耳元で囁くものだから、結局、いろいろと状況は悪化してしまう。
「い、いいって……なにが……」
「いいんです。貴方は何も考えなくていいんですよ、啓次さん」
啓次は自分の鼻息と心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
興奮している。
巡莉の手が動くたびに聞こえる微かな衣擦れも、耳のすぐ裏で早鐘のように高鳴る鼓動も、本来は些細な音でしかないはずなのに、こんな静寂の中では必要以上にうるさく聞こえ、それがまた彼を性的に昂らせていく。
「……まだ……大きくなるみたい……ですね……」
「……はぁ…はぁ……め、めぐ…り…さん」
「……苦しい……ですよね?」
「……はぁ……うっっ…はぁ……」
「ふふ……あぁ……その顔……可愛いですよ、啓次さん……」
「……ううううっっっ!」
巡莉が一際目を大きく見開いた。
その潤んだ黒目が、爛々と闇夜に輝くのを啓次はボンヤリとした視界の中でとらえてしまう。
それは控えめにたとえるなら獲物を見据えた肉食獣の目。
そして遠慮なく表現してしまえば悪魔の眼差し。
それも、男という性を堕落の底へと突き落としてしまう、淫魔のそれだった。
「……ああ……とても立派です、啓次さん……」
「……はぁっっっ……はぁっっっ……」
「……はぁ……ん……本当に……立派。……はぁ……細身なのに骨格はしっかりしていて、筋肉だってこんなに固い……とってもステキ……素敵ですよ……啓次さん……」
啓次と同様に、巡莉の息も荒くなる。
彼女もまた、確かな興奮状態にあるようだ。
それが証拠に、撫でまわす手の動きはより早く、より粘着的となり、触れる範囲も背中だけではなく腕や足、そして滾りに滾った下腹部付近にまで及んでいた。
「巡莉さん!!……さ、さすがに……そ、そこはちょっと……」
「気持ちいいんですか、啓次さん?」
「あ、えっと……」
「気持ちいいんですね?そうですね?……はぁ……わかります。わかりますよ、啓次さん。さっきから私のお腹、グイグイ押してますもんね。……強くて硬くて健康で……はぁ、啓次さん。……なんて逞しいのかしら……啓次さん……」
巡莉の言葉が何かを脱ぎ去ったかのように大胆なものになってきた。
頬にしろパジャマから露出している肌にしろ、上気したように紅く色づいているところも鑑みれば、巡莉の昂りは相当なもののようだ。
啓次の体に巻きつけたままの脚に力をこめ、巡莉は彼の太腿部分を股の間にはさみ込む。
「……め、めぐり……さん……ホント……だ、め……」
焦らすようで焦らし過ぎない、けれど決してある一定のラインは踏み越えてこない半端な刺激。
絡みつかれた太腿から感じる、巡莉の体温以上の熱。
「ほら……ほら……もっとくっつきましょう、啓次さん。もっともっと、お互いの体温を交換し合いましょう……生きてるんだって……ちゃんと私たちはここにいるんだって、確かめ合いましょう……ほら、こうやって……ね?」
パジャマのボタンを強引に開けられる啓次。
そこにピッタリと寄り添う、こちらも前をはだけた巡莉。
最初からこうするつもりだったのか、彼女は下着を着けていなかった。
「めぐり……めぐり……さん……」
「ほ~ら、聞こえるでしょう?私の心臓の音……啓次さんの鼓動だってドクン、ドクンって元気に動いていますよ……」
押し付けられるムッチリとした柔らかな乳房の感触。
互いの乳首同士が重なる硬い質感。
太腿に感じる、どこか湿り気を帯びた温度。
普段は清楚な唇から漏れ出る艶のある声。
それらすべてが、啓次の理性を着実に削り取っていった。
「めぐ……めぐり……さん……」
「気持ちいですね……温かいですね……こうしていると……とても安心しますね……そう思いませんか……啓次さん?」
「こ、こんなのだめです……から……うう……」
「ダメなんですかぁ?なにがダメなんですかぁ?ねぇ、啓次さん?」
「うう……ああ……や……め……ああ!」
「どうしたんですか、啓次さん?そんな女の子みたいな声を出して?……苦しいんですか?もうやめたいですか、啓次さん?私のこと嫌いですか、啓次さん?」
……駄目だ。
……これ以上は……この快感は駄目だ。
例え義理でも……いや、義理だからこそ与えられてはいけないものなのだと、啓次のなけなしの良識は必至で訴えかけた。
「あ、貴女は……兄さんの……うう……お嫁さんになる人です……」
「そうですねぇ……あと……もう一か月もしないうちに……私は……塚原巡莉になります」
「そうですよ……だから……ううう……ちょ、そんなに……め、巡莉さん!!」
「はい、巡莉さんですよぉ…貴方の義理のお姉さんになる……貴方と家族になる……巡莉お姉さんですよぉ……啓次さんの……義弟くんの……立派な立派な男の子の体を抱いているお姉ちゃんですよぉ……」
「ああ……うう……ああ……」
そこで啓次の腕がおそるおそるではあるが、真っすぐ前に伸ばされた。
その両腕は、終始、彼の内心をそのまま表しているようだった。
突然の出来事に思考が追い付いていない時はピタリと硬直し。
押し付けられた女体を貪りつくしたい衝動を抑え込んでいる時はプルプルと震え。
抱きしめられている分だけ抱き返そうかと葛藤している時はただただ虚空をさまよい続けた。
それが、いよいよ伸ばされたということは、一体、彼の心の何の表れを代弁しているのか……あえて語るまでもないだろう。
これほどまでに成熟した女性の乳房や発情した柔肌を前にして、性体験の無い多感な少年に我慢しろというほうが無理な話だ。
「も……もう……僕……僕っ!!」
「……啓次さん……」
新たなる快楽への期待と不安、なけなしの倫理観と青天井に高まる興奮。
それらの激しい鬩ぎ合いの結果、若い情欲に身を任せようとした啓次の耳に、それまでとはいささか毛色の違う声色が自分の名前を呼ぶのが聞こえた。
昼間のような愛想の良さとは違う。
今宵のような淫らに染まったものとも違う。
「……啓次……さん……」
それは、十余年にわたる啓次の人生の中で間違いなく、一番切なげな呼びかけだった。
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