プロローグ

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「女王陛下の素晴らしさを! もし、『彗星の使者シリーズ』がそれほど好きではないと言うならば、あいだ美祢(みね)先生の『飽食の探偵シリーズ』は? 田所(たどころ)尾次郎(おじろう)先生の『狼が呼ぶ夜』は?」 「『狼が呼ぶ夜』と言えば狼人カノン! あれ、めちゃくちゃいいですよね! 囚われていたカノンの過去が明らかになって、私、泣いちゃいましたもん!」  知っている小説、しかもお気に入りの作品のタイトルを聞き、翠はつい小田と同じくらいテンションを上げて答えてしまった。  はっと気づくと、小田の眼鏡の奥の目が細くなっている。やばいと思った時は、もう遅かった。 「なんだ、やはり笛木さんは同好の士だったんですね」  読書家という点だろうか、それとも好きな小説の作風が似ていて共通の話題があるということだろうか。小田の『同好の士』という言葉の意味をぐるぐる考えていると、ちょうどバスが停留所に滑り込んできた。  小田は、翠と同じバスに乗った。  (あれ、課長、こっちの方角だったっけ)と思いながら、翠はうっかり口を滑らせたことを後悔し、バスの中で一言も口を聞かずに吊革に掴まる。 (このバスは雑貨屋の近くに留まるからそこで降りてノートを買うとして、店の隣にはちょうどカフェがあったし、そこでコーヒーの一杯も付き合えば済むかなあ)  走るバスの揺れに足を踏ん張りながら、翠は考えた。  まさか、そのカフェで小田に小説に出てくる女性論を延々と聞かされ、自分は小説の中の女性にしか興味がないのだという爆弾発言まで勝手にされた挙句、翠のノートになにが記されているかも暴露させられ、執筆活動まで白状させられることになるとは、その時の翠は思いもしなかった。  そして、翠は小田という極秘の相談相手を得、小田は翠という自分の性癖を唯一打ち明けられる身近な存在を手に入れたのである。  そんな互いの意思確認から一年、翠が執筆にはまって寝不足になったりネタに悩んでいたりすると、小田に気づかれるようになった。  そうして小田は今日のように、こっそり翠に声を掛けてくるのだ。
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