贈り物

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*** 「チョット! 橘さん、遅いですよ」 「研修が終わったばかりで張り切るのはわかるんですけどぉ。今日は、とりあえずノンビリとパトロールの予定ですしぃ。最初から飛ばしてたら体力もたないですよぉ、良い歳なんだからぁ」 「橘さんの方が年上でしょ? 余計なお世話だしセクハラです。あぁ、なぁんでよりによって、私の教育係が橘さんなのかなぁ」 「僕達、名コンビじゃないですかぁ。あ~! そういえば、何で僕と同じ丸眼鏡にしなかったんですかぁ? こっちのが可愛いのにぃ」  私の掛けているスクエア形の眼鏡を指さして、橘がプゥと頬を膨らます。 「先輩なんだから、流石にそのキャラやめて下さいって。私は、シャープな頼れるお姉さんキャラでいくからコレでいいんです」  浮遊局の採用試験は、一発合格だった。  というよりも、そもそも浮遊局には記憶が消えなかったり、私のように何かのキッカケで思いだした元・物件の人物をスカウトする制度があった。  ――サイレントドロップスというんです。縁糸(えにしいと)で強く繋がれた二人の間だけに生まれる、静かな奇跡のひとしずくという意味。素敵でしょう。  また会う予感がしていた、勘が当たったとはしゃぐ中代さんと、良い所を盗られたと苦しがる橘が、言葉を補い合うように説明してくれた。  縁糸で結ばれたからといって、必ずしも皆が信頼関係を結んで終われるわけではない。  義務的に期間が終了したり、何も得ることの無いままお別れをしたり、互いの悩みは中途半端で解決しなかったり。その場合は、勿論サイレントドロップスは発動しない。  どんなにお互いに大切に思いあっていたはずでも、物理的な距離が離れれば記憶は薄れる。そうして記憶が消えてしまってもやはり発動しない。  生きている人間同士と同じですよと話してくれた橘は、どこか寂しそうだった。  忘れなかった人や思いだした人には、必ずトリガーとなるものがあると教えられた。二人にはそれが夏木さんの三味線だと言われたけれど、私にはそれだけとは思えない。  あの日、確かに見えた夏木さんの縁糸が、今でも私の中で生きている。  そのおかげだと二人に話したら「忘れていたくせに」と笑われるかもしれない。夏木さんに「それは私達だけの秘密ですよ」と拗ねられるかもしれない。  だから、大切に胸の内に留めておくことにした。  橘は一緒に働く事になってからも相変わらず得体の知れない存在だ。中代さんによると橘はどうやら元物件ではなく本当に限られたエリートらしい。そう言われてしまうと、いつまでも小芝居を続けて本性を見せない彼の事を、物凄いプロフェッショナルに思えるから不思議だ。  あの日、救われて今に続いている日々を、大事にしたい。  夏木さんが思い出させてくれた大切な気持ちを、ずっと忘れないでいたい。  当たり前の日々の中で、自分の心を見失ってしまっている誰か。  避けられない出来事に、この世を去りたい位、心を痛めている誰か。  魅入られた魔に吸い寄せられようとしている誰か。  消えてしまいたい思いに(あらが)い懸命に踏みとどまろうとしている誰か。  一人でも多くの人を救う手助けができるように願いを込めて、私が掛けられた魔法の言葉を届けたい。  ――私、生と死の間にいる魂様専用の不動産屋です。あなたの人生、私に下さい。
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