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逃げたい金曜の夜
憂鬱だ、憂鬱だ。金曜の夜は憂鬱だ。
金曜の夜。ここ1年は一杯の珈琲麻布店から始まる。おかげでポイントカードは3回一杯になり、オリジナルカップ2回、オリジナルブレンドを1回もらった。白地に、赤で数字の1と書かれたシンプルなカップはちょうど200ml入る。朝の1杯を飲むのに最適で私は気に入っている。
道路に面したカウンターに私は一人腰掛け、しばし目の前を通り過ぎる人々を眺めていた。しかめっ面で足早に通り過ぎるサラリーマン。コンパへと繰り出す大学生。これから観劇か、ドレスアップして楽しそうに談笑するマダムたち。二人だけの世界を撒き散らしながら歩いてゆくカップルたち。カウンター越しにみる風景はまるで水族館のよう。街を自由に泳ぎ回る魚たち。
いや。水槽はこっちか。建物の中にいるんだから。
金曜の夜ということで道ゆく人たちはどこか浮かれている。前の前を流れてゆく人ごみを見ていると、ふと、ガラス一枚の隔たりで自分がこの世界から切り離されているように感じた。
私は小さく頭を振って暗いイメージを締め出すと、バッグから映画のチラシを取り出した。
あーあ。「特命捜査官」今日公開だったのに。
趣味は映画鑑賞。それも映画館派。シネコンからシアター系まで幅広く見る。ジャンルは決めず色々見る。悲劇よりはハッピーエンドが好きだ。
並ぶの覚悟で明日……いや。明日もアレか。日曜夜の最終上映。いや……週末で精神全て削られるしなー。
スマホのスケジュールアプリと、上映スケジュールとにらめっこする。
「隣、いいですか? テーブル席、一杯で」
声をかけられ振り向くと、見たことのない男性が立っていた。混み合う店内。空いている席はここだけのようだ。
「あ、どうぞ」
私はカウンターの右側に置いていたバッグを寄せた。
「すみません」
「いえ。問題ないですよ」
男が腰掛ける時にカウンターに左手をついた。すらっと節ばった指に指輪はない。爪はきっちり整えられていた。
理系ぽい。内勤と見た。
男はメニューを見ずに「ブレンドをアメリカンで」と店員に頼むと、ブリーフケースからタブレットを取り出し読書を始めた。
ふーん。卒なく、難なく、キモからず。75点。
そんなことを思っていると、私が頼んだカフェオレが来た。珈琲はブラック派だが、アレの日は必ずカフェオレ(シロップちょっと多め)を飲む。
糖分でも補給しとかないとこれからの2時間、やってられっかっての。ホントはビールにしたいけど、それは流石にアウトだし。
心の中で毒づき、チラとスマホの時計を見る。現在午後6時21分。予定の時間まであと40分。会場まで徒歩3分。会計に3分。50分頃に出ればギリギリ間に合う。
逆算し終えると、行くアテもないのだが映画情報へと戻る。
午後6時40分。同じタイミングで数人がバラバラと席を立つ。そのおかげでレジはちょっと混み合う。
「一気に来たんでちょっと緊張しました。電車ですかね」
レジで真新しいエプロンをした若い店員が古参に質問しているのが聞こえた。初めて見る顔だ。新人のアルバイトだろう。古参が小声で何か答えた。
「パセリ?」
大学生のアルバイトらしき新人の屈託ない声が、ジャズの流れる静かな店内に響いた。古参は気まずい笑顔を浮かべると、新人をバックヤードに引っ張って行った。
パセリとは。いい歳になっても結婚せずに売れ残っている人物を指す。特にこの店では近くの結婚相談所に通う男女を指す……なーんて説明してるかな。
心の中で自虐的に笑うと私も会計を済ませ、水槽の中から浮かれた街へと踏み出した。
「みなさん、こんばんは! 今夜は90人の参加でーす。緊張していると思いますので、まずは質問ゲームから始めますね」
結婚相談所・結の名物社長、白鳥結子が甲高い声で言った。このテンションで縁談をまとめ、開業から5年で1000組達成とか。会場からおざなりの拍手が起きた。
ざっと見たところ30代後半から50代までってとこかな。毎度毎度ハートのナンバープレートとか痛過ぎるっつーの。
何度参加しても左胸の大きなハート型は、慣れない。それ以上にこの空間自体が慣れない。「結婚すれば幸せになれる」「自分にふさわしい結婚相手」「とにかく結婚」と息巻いている人間がこのホールに詰め込まれているのかと思うと目眩がする。
会場内に流れていた当たり障りのない音楽が、ポップな音楽へと変わった。
「結結質問ターイム!」
社長の裏声が響き渡り、指名された人が壇上へと上がる。と、皆一斉に手にしている参加者プロフィールを確認する。
もう嫌。この品定め感、ついてけない。
それなのになぜ私がこんなところにいるかといえば、40を前に母親に泣きつかれたからだ。
「亜希ちゃん。亜希ちゃんは仕事大好きじゃない?」
「そうだね。仕事ない人生考えられない」
「どうしてもこの会社と仕事したいってなったら、どうする?」
「そりゃ、きっかけ探したり、企画書持って行ったり?」
「そう、そうよね。じゃあ、この電話を切ったらすぐに結婚相談所に申し込むの! 受話器を取って電話をかける。ママが亜希ちゃんをこの世に産んでもう38年が経過するの。このままだと仕事仕事で気がついたらおばあちゃんよ。出会いはね、待ってるだけじゃダメ。きっかけ探して、自分という優良企画を売り込まないとダメ。わかった?!」
受話器って。
それ以降、毎日入会の確認をしてくるものだから、仕方なく通勤途中にある相談所に申し込んだのが1年前。以来、私にとって生産性のない空間に身を置くという苦行が毎週続いている。
「はーい。それでは女性の17番の方―」
この後の予定をぼんやり考えていたところ番号を呼ばれてハッとした。スタッフに促されてステージに上がる。
「あ!」
声の方向を見ると、同僚の鈴木可南子が真っ赤に塗りたくった口を大きく開けていた。
あー…さ・い・あ・く。
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