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プロローグ
「ふぅ……」
塚原啓次は某破滅的な大文豪のように、しみじみと逡巡する。
思い起こせば、受け身ばかりの人生でした……と。
たかだが大学生になったばかりの身にして人生の総括をするのも早計なような気もした。
しかし、これがたとえ不惑の四十を越え、知命の五十を過ぎ、そして八十歳にして迎える今はの際に立ったとしても、おそらく同じような言葉、あるいは寸分違わぬ同音同義語で自分の歩んできた道を振り返るんだろうなと啓次は漠然と思っていた。
「はぁ……」
そう、人間性(あるいは星の巡りと言い換えてもいい)というものはなかなかどうして変わるものではない。
幾たびか訪れる挫折と成長、幾重にも積もり重なる経験と時間。
どれだけ漫然と生きていたとしても、多少なり変化はついて回るのだろうが、それは所詮、枝の伸びや葉ぶりの良し悪し程度の違い。
根幹は……まさしくオギャーと生まれた瞬間から地面に食い込んだ根っこや、その人をその人たらしめる太い幹の部分は終生変わってくれることはないのだというのが、彼がまだまだ尻の青い若輩者でありながらも経験則からどうにか捻りだした、この世の真理であった。
「はぁ~あ~あ……」
そして、幾ら溜息を吐いたところで、悩みが解決されるわけでもない。
そんな真理にも、とっくに辿り着いているハズである。
経験として。
「ありがとうございました~」
某日の某時間、某コンビニチェーン店内において啓次は今日もせっせとアルバイトに勤しんでいる。
その年の春、それなりに名のある大学に無事合格できたものの、ごくごく一般的な収入しかない由緒正しき中流階級である塚原家だ。
息子を単身上京させ、都内の私立大学に通わせるのは相当な負担であったに違いない。
合格通知を受け取った際、『おめでとう』や『頑張ったね』という賛辞・労いとともに、学費や最低限の生活に必要なお金は見繕うことはできるもののそれ以上になると難しいという旨の言葉を、ひどく歪曲的に、それでいてどうあっても揺るがない確定事項として両親から告げられた。
実を言えば大した金のかかる趣味をもっているわけでもなく、お世辞にも人付き合いの良い方ではない啓次ではあったので、特に余分な金銭を稼ぎ出す必要性は感じなかった。
いざとなれば幼い時より使い切れず貯蓄に回した月々の小遣いやお年玉だってそれなりにあった。
しかし、自身の経験からなのか、一般的なイメージから連想された固定観念からなのかはわからないが、都会の大学生には連日連夜の酒宴にかかる遊行費が、学費とともに、もはや必要経費であると疑って止まない両親が、何某かのツテを使って見つけてきたこのコンビニのアルバイトへと強制的に啓次をねじ込んでしまったわけだ。
―― 本当は勉強だって付いていくのに必死なのに、バイトなんてしてる場合じゃないんだよなぁ。しかも接客業って。あんまり人と話すの得意じゃないこと知ってるくせに ――
そんな文句というか愚痴というか……内心に募った憤懣は、いつだって啓次の口から外に漏れ出ることはなく、心の中でいつまでもいつまでも鬱々と渦を巻いて滞留し続ける。
他人からすればその字面だけで胸の辺りがモヤモヤとして気持ち悪くなってしまいそうなものだが、当の啓次に限って言えば、もはやその一連の流れは『習慣』を通り越して『習性』へと昇華されたお馴染みのものであった。
陰険で根暗、性根が致命的に腐りきっているためのネガティブ思考……。
否、塚原啓次の人となりを表す言葉としてそれらは適切ではないかもしれない。
ただひとえに、彼はヘタレなのだ。
とにもかくにも生来からの気弱さのために啓次は自己主張というものをしたことがない。
乳児の時よりオネショをしてもお腹が減ってもまったく泣かず、逆に手がかかったものだと両親がいつか笑って話していたが、それは多分、まだ幼い兄をも抱えて何かと忙しそうな母親の顔色を窺っていたんじゃないかと啓次自身は疑っていた。
それくらい、彼は自身の思っていることを上手く言葉なり行動なりで表現できなかった。
何かしらの障害?
精神疾患?
いやいや、これはただのヘタレだ。
自分ごときの主張で誰かを不愉快にしてしまう、こんな自分のしがない一挙手一動が他人様に何かご迷惑をかけてしまうのではないかと怯えるだけの臆病者。
結果、オロオロしたりアワアワとしたりモタモタしたり、余計に挙動が不審になって相手に迷惑をかけてしまってまた凹む、そこまでがワンセットになった、単なるヘタレ男なだけなのだ。
「あー塚原さん?(いかにもやる気のない年下の先輩店員)」
「え?あ、うん、なに?(いかにも気の弱い年上の後輩店員)」
「あれ、あの棚の商品、補充しといてくれました?」
「え?いや、してないけど……」
「ちっ、んだよ、くそおせぇー(ボソリ)」
「いや、だって、僕の仕事が終わって手が空いたらって……(ボソボソ)」
「はい?なんすか?」
「い、いや。そもそもそれは君が店長から頼まれ……(モニョモニョ)」
「え?なんすか?ぜんぜん聞こえないんすけど?」
「え、や、だ、だから、僕は僕で仕事があって……」
「そんな簡単なもん秒で終わらせられるでしょ?だからついでにやっといてくれてもいいんじゃないっすかってことだったんすけど。俺、これから休憩なんで」
「え?だ、だって君、さっき一服するっていってニ十分くらい外に……」
「は?」
「え、えっと……」
「ああ、そうそう。そういえばさっき、店の前で高校生のガキ共がたむろってたんで、たぶんゴミとか散らかってますわ。掃除しといてくれません?」
「で、でも、君が裏に引っ込んだら店が無人に……」
「んじゃ、おなしゃーっす。……あ、もっし~わりぃわりぃ出れなくて……いや、マジつかえねー後輩がいてさぁ……(スマホ片手に)」
「ちょ、え、ちょ……ええええ!?」
塚原啓次は主張しない。
周囲に流されるまま、流れるまま。
委員会活動・体育祭の参加競技も周りが勝手に決めるまま。
進学先も教師や両親の薦めるまま。
それは初恋にしてみたってそうだ。
ただ誰かに恋をして、
恋をするまま、
恋をしたまま……。
「はぁぁぁ……」
受け身ばかりの人生において何一つ。
答えらしい答え、結論らしい結論を出せないままに、あれよあれよと気が付けばいつのまにやら大学一年の四月。
塚原啓次は都会の夜空を力なく見上げて大きな溜息をつく。
☆★☆★☆
同日、同刻、同じ空を違う場所から見上げる者が二人。
「……あら、綺麗なお月様……」
彼女は月のようにたおやかに、そして妖艶にそう呟いた。
「……くぅ、久々の日本のお星さまねぇ……」
彼女は星々のように溌剌と、そして爛々と笑った。
三者が三様に見上げた同じ空は……。
これから吹き荒れる彼と、彼女と、彼女が巻き起こす愛欲の嵐の気配など微塵も感じさせない、狭くとも穏やかな澄んだ夜空だった。
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